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【小説】ある駅のジュース専門店 第36話「接触」

 公共の施設に行くと、たまに違う場所で同じ人を何度も見かけることがある。普段通っている高校でも、さっき廊下ですれ違った人を図書室でも見かけたり、さっき授業をしていた先生と掃除中にも会ったりして、そのたびに偶然の不思議さを感じている。
 つい最近も同じような体験をした。ただ、あの頻度は少し……異常だったと思う。

 これは昨日、友人たちと三人でショッピングモールに遊びに行った時の話。
 最初にエスカレーターで三階に上がり、ゲームセンターに向かった。クレーンゲームで流行りのキャラクターの大きなぬいぐるみと格闘したが、結局誰も取れず、三千円が泡のように消えていった。
「うわーっ、ダメか」
「さっきの惜しかったんだけどなぁ」
 みんな悔しがる中、すぐ近くで商品の獲得を知らせるファンファーレが鳴り響く。そちらを見ると、背の高い人が別のキャラクターの大きなぬいぐるみを抱え、筐体の前に立っていた。
 ウルフカットの黒髪を片耳に掛け、耳元には小さな金のフープピアス。黒いTシャツに紫のノーカラージャケットを羽織り、黒いスラックスと革靴を履いている。口元は黒いマスクで隠されていたが、少し切れ長の目元が涼しげで綺麗だった。ぬいぐるみを見下ろす視線すら、妙に色っぽく見えてしまう。
 ふと隣を見れば友人たちもその人の存在に気づいており、互いに顔を見合わせていた。
「え、待って、あの人カッコ良くない?」
「カッコ良いよね! 美形とぬいぐるみの組み合わせって良いなぁ」
「あれ? でも喉仏無さそう。もしかしたら、女の人かも」
 私がそう言うと、友人たちはさらに盛り上がった。
「イケメン女子ってこと⁉︎」
「なにそれ好き……」
「家にあれ飾るのかな?」
「ずるくない⁉︎ そんなギャップさぁ……!」
「ごめん、ちょっと声でかい……他の人いるし一旦落ち着こ」
「あ、ごめんごめん」
 周囲を気にしながらもう一度クレーンゲームの方へ顔を向ける。その人は、既にいなくなっていた。

 私たちはゲームセンターを出て、同じ階に位置する雑貨店を見て回った。スマホケースやトートバッグなど、お洒落で生活に役立つものが揃っている。最近はレトロブームによって、喫茶店風のロゴや昭和のアニメ風イラストがプリントされた、可愛いデザインの商品が多い。
「見て見て、このアクキー良くない? ホテルの鍵っぽいやつ」
「何これオシャレ!」
「昔のものなのに結構新鮮だよね」
「ね! 可愛い」
「今当たり前になってるものも、未来じゃどうなるか分かんないよね。もう一回流行ったりすんのかな?」
「うーん、どうなんだろ……流行ったら嬉しいけど……」
 その時、視界の端に紫色がちらりと映った。はっと顔を上げる。スウェットやTシャツが並ぶ棚の前に、あの人が立っていた。
「ね、ねぇ」
 友人たちに知らせようとするが、二人ともすっかり商品に夢中で顔を上げようとしない。その人は服を手に取って興味深そうに眺めている。黒いマニキュアが照明を反射して光沢を帯びる。服を見つめる瞳の奥も、吸い込まれそうなほどの深い黒だった。
「ちょっとレジ行ってくるね!」
「えっ? あ、うん」
 友人の声に我に帰る。もう一度洋服の棚を見ると、あの人は今回もいつの間にかいなくなっていた。レジの方を見ても友人しかいないので、きっと何も買わずに去っていったのだろう。
 数分後、友人がエコバッグを手にして戻ってきた。
「お待たせー! ゲットした! ホテルの鍵っぽいやつ」
「お、買ってきたんだ」
「スクバに付けるんだよね」
「うん! 待っててくれてありがと」
「次どこ行くー?」
「んー……」
 薄らと空腹感を覚え、スマホのロック画面を見ればもう正午だ。
「お腹、空いてない?」
「空いたー!」
「ご飯食べよ!」
 私は友人たちと笑い合いながら、下りのエスカレーターに乗った。

 三階から二階へ下りて、フードコートへ向かう。お昼時なので人でごった返していたが、なんとか席を確保した。
「チーズバーガーセット?」
「うん」
「私もそれで」
「オッケー。飲み物はどうする?」
「なんか新しいシェイク出たらしいね」
「あ、知ってる! 一度飲んでみたいよね」
「じゃあみんなでシェイク頼もう。Mサイズでいい?」
「いいよー!」
「分かった……ごめんカバン見てて。私ら注文してくる」
 友人二人がカウンターに注文しに行った。私は座席に残り、二人のカバンをちらちらと見ながらスマホをいじっていた。
 どこからか、美味しそうな匂いが漂ってきた。少し顔を上げてみると、隣のテーブルの上に牛肉のステーキが乗っている。それをナイフで小さく切り分けるのは、黒いマスクをしたあの人。
「えっ」
 思わず声を上げる。たちまち切れ長の黒い瞳がこちらを一瞥し、三秒も経たぬうちに再びステーキに視線を戻す。変な奴だと思われてしまったかもしれない。謝罪の意を込めて軽く頭を下げておいた。
 その人はマスクを軽く持ち上げ、その奥にフォークを差し込むようにしてステーキを食べる。最近までコロナ禍だったし、きっと顔を見られたくないというのもあるだろう。食べにくくないか気にしながらも、私はその人の様子をぼんやりと眺めていた。
 そのうちに、何やら違和感が膨れ上がってきた。何かがおかしいのだが、どこがおかしいのかよく分からない。いったいどこがおかしいのだろう。探偵になったつもりで食事風景を注視した時、ようやく違和感の正体を見つけた。
 普通、食べ物を咀嚼すると頬の筋肉が動く。その振動が伝わってマスクの布も動くので、マスクをしていても物を食べていることが分かる。
 だが、その人のマスクは一切動いていなかった。フォークが差し込まれ、皿の上のステーキがひとつずつ減っていくことで、辛うじて食べているのだと分かった。
「お待たせー!」
 明るい声にびくりとして振り向く。友人たちがセットメニューを乗せたトレイを運んできてくれていた。
「あ、ありがと……」
「どした? 顔色悪いよ」
「何でもない。ちょっと、怖い動画観てて……」
「そっか。怖いの観てるとちょっとした音に敏感になっちゃうよね」
「あ、分かる〜! 怖いの観た後にお風呂入れない!」
 二人が笑ってくれるので、咄嗟に誤魔化してしまったのが申し訳なくなる。
「と、とりあえず食べよっか」
「うん! いただきまーす!」
 チーズバーガーにかぶりつき、何気なく視線を隣のテーブルに向ける。もうあの人の姿も、ステーキも、忽然と消えていた。

 食事を楽しんだ後、私たちは洋服店を見て回った。それぞれ好きな商品を買って、一階に降りる頃にはもう夕方になっていた。
「楽しかったね!」
「ねー!」
「いっぱい買っちゃった」
「じゃあ、もう夕方だしそろそろ解散しよっか」
「そうだね。みんなここから家近かったよね?」
「うん」
「じゃあここで解散しよ!」
「オッケー! 今日はありがとね!」
「ううん、こちらこそ!」
「じゃあね! また明日ー!」
「うん、またねー!」
 ショッピングモールの前で別れ、帰路に着く。人が行き交う大通りを歩いていると、前方に見覚えのある後ろ姿があった。あの人だ。一日でここまで同じ人を見かけるなんて、なんだか怖くなる。
 夕日に照らされ、その人の影が細く長く伸びる。もっと身長高く見えるな、とぼんやり考えながら地面を見ていたその時、気づいてしまった。
 その人の影は、体の部分が異様に細く、不自然に折れ曲がっていた。別に下を向いている訳じゃないのに、髪の部分が長く垂れ下がり、花弁のように風に揺れていた。明らかに、人間の影ではない。
 ふいにその人が立ち止まった。少し切れ長の黒い瞳がこちらを見る。
「どうされました?」
 マスクの奥から、低い声が気怠げに吐き出される。
「あ……っ、えっ……と……」
 思わず後ずさる。その人の目が、すっと細められた。
「私もこれから帰るところなんですよ。笠岐かさきって場所の駅まで行かなきゃいけないんですけど」
 夕日が逆光になって、その人の姿が薄暗く浮かび上がる。影は変わらず人とは言い難い形を保っている。
「貴女も来ます?」
 やけに艶めかしい声色だった。ぞくりと背筋が寒くなる。
「い……かない」
「あっそう。じゃ、また今度お招きしますね」
 つまらなさそうに言うと、その人はこちらに背を向け去っていった。私はその場に立ち尽くしたまま、小さくなっていく異様な影を見つめていた。

 後で調べてみると、笠岐に駅など無かった。ますますよく分からなくなったし、なぜ私を誘ったのかも分からなくて怖いので、あの人のことはもう忘れようと思う。

                〈おしまい〉

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