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宮沢賢治 やまなし 本質の解明 11

⑦金剛石

 この言葉は、最後にのみ用いられています。しかし、非常に重要かつ彼の思想の真理にもっとも近いものの象徴でもあると考えられます。本文では、

  波はいよいよ青白い焔をあげ、
  それはまるで金剛石の粉を
  はいているようでした。

 と、ここでまたもや青白い焔の波です。その直前にも「いよいよ青い焔をあげ」と言っているので、波というものが、全ての力動に共通する性質であることを理解していれば、彼らの胸の高鳴りや命の運動の増幅する様子が表現されていることに気づくことができます。

 では、金剛石は何か、どんなものを象徴するのか。そのヒントは「十力の金剛石」という作品で概ね理解することができます。私もこの「十力の金剛石」を知ったのはつい最近で、こんなに素晴らしい作品があったのかと驚きました。

 この「十力の金剛石」は、王子とその友達が、城を抜け出し、金剛石を探しに虹のふもと目指して探検に行く話です。森へ入ると雨がふり、鳥に導かれて宝石でできた草花に出会います。素晴らしく美しい描写なのですが、それらはどこか暗く、悲しみに包まれています。その訳は、「十力の金剛石がまだ来ない」ことにあります。そして、最後には十力の金剛石が降りてきて、生命の本当の輝きを取り戻します。

 十力の金剛石については、完全に目には見えない本質の世界を描いているので、頭で考えても理解に苦しみます。「波」が物質の根源である螺旋構造を表しておりましたが、「金剛石」は、それらただの「波」たちに確かな意味を与え、豊かさを味わうことを可能にし、全てに備わる力の本物の輝きを放ちます。

 つまり、「波」は彼らを取り巻く世界の現象のみを表していて、「金剛石」はそこに肯定的な意味を見出す活動を表すのです。
 これは、ほんとうの幸いとは何か、その答えにかなり近い思想ではないでしょうか。
 ちなみに、初稿の「やまなし」には最後の「金剛石の粉をはいているようでした。」はありませんでした。推敲を重ねた上で、明らかに必要性をもって付け加えられた最後の一文であること知ると、その重要性が増してきます。

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