グローバリゼーション、自由貿易と国内労働機会の維持について

昨今のポピュリズム政治の寵児かつ問題児ドナルド・トランプ米大統領が嫌いなので、彼の発言のどこに論理があるのか、保護主義と自由貿易って何なの、という疑問からとりあえず以下の本を読んでみました。

参考にした本

The Other Half of Macroeconomics and the Fate of Globalization by Richard C. Koo
Straight Talk on Trade: Ideas for a Sane World Economy by Dani Rodrick
グローバル・バリューチェーン 新・南北問題へのまなざし (日本経済新聞出版) by 猪俣哲史

以下に理解したことのメモを記載します。日本の経済と財政の行く末を憂いているので、大まかな日本の現状の印象も含めた感想です。

ある国の経済成長と先進国での成長維持の難しさについて

1.一概に、一つの国の経済成長は、資本家が非都市部からの労働力を自由に獲得できている時期には著しく成長し、労働力の供給と需要が拮抗して労働者の獲得競争が生まれるLewis Turning Pointに達すると、労働賃金が上がり始めるため成長が鈍化する。先進国では、イノベーションを促して新たな投資市場(そしてハイリターン)を生み出さない限り、どんなに金融緩和をしても、企業は国内に投資先がないため、投資を促すよりも借入を返すことを優先し、たとえ投資をするにしても新興国へ投資した方がハイリターンになってしまうため、国内に投資しない。企業が借り入れを増やさないため市中銀行にお金が溜まることなり、よって金融緩和で貨幣価値が下がるままデフレスパイラルが助長される。新興国への投資と競わなければならない先進国においては、最後の借り手として政府が公共投資をして社会を活性化することが有効だが、日本のように財政赤字が著しい場合、公共投資が不発となればさらに苦境となる。

2.近年の国家の経済発展ケースにおいて、日本・韓国・中国・台湾・ベトナムの例を取れば最近になるにつれて、各国で経済発展から成長が鈍化するまでの年数が短くなり、次第にある一国の成長期が次の新興国に移ってしまう時期が早くなっている。それだけ、労働賃金が高くなってしまった国からより低賃金の国を求めて生産移転が進みやすくなった傾向があげられる。一方で、ある国で生産工程の垂直的な一連の工程を組み立てた場合、より長く資本がその国に留まることになる。(例:iPhoneの製造工程をほとんどを中国で担うなど。)

3.国の発展は貿易量で決まったり、保護主義か重商主義かで決まるのではなく、内需の発展が最も重要で、今までの経済成長と遂げた各国は多くの国内産業への保護主義的な部分と開放部分を用いて、国内産業の育成を保ちつつグローバリゼーションの扉を開いてきた。

4.2国間の金融市場でお金の移動が制限されているときは、貿易収支が通貨平衡でバランスされたが、金融市場が国際化すると2国間の資本の移動は貿易よりも金融市場での取引量(日本企業や国民がアメリカの国債や社債を売買する量)の方が大きくなり、通貨平衡が貿易収支と釣り合わなくなった。

途上国へ労働機会が移管すること

5.情報伝達の技術革新とグローバリゼーションによって、国家間のサプライチェーンがさらに分業化されるようになった。物流が今ほど可能でなかったときは、モノは地域内での地産地消そして広域に国内で流通した。それが国際貿易が発展すれば、ある国で材料から作られた最終製品が他国へ売り買いされるようになる。(自動車を部品から日本で造ってアメリカへ完成した車を輸出する。)そして現在では、生産工程の一部を切り出して低賃金の国へ移管されるようになり、国と国の間で中間生産物が貿易される対象になって複数の国がサプライチェーンで複雑に繋がれることになった。途上国は、高度な技術や生産能力を身に着ける前に、国際貿易の一部に参画することが可能になった。

6.先進国と途上国の間では、一製品の中で高付加価値工程だけが先進国に残り、低付加価値工程が途上国へ移ることになった。高付加価値工程は、例えば企画とデザインなどの設計、そしていったん生産や単純労働工程の低付加価値工程は途上国で実施され、最終製品のマーケティングや販売などが再び高付加価値工程として先進国で実施される。この構造の深化によって、先進国側にはより高度技術人材のみが求められるようになり、それに付随して、企業では求められる標準的な教育水準も上がっていく。(アメリカでは一部の高度技能な職種でPh.Dを取ることが習慣としてほぼ標準化するなどの現象がある。)教育には資金が必要なため、教育の差がより経済格差を助長することになる。

7.以前は、市場で求められる高度技術が無い人材でも、国内で単純労働の仕事が与えられたが、相対的な低度技術労働が低賃金労働者を有する途上国に奪われてしまった。さらに先進国では物価が高いため、非高度人材は糊口を凌ぐことができない。先進国の労働者は、生活していくのに求められる可処分所得がまったく違う国の労働者と仕事の機会を競わなければならない。
ちなみにある一つの国での貧富による生活水準の違いよりも国と国の間での生活水準の違いの方がよほど大きい。

8.グローバリゼーションで自由貿易が取引の枠組みとして進んでも、労働市場の国際的な自由化は遠い道のりである。先進国で高度技術を身に着けられなかった労働者が、単純労働を求めて途上国に移動することができるだろうか?言語の壁と、文化の違いと、物理的な親戚家族友人との触れ合いを断ち切れるだろうか?新興国は、自国民を先進国並みに豊かにする目標へまい進しているのに、先進国から来る非高度人材の外国人を受け入れるメリットがあるのだろうか?国家間で自国民の移動と移住をどう合意できるのか?

9.WTO・GATTウルグアイラウンド以降の多国間貿易における最恵国待遇(Most favored nation treatment)の原則は、例えば日本がアメリカに製品aに対し関税を5%にしたら、他のすべての協定参加国に同じ待遇を与えるものだが、同じ製品aに中国が他国への関税を10%に保ったままの状態があり得る。製品aという観点から見れば参加国間で不平等な関税率が設けられることはWTO原則に基づいた大型経済協定の問題点であり、トランプ大統領が2国間協定を選択したい理由の一部である。
例えば製品aを製造する事業者にとっては、中国製品aは5%で輸入されるのに対し、現地消費者の購買力やマーケティングなど他の様々な要因が大いに関係するにしても、関税という観点では自分の製品を中国に同じように輸出できない状況は不平等だと感じるだろう。

10.自由貿易主義と保護主義では、自由貿易をしたときの影響度合いの測り方の違いにある。自由貿易主義においても、自国の労働者の労働機会が他国製品からの輸入で奪われてしまう損失は認めているが、自由貿易を好ましいと考える人は、自由貿易では低賃金労働国にコストを移管することで、コストを浮かせることのできる自国の企業の利潤の方が、労働機会を奪われた家庭の損失よりも大きい、と家庭の労働者が自国で他の労働機会を見つけられる前提も含めて見積もっている。
実のところ、TPP(現在のCPTPP)の試算では、途上国側には既存の貿易商品においてより大きなマーケットに進出できるメリットからGDPへの加算が認められるが、先進国側には既存の商品におけるGDPへのメリットは無く、新しく設置するIntellectual Property(知的財産)の取引による利益のみがGDPに上積みされるだけという試算である。

11.あらゆる経済理論において同じことが言えるが、自由貿易論を信じる理由に挙げられる比較優位論などの理論を導くために置かれた前提を体現できる世界は存在しない。実際の世界はもっと複雑で動的な世界だが、経済理論学者が政治の世界に巻き込まれて極端な理論が政策の裏付けに使われるのは、経済理論学者の役割に当てはまらないことがある。むしろ経済学者はいかに理論に比べて実際の世界が複雑で、ある一つの政策には前提を基に経済的なメリットとデメリットの両方があるかを世の中に示していく姿勢が必要だ。

12.ある国でグローバリゼーション(自由貿易、金融市場の開放、労働力の自動移動)・民主主義・国家主権の3つを同時に満たすことはできない。EUは域内経済統合のグローバリゼーションを進めたが、その一端で域内国間で主権に干渉する問題を招いてしまった。(なぜギリシャの財政政策をドイツやフランスなどに決められなければならないのか、ギリシャ国民の生活がなぜ他国民の納税者への債務と関係するのか。)均一通貨市場と整合性を取るにはEUをほぼ一つの国家として扱うような仕組みが必要だが、歴史的な時間を紡いできた各国が合意できるような仕組みはほぼ存在しない。

無理解のまま自由貿易を提唱すべきでない

以上の理解や問題点を踏まえて、TPPやRCEPなどの大型自由貿易協定を考えてみると、これらの協定は途上国に有利であり、先進国では国内産業を途上国に奪われる動きを加速させるものという印象が強くなりました。例えば農業が低賃金労働者国に奪われたとき、農家が国内で今までの利益かそれ以上の他の仕事を見つけることができるのか?と言われると難しそうであることも想像できます。
ちなみに日本はTPPに当初は反対の姿勢でしたが、アメリカが反故にしてしまったためなぜか逆に旗振り役になったような経緯に見えましたが、最新の政府方針は賛成なのでしょうか。

また国の仕組みとして、相対的な非高度技術労働(中~低度技術労働)についてたとえ他国に移管が可能であっても、自国の中で非高度人材に労働機会があって生活できる国であるべきだと思います。それが保護主義政策で達成されるべきなのか、それとも自由貿易によって利潤を獲得した企業から、その利益が税収入や社会保障的に社会へ還元されることによって成されるべきなのか分かりませんが、先進国において自由貿易で獲得できる利潤が大きい訳でなければ、お金の渡る経路が長くなって中間コストもかさむことが予想されるので、保護主義的な政策で直接現在の労働機会が守られる方が家庭が守られるような気がします。

あくまでも自由貿易vs保護主義というの乖離した2派ではなく、例えばBrexitにもみられる通りEUから脱する合意文書がむしろどのようにEU規定を残せるべきかと定義しているかのように、国内の産業を維持したまま自由貿易の協調性を保つようにする両面の政策になるべきである、というそもそもの考え方について納得できました。

しかしながら、トランプ大統領が支持されるべきかと言われると、彼の政策が整合性を欠いていることや、発言が差別的攻撃的であること、国際協調を損なっている点からして将来的な利益に与しない政治家という印象です。

補足:グローバリゼーションにおける国家や国籍の曖昧さについて

グローバリゼーションの進展によって、例えば現在日本人の私がシンガポールで仕事をしているように自国以外の国で生活することが比較的容易になりました。前述したEUのような域内統合が進んだ例や、シンガポールのようなもともと多民族国家で外国人労働者を多く受け入れている国を見ると、国家の輪郭や個人の国籍が以前より曖昧になっていることが感じられます。

人が移動すれば、国際結婚や違う民族同士での婚姻機会も多く生まれ、シンガポールの友人では両親の民族が違うことが多くあり、ハーフというよりも、そもそもNationalityやEthnicityを定義することが無意味に思えるような血筋の人がいます。私のように出生国が日本で日本人の両親から生まれ日本で育ったようなタイプには国籍=日本が単純明快ですが、あらゆる民族と国籍の人々が交じり合い、一生の中で国家間を移動する世の中で、国籍はアイデンティティの一部に成り得るのかという疑問さえ生じます。

その一方で、日本人として外国にいると、日本人国籍がどれだけ価値があるものか身に沁みます。日本製品ブランド、日本人の仕事の質への信頼は厚いですし(効率が悪いことはあるかも)、ビザ無しパスポートのみで渡航できる外国の数も世界一二を争っていて日本が過去から積み上げてきた外交努力の結実だと感じます。このグローバリゼーションの時代において「国籍」が曖昧になっているにも関わらず、私は日々自分の日本国籍によって守られていると感じるのです。

パスポートの1ページ目を読んだことがある人は、胸を熱くした人もいるのではないでしょうか。パスポートの最初には、日本が国家として国民である保持者のためにこう記載しています。:

「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。
日本国外務大臣」

日本が外国と積み上げてきた合意のおかげで、出張や個人旅行が簡単にできるだけでなく、外国で万が一の緊急の助け必要としたときに日本と連携してくれたりするのです。

例えば2020年春のコロナ騒動で思い知らされたのは、私が外国で病気になった場合、私が最後に助けを求めることができる唯一の国は日本しか無いということです。各国が自国民を他国からチャーターなどで引き揚げているのを見たとき、国の庇護のもとにいる国民の存在と国籍のありがたさを感じました。

日本国内にいるときにこれだけ強い日本のブランドなど国家の恩恵を感じられなかったのは皮肉なことですが、今海外にいてやはり日本が好きですし、日本人の家族や友人たちが好きなので、微力ながら日本が豊かになれることに貢献できる人材になりたいと思いました。

どうか日本で暮らす人が元気で笑顔の国でありますように。

尚、この国籍の概念に対して、日本の制度では、日本人が外国居住者(国内非居住者)の場合は所得税を払わなくて良い、という現行制度の寛大さはすごいと思いますが、国籍を保持している以上死ぬまで最終的な保護を与えているのだから、アメリカのように他国に居住しても所得税を払う仕組みにしても良いのでは?と思います。(税率はある程度割引されるのが喜ばしいですが、誰かこの国籍の価値を貨幣価値に換算して納税義務に換算できないでしょうか。)

とりあえず、目下今週末はシンガポールのドン・キホーテとDAISOと無印とユニクロで買い物をして日本企業の売り上げのために散財できそうです。。


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