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【小説】ある駅のジュース専門店 第44話「ジュース屋と雑貨屋」

 これはある夜、電車の中で居眠りをして、降りる駅を乗り過ごしてしまった時のこと。
 慌てて降りたその駅は色あせたように真っ白で、改札の扉が開いたまま壊れている。看板の駅名に目を凝らしても、全く読めない。読み方を調べようとスマホを出せば、「圏外」の文字が目に飛び込んでくる。
 以前、ネットで知った都市伝説が脳裏に浮かんできた。この世とは別の場所にあるという駅の噂だ。きさらぎ駅とか、かたす駅とか、やみ駅とか、とにかくたくさんあるらしい。
 ここはもしかしたらそういう駅なのではないか。そう考えると怖くなったが、恐怖と同時に、本当にあったんだ、という不思議な高揚感も覚えた。
 それにしても喉が渇く。空気が乾燥している場所から急にじめっとした所に来たからだろうか。何か飲もうと辺りを見回し、入り口のそばにある自動販売機に近づいてみたが、見たことのない色の飲み物ばかり売られていたので後ずさった。さすがにオレンジと青のグラデーションの飲み物を飲むのは勇気がいる。不気味な駅ではあるが、中に入れば何か飲み物を売っている店があるかもしれない。私はその可能性に賭け、仄かに甘い香りが漂う入り口に足を踏み入れた。

 薄暗い構内に私の足音が響く。カフェやレストランなどたくさんの店があるようだが、ほとんどシャッターが下ろされている。
 ただ、通路の半ばの向かって左側、カラフルなネオン看板を掲げた店は開いていた。そしてその反対側にも、開いている店がある。左の怪しげなピンクの照明が灯る店とは対照的に、その店の中には暖かなライトがほんのり灯っている。
「いらっしゃいませー!」
 右側の店に近づくと、奥のレジカウンターから明るい声が飛んできた。こちらに進み出てきたのは、白い不織布マスクを付けた小柄な店員。白いスウェットに緑のエプロン、濃紺のジーンズを身につけている。ショートの黒髪や緩やかに垂れた瞳から、どこか幼く人懐っこい印象を受けた。
「何かお探しですか?」
「あの、何か飲み物を売っているところを探しているんですけど……」
「ああ、それならあちらのジュース屋さんで売ってますよ! 冷たくてしゅわしゅわした美味しいジュースが飲めるんです。良かったら足を運んでみてはいかがでしょうか?」
 店員はにこにこしながら、通路を挟んだ向こう側の店を手のひらで指し示した。
「あ、あのお店、ジュース屋さんだったんですね」
「そうなんです。ちょっと怪しくて近寄りがたいかもしれませんけど、めちゃくちゃ美味しいジュースを出してくれるんですよ」
「へぇ……ありがとうございます。あれ、じゃあこちらのお店は……?」
 店内の陳列棚には、スマホケースや腕時計やハンカチなどが整然と並べられている。店員の方に向き直ると、店員は微笑みを絶やさず答えた。
「こちらでは雑貨店をやらせていただいてます。前はあちらのジュース屋さんでお土産が売られてたんですけど、お客さんがたくさん来てくださるようになったんで、お土産もどんどん増やしたら、お店に入りきらなくなっちゃったらしいんですね。そこで、ジュース屋さんとわたしで提携して、期間限定ではありますが、こちらの雑貨店でお土産を販売させていただくことになりました。欲しい商品がありましたら、いつでもお申し付けくださいね!」
 店員の言葉で腑に落ちた。ライバル同士のはずのジュース屋を宣伝したのは、きっとお土産を売るために提携しているからなのだろう。
 私は雑貨店の中をぶらぶら歩き回った。見るだけで何も買わないつもりだったが、ログハウスのような暖かな空気と店員の明るい雰囲気に乗せられ、結局、落ち着いた色合いのハンカチをひとつ買ってしまった。値段も五百円と安かった。
「ありがとうございました!」
 店員が微笑みながら頭を下げて見送ってくれるので、つられて口角が上がる。居心地の良い店だったなと感じながら、通路の向こう側のジュース屋へと歩いていった。

 ジュース屋の中はこぢんまりとしていて、黒いカウンターの前にカラフルな椅子が四つ置かれていた。カウンター横の扉には「STAFF ONLY」と書かれた張り紙がある。店内には誰もいなかったので、扉に向かって呼びかけてみる。
「すみませーん」
「……はい」
 かちゃりと音がして、ドアノブが回る。扉から出てきたのは、黒いマスクをつけた背の高い店員だった。赤いシャツの襟元に黒いネクタイをして、黒いギャルソンエプロンに黒いスラックス、黒い革靴を身につけている。うなじ辺りまで伸ばしたウルフカットの黒髪を片耳に掛けていて、そこから金のフープピアスが覗く。切れ長の瞳はどこか冷たく、近寄りがたい印象を受ける。
「いらっしゃいませー。お客さん、なんか飲んでいきます?」
 マスクの奥から気怠げな声が発される。
「は、はい……お願いします」
「かしこまりました。ラズベリーソーダとストロベリーソーダがありますけど、どっちにします?」
「えーと……じゃあ、ストロベリーソーダで」
「かしこまりました。こちらの席でお待ちください」
 店員に促されて椅子に座る。ここは何だか落ち着かない。怪しげな照明に、ふわりと漂う甘い香り。ログハウスのような温かみのある空間だった雑貨店と、何もかもが対照的に感じる。
「あっちの雑貨屋さんで、なんか買ったんですか?」
 はっとカウンターの方へ振り向く。店員がジュースを作りながらこちらをじっと見ていた。
「あ……はい。ハンカチを」
「そうですか。ありがとうございます。雑貨屋さんとは最近提携させていただいたんですが、うちに入りきらないお土産を引き取って売ってくださるんで、とっても有り難いんですよね。気に入っていただけたお土産があって良かったです」
 店員が、すっと目を細める。最初は怖そうな人だと思っていたが、こうして話してみると、意外と親しみやすいかもしれない。
 店員の様子を眺めていると、もうジュースが出来上がったらしく、真っ赤なジュースが入ったプラスチックのカップを差し出された。
「お待たせしました。ご注文のストロベリーソーダです」
「おお……ありがとうございます」
 ひんやりとした感触にちょっぴり体が震える。甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。飲んでも大丈夫そうだと判断し、ストローに口をつける。
「ん! 美味しい」
 しゅわしゅわとした炭酸にイチゴの甘酸っぱい味が混ざり、からからに渇いた喉を潤していく。あっという間に飲み干してしまい、ぷはぁと大きく息を吐く。
「ありがとうございます。喜んでいただけて嬉しいです」
 店員の目が、再び細められた。

 その後、私は会計を済ませてホームに向かった。ジュースも五百円だった。あと十分もすれば電車が来ると、店員に教えてもらった。
「あの、お客さん」
 後ろから声をかけられ、振り向くとジュース屋の店員が立っている。
「もし良かったら、SNSでうちの店のこと、宣伝していただけませんか? 雑貨屋さんの方でも良いですよ。もっとたくさんのお客さんに来ていただきたいんで、どちらか宣伝していただけると嬉しいんですけど……」
 私はどちらも宣伝すると伝えた。雑貨屋さんは店員が明るく対応してくれる温かみのあるお店だったし、ジュース屋さんは入るのに少し勇気がいるが、中に入れば美味しいジュースが喉を潤してくれる。あまり知られていないのは勿体無い、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思った。
「ありがとうございます。良かったらまた来てくださいね。いつでもお待ちしてます」
 店員は嬉しそうに言った。
 背後でがたんごとんと音がして、振り向くと電車が停まっている。私は店員に軽く一礼し、電車に乗り込んだ。
 駅を離れた途端、スマホの電波が元に戻る。私はさっそくSNSを開き、先程見つけた不思議なお店のことを打ち込むのだった。


 客が帰った後、私は雑貨店の方に向かった。
「お疲れー! いやぁ良かった良かった。これでまた一個減らせたよ」
 緑のエプロンをつけたそいつは、私を見てにこにこと笑っている。相変わらず鬱陶しい。
「……何? なんか元気無いじゃん。ジュース屋さぁん、大丈夫?」
「五月蝿ぇ。どうにかなんねぇのかよ、そのクッソうぜぇ喋り方は」
「だって、こっちが明るくないとさぁ。客が油断してくれないじゃん? 『こっちの方が安全そうだ』って」
 雑貨店の店員はマスクを外した。その口元には、私と同じように、赤い網目模様がびっしりと走っている。
「ねぇ、わたしも今まで通り喰っていいよね? もともとそっちにいたんだから」
「お前は虫でも喰ってろ」
「は? 元の生活に戻れってこと? 酷くない? お前だけ美味しいとこ全部持ってくじゃん。意地悪ぅ」
「……あんまり調子に乗るなよ。お前は『期間限定』なんだからな」
「はいはい。この腕時計とかハンカチとかが全部売れたら用済みなんだろ? わたしは。不用品を処分するための一時しのぎにわざわざ株分けして、自分で自分を喰うだなんて。はっ、マジで草。滑稽だわぁ」
 違う顔、違う服装、違う声のもう一人の自分が嘲笑ってくる。今すぐ口だけ溶かしてやりたくなったが、ぐっと堪える。
「まぁいいや。その時が来たら美味しく喰ってくれよ。ジュース屋さん?」
「ああ。お望み通りにしてやるよ」
 互いに睨み合った後、雑貨屋の店員は小さく息を吐いてマスクをつけた。
「じゃ、わたしちょっと休憩してきまーす」
 わざとらしい笑顔でひらりと手を振り、そいつは店の奥へ入っていった。私もため息を吐いて、ジュース屋のバックヤードに戻った。
 しばらくするとまた新たな客が来たらしく、雑貨店の方から明るい声が聞こえてくる。どちらも自分なのに、居場所が見知らぬ誰かに勝手に奪われているように思えて癪に障る。雑貨店の方を睨んだ瞬間、あることに気づいた。
 最近、無性に苛立つことが多い。以前は落ち着いて接客できていたのに。もしかすると、「建てられる予定だった駅が人間を恨んで襲っている」という、事実とは違う噂を流されたのがきっかけなのかもしれない。人間を喰いたいからジュース屋をやっているのに、勝手に恨みを持っているなどとデマを流されて、もしもそのデマが人間たちの間で定着してしまったら。私自身が変えられてしまう。いや、もう既に変えられてしまっている。
「……あぁ、クソ……」
 カウンターに突っ伏し、私はもう何度目か分からないため息を吐いた。

                〈おしまい〉

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