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【小説】ある駅のジュース専門店 第7話「広告塔」

 夕飯前の仮眠から目を覚まし、何気なくスマホで時刻を確認すると、友人からメッセージが届いていた。
八坂やさか。この前は付き合わせちゃってごめんな」
 記憶を辿り、ああ、あのことかと軽く頷いて文章を打つ。
「いや、良いんだ。俺もネットで見かけて気になってたし。確かめる機会があって良かった」
 返事は友人に届いたようで、送信した後にすぐ既読が付き、メッセージが送られてきた。
「あの後、何も無かったか?」
「全然元気。そっちこそ、なんか連れて帰ってきてないだろうな」
「異界駅からなんか連れ帰ってきてたらダメだろ」
「そうだな。そもそも行けたことが奇跡なんだけどな」
 メッセージを返しながら、俺は一週間前のことを思い返していた。

 一週間前の夕方。俺と友人は駅に集まっていた。友人のテンションがいつもより高かったのを覚えている。俺たちは二人とも怪談や都市伝説が好きなので、その日、実在するかどうかも分からない「ある駅のジュース専門店」へ行けるかどうかを試そうとしていた。
 「ある駅のジュース専門店」というのは、最近インターネットを中心に急激に流行り始めた都市伝説である。発端は、一人の女子高生がSNSに投稿した体験談。「きさらぎ駅」と同じように、この世に存在しないはずの駅に迷い込んだ話なのだが、この話の特徴は駅の中に佇むネオン看板を掲げた「ジュース専門店」にある。その店には一人の店員がいて、驚くほど美味しいジュースを出してくれるのだという。ジュースが飲める異界駅など今まで聞いたことが無いので、インターネットで話題になっているのだ。
「うちの大学にさ、行ったって人がいるらしいんだよ。『ある駅のジュース専門店』に」
 ホームに向かいながら、友人が楽しそうに話してくる。
「マジで? 偶然?」
「ううん。その人も仲良い人と一緒に電車に乗って、適当に選んだ駅をわざと乗り過ごしたらしい。そしたら全く知らない無人駅に着いたって」
「行こうと思って行けるもんなのかよ」
「それを今から調べにいくんだよ。もし行けたらしっかり映像を記録するぞ!」
 友人は手に持ったスマホを指して笑った。

 ホームに入ってきた電車に乗り込み、乗り過ごす駅を決めて座席に座る。車内は混んでおらず、全ての乗客が座席に座れていた。スマホをいじったり友人と他愛もない雑談をしたりしているうちに、電車は乗り過ごす予定の駅を通過していた。
 電車の揺れに身を任せているとだんだんと瞼が重くなり、眠りに落ちそうになるのをなんとか持ちこたえる。ふと隣を見ると友人の顔もゆっくりと下りていくので、起こそうかどうか迷っていた、その時だった。
「間もなく、⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎です。お出口は、左側です」
 車内に響き渡るアナウンスに跳ね起きる。アナウンスの途中、駅名が告げられたであろうその部分だけに、ざざざざ、とノイズが入ったのだ。
「び、びっくりした……」
「なんだこれ……ノイズなんて入るか? 普通」
「ううん、初めて聞いた……」
 俺たちは寝起きの頭で混乱しながら、電車が駅に着くのを待った。

 電車が停まる。墨で塗りつぶしたような暗闇の中に、見知らぬ小さな無人駅が見えた。
「……来れた……」
「来れた……!」
 恐ろしくもあり嬉しくもあった。俺たちはホームに降りて、何も言わずに駅を見つめた。
 改札口の上でぼんやりと点滅する看板には、全く読めない駅名が書かれている。改札も壊れているようで、扉の部分が床に散らばっていた。
「……中、入ってみるか?」
「は、入ってみようぜ……ジュース屋、この中にあるんだろ……?」
 ごくり、と唾を飲む。それから顔を見合わせ、意を決して、足を踏み出した。
 寂れた駅の構内に、人の気配は無い。ただ俺たちの足音だけが淡々と響き渡る。
 改札を抜けた先に、いくつもの店が立ち並ぶショッピングエリアがある。だが、どの店もシャッターが降りている。本当にこんな所にジュース屋などあるのだろうか。
「あっ」
 ショッピングエリアの通路の半分あたりまで来た時、友人が小さく声を上げて前方を指差した。煌々と輝く鮮やかなネオン看板が見える。
「あれじゃないか?」
「あれだ、きっと」
 看板の方に駆け寄ってみる。しかし、ネオン看板はしっかりと付いているのに、店のシャッターは降りていた。
「閉まってる……?」
「マジか……」
 俺たちはがっくりと肩を落とした。
「まぁ、ここに来れただけでも良かったよな……ホームで電車待つか」
 そう声をかけたが、反応が無い。見ると、友人は閉ざされたジュース屋のシャッターを凝視していた。
「おい、どうした」
「……ご、ごめん。ちょっと撮らせてくれ」
 友人はシャッターに向かってスマホを構えた。
「え? 動画なんて撮ってどうすんだよ。何も無いぞ」
「い、いいから。何も無くても記念に」
 友人があまりにも熱心に動画を撮っているので、仕方ねえな、先に行ってるぞ、と声を掛けてホームに向かった。
 ホームで待っていると、遠くから電車の明かりが近づいてくるのが見えた。それとほぼ同時に後ろからどたどたと足音が聞こえてきて、振り向くと、友人が慌てた様子で改札口から走り寄ってきた。
「はぁ、はぁ……間に合った……」
「なに焦ってんだよ、別に置いてかねえよ。動画、ちゃんと撮れたのか?」
「あ、ああ……撮れた……」
「良かった。今ちょうど電車来たから、これ乗って帰ろうぜ」
 ぷしゅーっと音がして、電車が停まる。ドアが開くと、友人は俺を押しのけるようにして先に乗り込んだ。それから無事に元の駅に着くまでの間、行きはあんなに張り切っていたはずの友人は、なぜかずっと黙り込んでいた。

 そして、現在。
「そういえば、あの時お前が撮ってくれた動画、まだ見てなかったわ。送ってくれるか?」
 俺がそうメッセージを送ると、何十秒かの間が空いて、返事が返ってきた。
「……ごめん、送るのは、ちょっと」
「なんでだよ。なんか写ってたのか?」
「ううん、そういう訳じゃないんだけどさ」
 友人は、頑なに動画を見せようとしない。
「じゃあ……見せられないほどヤバいんだったら、どんな感じか教えてくれ。話せる範囲でいいから。気になるし」
「……分かった」
 そこから友人は時間をかけて、動画の内容を説明してくれた。
「あの時……」

 あの時、友人には閉ざされたシャッターの奥から「声」が聞こえていた。それも、二人分の会話のようなもの。
 俺が先にホームに行った後、彼はずっと、その会話に耳を澄ませながら動画を撮っていた。
 シャッターの奥から聞こえる会話は、男とも女ともつかない気怠げな敬語を話す声と、やけに大人びた幼い女の子の声が交互に発されていたという。
「別に良いじゃないですか。貴方の守る土地には手をつけてませんし」
「いつか手をつけるつもりなんだろう? そして笠岐かさきまでこの空間に取り込んで、迷い込む客を増やすつもりなんだろう」
「そんな面倒なことしませんよ。私はただ……ここでお客さんにジュースを提供して、ここの存在をより多くの方に知ってもらって……食べるものに困らなくなれば、それで良い」
 気怠げな声が、やけに艶めかしさを帯びる。
「……強欲な奴め」
「ええ、食欲は人一倍旺盛でして。ところで……話は変わるんですけど、最近、店の改装をしてるんですよ」
「改装?」
「はい。改装工事のため、店を閉めさせてもらってます。だからね、今来てもらっても対応できないんです。すみません。一週間ほどしたら終わると思うんで、また遊びに来てください。お待ちしてます」
「……」
 女の子の声が聞こえなくなり、数秒間の静寂が訪れる。そしてその後、シャッターの奥から気怠げな声が楽しげに告げた。
「今の話、しっかり伝えといてくださいね。そこのお客さん」
 友人は動画をそこで止めて、ホームまで逃げてきたのだという。

「じゃあ、動画にはその音声だけ入ってるってことか?」
「そうだよ……誰のかは分かんないけど」
「でもお前、いつも怪奇現象を撮ったカメラの映像とかそういう動画、好きだったじゃん。いくつか俺に見せてくれただろ?」
「そうだけど……そうなんだけど」
 メッセージの文面から、ひどく怯えている様子が伝わってくる。
「もしかして……なんかあったのか? あれから」
 躊躇うような間が空き、メッセージが返ってくる。
「なんかあったというか……今も、起きてるというか」
 それから立て続けにメッセージが送られてきた。
「あの動画さ、ヤバいもんが撮れちゃったと思って、誰にも見せないでいたんだ。SNSにも投稿してない。してないはずなんだけどさ……これが、いつの間にか上げられてて」
 数分後、一枚の画像が届いた。それは友人のアカウントの投稿をスクリーンショットしたもので、「ある駅のジュース専門店からのお知らせです。広めてください」という短い文と共に、あのジュース屋のシャッターを撮影した動画が添えられていた。
「……間違えて、上げたとか?」
「最初はそう思ったよ。寝ぼけて上げちゃったんだって。でも、だとしたら文がおかしいんだよ。俺はジュース屋に行った側だから、普通は『ジュース専門店に行って動画撮ってきた』みたいな感じだろ。『ジュース専門店からのお知らせです』とは、言わないだろ。別にあそこの店員じゃないしさ」
 俺は、そのメッセージに返す文が何も思い浮かべられなかった。ただただ混乱して、友人からのメッセージを読むことしかできなかった。
「今さ……通知がずっと止まらないんだよ。あの動画にたくさん反応付いて拡散されてる。お前に送らなくて良かったけど……これ、どうしよう。勘弁してくれよ……どうすれば良いんだよ……削除って押しても消えないし、なんか、アカウント名も変えられ」
 立て続けに送られてきていた友人のメッセージがそこで途切れたので、ますます不安になって画面を凝視していると、数秒後、新しくメッセージが来た。
「ジュース専門店【⬛︎ヶ2乃#:】の公式アカウントをつくりました。貴方も拡散よろしくお願いします」
 俺はそっとメッセージアプリを閉じた。
 その日を境に、友人のアカウントから宣伝めいたメッセージが届くようになったが、いつもの友人のメッセージが届くまで、こちらからは何もメッセージを送らないようにしている。

                〈おしまい〉

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