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宮沢賢治 やまなし 本質の解明 12

8 主題はカニの兄弟と父親から見える

 これまで、「やまなし」にまつわる数々の謎を自分なりに解明しましたが、「この作品の主題は?」と聞かれると、回答に困ります。ただ、主題なので、あまりごちゃごちゃ考えず、基本的には主観的なものでよいのではないかと思います。

 数々の宮沢賢治作品を通してこの「やまなし」に凝縮された思想を読み解くと、様々な主題が浮かんで来るのは当然であります。でも、そこはやはり登場人物の心情や読み手がダイレクトに受ける印象から主題を捉えるのが自然です。

 これまでの考察から、カニの兄弟は、暗く不気味で恐怖と隣り合わせの谷川の底で父親と暮らしていて、父親は、子どもたちに希望を与えるためにその現実を隠すわけでもなく、何とか自分たちの力で未来を輝かせてほしいという願いをもって彼らと関わっていること

 が分かります。私はこれが主題でよいと思います。

 人の生というものは、極限の過酷さと隣り合わせでありながら、本当の希望や生命の輝きというものは大それた成功や歓喜ではなく、目の前にある些細な日常の中に存在している1つ1つのことだということ。そのようなことを伝えたかったのだと思います。

 この作品、実は宮沢賢治自身もその世界に入り込んでおり、「創作」ではなく心に映し出された映像を言葉で書いているようです。まさに「心象スケッチ」であることを覗わせる表現があります。
 
 それは、やまなしが落ちてきたあとの「なるほど」という一文です。この部分だけは、客体的な立場であるはずの語り手が思わず心の声を漏らしてしまっています。

 このことからも、やまなしが象徴する自然の神秘がいかに尊いもので、幸福を与えてくれる存在であるかが分かります。

 宮沢賢治自身も「五月」を書きながら重く憂鬱な気持ちになっていたのでしょう。そこに、やまなしが、やまなしの側から登場してきてくれたことに素直に喜んでいるように思えるのです。

 やはり、主題というものは、最も読者の心を動かす部分から捉えるのがいいでしょう。様々な要素が入り込んでいる謎解きの面白さもありますが、主題に関しては、誰もが共感できるものでしょう。

 ちなみに、人間の世界でも「五月」は憂鬱な気分になりやすい時期でもあります。また、「十二月」は、次の年がやってくる直前でもあり、新年への期待と希望が、気持ちを前向きにさせてくれたりもします。

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