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【小説】ある駅のジュース専門店 第18話「配信」

 ある夜。いつも仲良くさせていただいているフォロワーさんがSNSで配信をするというので、私は胸を高鳴らせながらイヤホンを耳に付けた。その方は不定期に配信をしていて、好きなアニメの話や絵を描きながらの雑談といった楽しい話題が多かった。
 スマホの画面をタップすると、柔らかい声が聞こえてくる。どうやら今は、共同ホストとして招いた方と好きなアニメの話題で盛り上がっているようだ。
「あそこでミリーが斬りかかるのすっごいカッコ良かったですね!」
「ねー! 痺れました……! あ、『わたあめコーラ』(私のアカウント名)さん、こんばんは! 聴きに来てくださってありがとうございます!」
 フォロワーさんの配信開始を伝える投稿の返信欄に、「こんばんは! お邪魔しております」という文を送信する。そしてメンバーを確認すると、私の他にも配信を聴いている方が三人いることが分かった。
「エドワードの過去が知れたのも良かったですよね! いつもクールでドライなイメージだったけど、本当はすごく、妹想いでね」
「エドワードね‼︎ あの回想は最高でしたねー! めちゃくちゃ妹想い! ショタ時代可愛すぎて、テレビの前で悶えてました!」
 フォロワーさんの声の高まりから推しキャラへの愛情が伝わってくる。きっとスマホやパソコンの向こうで瞳を輝かせて語っているのだろうと想像し、思わず微笑む。
「来週のアニメも楽しみです! ……そういえば、話だいぶ変わっちゃうんですけど、『ある駅のジュース専門店』って知ってます?」
「……え、すみません、知らないです……『ある駅のジュース専門店』?」
「そう。なんか、今流行ってる都市伝説で……」
 少し驚いた。この方は今までの投稿でも配信でも、怪談や都市伝説といった話題を全く出したことが無い。こうしていきなり都市伝説のことを語り始めたのが意外に思えた。
「へぇ、初めて聞いた……どんなお話なんですか?」
「うーん、『ある駅のジュース専門店』にまつわるお話はたくさんあるんですけど……今日は、その中からひとつだけ、お話しますね」
 フォロワーさんの声が少し低くなる。この方のこんな静かな声を聞いたのは初めてだ。周囲の温度が微かに下がっていく気がして、一瞬、鳥肌が立つ。
 すっと息を吸う音。フォロワーさんの静かな声が、語り出した。

「これは、ある女子高生のお話なんですけど……彼女、いつも電車に乗って家に帰ってるんですね。その日もいつものように電車に乗り込んで、スマホをいじって時間を潰していたそうなんです。疲れもあって、スマホの画面見ている間にちょっとうとうとしちゃって。流れてきた車内アナウンスに飛び起きたんですけど、そのアナウンスがね、ちょっとおかしかったんですよね」
 フォロワーさんの声に混じって、ざざざざ、と小さくノイズが入る。おそらく配信環境の影響だと思うが、こんな状況なので心霊現象のように思えて怖い。
「普通、車内アナウンスって『次は何々、何々です』って駅名が流れますよね。でもその時は、アナウンスにノイズが混じって、駅名が聞こえなかったそうなんです。え、なんて言ったんだろって戸惑っている間に、電車が駅に着いたんですね」
 声の後ろでぶーーーーん、と低い音が聞こえている。虫の羽音のようで気味が悪い。しかし落ち着いてよく聞いてみれば、換気扇かブレーカーが作動している音にも聞こえる。
「女子高生は、とりあえず降りなきゃって思ってその駅で降りたんですけど、ホームに建ってる駅名の看板を見ると全然読めないんです。ほら、学校の授業中に居眠りしながらノート取って、意識がはっきりしてから見るとぐちゃぐちゃな字で何書いてあるのか全然読めないってこと、よくあるでしょう? あれと似たような感じのぐちゃぐちゃした文字が、赤茶色に錆びついた看板に書いてあるんですよ。気味が悪いですよねぇ」
 背筋が寒くなってきた。少し低めで淡々とした口調から紡がれる言葉は怪談師の語りを思わせる。フォロワーさんの語り口に、どんどん引き込まれていく。
「彼女、すっかり不安になって、家族に電話を掛けようとしたんです。でも繋がらなくて。なんでってスマホの画面見たら、『圏外』って書いてあるんです。そこで、もしかしたらここが『異界駅』なんじゃないかって思ってさらにパニックになるんですね。知ってます? 『異界駅』。『きさらぎ駅』とか『かたす駅』みたいな感じで、こことは違う世界にあるとされている駅のことなんですけど……そんな訳の分からない場所に来ちゃったらそりゃパニックになりますよね。下手に動いたら何が起こるか分からないし、とりあえずホームでじっと電車が来るのを待ってたそうです」
 私は少しずつ、違和感を覚え始めた。フォロワーさんの声、こんな感じだっただろうか。確かに怪談を語る時には怖さを演出するために声が低くなる。だが、今までの配信で聴いたフォロワーさんの声と比べると、少し、低すぎる気がする。
「すると突然、どこからか甘い香りが漂ってきました。果物のような香りで、嗅いでいるとなぜかひどく喉が渇いてきたそうです。何か飲まなきゃいけないと思った彼女は、甘い香りを辿ってみることにしました。改札機の扉が開いたまま壊れていたので、そこから駅の中に入っていったんです」
 ぶーーーーん、という音はまだ続いている。あまり長く聞いていたくない音だが、フォロワーさんの話の続きが気になる。怪談の結末を知るまで、聴くのをやめる訳にはいかなかった。
「駅の中は薄暗く、ブレーカーの音が聞こえるくらい静かで。飲食店や売店の看板が見えましたが、どの店もシャッターが下りていました。甘い香りの出どころを探していると、ピンク色や紫色に光るネオン看板が見えたんです。一軒だけ店が開いていて、甘い香りもそこで濃くなったんで、ここが香りの出どころだって分かったそうです」
 分かったそうです、のところで小馬鹿にするような笑いが混じった。
「えっ、怖い……」
 共同ホストの方が声を上げるが、語りはまだ止まらない。
「女子高生は店に近づいてみました。店の中はピンク色の照明で照らされていて、カウンターと椅子がありました。人の姿は無くて、呼びかけても誰も出て来ません。少し店の中に入ってもう一度呼びかけようとすると……カウンターの横のバックヤードに繋がる扉が、ほんの少しだけ、開いてるのに気付いたんです」
 恐ろしくてたまらないのに、配信を聴くのをやめる気が起きなかった。イヤホンを外そうとした指がいつの間にか音量ボタンに伸び、音量を上げていく。
「普通はダメですよ、入っちゃ。でも、きっと店員はこの中にいるし、遠くから呼びかけても聞こえないと思ったんでしょうね。彼女、扉を大きく開けて、足を踏み入れてしまったんです。客は入っちゃいけないのに」
 再び見下すような笑いが混じる。
「バックヤードの中は真っ暗でした。床がまるで蜂蜜でも塗ったみたいにべとべとしてて、気持ち悪いなって思ったそうです。人の気配も全くしなかったんで余計に怖くて。でも店員はいるはずなんで、扉を開け放したまま、すみませーんって声を掛けながらバックヤードの奥に歩いて行ったそうなんです。そしたら、床がぬるぬるしてるもんで滑りやすいんですよね、転んじゃったんですよ。その途端に入り口の扉が勢いよく閉まりました。もう真っ暗で何も見えない状態で、彼女、パニックになってましたよ」
 声は、まるでその場で見てきたかのように語る。最初は淡々と喋っていたのに、今はどこか楽しげな口調だ。
「その時。がっ、と肩を掴まれて、振り返った女子高生の悲鳴が響き渡りました。彼女はそのままバックヤードから出て来られなかったそうです……」
 ほうっと息を吐く音が聞こえた。
「こんな感じですかね。今日は聴いてくださってありがとうございました」
 声に重なって再び、ざざざざ、と小さくノイズが入る。
「それでは、今日はこのあたりで配信を終わろうかと思います! 皆さん、ありがとうございましたー!」
 ノイズが消えた後のフォロワーさんの声は、いつも通りの明るい口調に戻っていた。しかし、その明るさで先程までの静かな口調との落差が際立ち、怖かったので挨拶もなしに配信から抜けてしまった。

 翌日、私はフォロワーさんにダイレクトメッセージで昨夜の配信の感想を送った。
「昨日はありがとうございました! 語ってくださった怪談、めちゃくちゃ怖かったです!」
 数分後、メッセージが返ってくる。
「こちらこそ、聴きに来てくださってありがとうございました! 怪談の件……他のフォロワーさんからも、怖かったと感想をいただいてるんですけど……」
 そこでメッセージが途切れ、続けてメッセージが書き込まれた。

「私、昨日はずっと推しの話してて、怪談の話題は話してないんです」

「え?」
 混乱しながらメッセージを送る。
「ええと……『ある駅のジュース専門店』の怪談、話していらっしゃいましたよね?」
「話してないです……ずっと推しキャラのエドワードについて語りまくってました。皆さんがとても静かに聞いてくださって、ちょっと緊張しちゃったんですが、推しの魅力を紹介できてすごく楽しかったです」
 フォロワーさんが話した内容と、私たちが聴いた内容は、全く異なっていた。
「それに……私、怪談あまり詳しくなくて、『ある駅のジュース専門店』も何なのか分からなくて……すみません!」
「いえいえ、こちらこそ……きっと、私が勘違いしちゃったんですね」
 腑に落ちないままメッセージを打つ。あんなに流暢に怪談を語っていたのに。私が勘違いをしていただけなのだろうか。それとも、昨夜怪談を語っていたあの声は、フォロワーさんのものではなくて……。
 そこで思考を止めた。これ以上、考えたくなかった。あの声が誰のものだったとしても、怪談の語り方がとても上手だったのは確かだ。臨場感溢れる語り口で引き込まれた。新しい怪談を知る良い機会になったと思えば、この胸の内の何とも言えない気持ち悪さも少しは治まるだろう。
 気持ちを落ち着かせるために、何か違う情報に触れよう。何の気なしにインターネットの検索画面を開いて、検索窓に「ある駅のジュース専門店」と入力する。そして検索ボタンを押そうとして、ぞくりとして指を引っ込める。なんとなく、昨夜の怪談から、都市伝説について詳しく調べたくなるように「誘導」されている気がして。重く立ち込め始める不安感や恐怖を振り払うように、検索窓に自分の好きなアニメのタイトルを打ち込んだのだった。

                〈おしまい〉

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