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創作:本当のヘルタースケルター

おそらくは、深い夜。または、まもなく夜明け。
正確な時間はわからない。

5人の少年の像が、魚と戯れ、水に動きを創り出している。
雲の変化のない青空は、決して夜にも朝にもなる事がない。
開放的な空間を目指した浅いドーム型の天井の向こう側には、閉店した書店が見える。

ヤナガワは、地下街の噴水のヘリに腰かけていた。

こんな時間の地下街に、彼は入り込んだ事はなかった。

挨拶を無視する奴を許せない。
ありがとうを言えない奴は死んだらいい。

一日の間、心の中で何度も悪態をついて、その果てに、ヤナガワはこの噴水にたどり着いた。

「どこから来たのよ」

40歳前後。赤色のタイトドレスを着た女が横に座り、ヤナガワはそう話しかけられた。

「わからない。ただ、ここに来なきゃいけない気がした」

ヤナガワがそう言うと、女は大声で笑った。
カラカラと笑う笑い声は、地下街に反響して跳ね返ってきた。
かつて、援助交際の待ち合わせ場所として知られたこの噴水は、都市の影。女の笑い声は、男に騙された自分への嘲り。

黒目しかない女の目に、ヤナガワは何の違和感も抱かなかった。

「どこから来たのよ。坊や」

「どこから来たのかなんて、意味がない質問だよ。俺は誰でもないのだから」

今度は、ケラケラと女は笑った。

「繝ャ繝峨?繝はクソッタレでマザコン野郎なの。男らしさってのを、見せびらかしたかったんだよ。アタシはあんなクソ野郎は勿論、くだらない縺ョ豕牙コ??エ女ともつるまない。自分の足で立てる奴らだけと一緒に立つんだ」

言っている意味はよくわかる。それを言いたい気持ちも、ヤナガワはよくわかっている。

「愛とは触れるものだよ。目に見えずとも触れる事が出来るのさ。俳人にインスパイアされたイギリス人の言葉だよ」

それを言ったのは、ヤナガワに似た男だった。
そして、その男は「静かにしなよ」と女に囁いた後に、彼女の手を掴んだ。すると女は静かになって、ただ、「殺す......」と呟き、その場を立ち去った。

「ああいう手合いは、近づきすぎるとカミソリになる」ヤナガワは現れた男に声をかけた。

「そうだな。それはそうと、いつか来ると思っていた。けれども来ないから勝手に許されたと思っていた」男は、さっきまで女が座っていた場所に腰をおろして言った。

男の表情からは、少しの戸惑いをヤナガワは感じた。
けれども、それ以上の感情は読み取れなかった。
罪悪感や恐れ、焦り、それから困惑というような事は、感じていないようだ。

「今、何をしている?」
ヤナガワは、男の方を見ずに言った。

「決まっているだろ。何もしていないさ」

男は、煙草を取り出し火をつけた。「地下街は禁煙だ」と、煙草をすすめてきた男に、ヤナガワは今度は一瞥して、窘めた。そして
「だから何をしているんだ」ヤナガワはもう一度静かに言った。

「頭をつかっているだけだ。たいしたことではない」

「まぁいい。俺が来たという事はわかるよな?」

「バカじゃないんだ。わかるよ」
そう言うと、彼は吸ったばかりの煙草を床に押し当てて立ち上がった。

「もうすぐ始まるんだぜ。黒人と白人の闘いなんて目じゃないさ。そんな事はチャールズの戯言。俺達にとってのヘルタースケルターってのは、人種や性別でもない。自分と自分と自分じゃないモノが慌てふためくだけなのさ」

これらの感情はすべて本物ではない。

Then you better stop trying
Or you're gonna play crying

噴水の水は、溢れることはなかった。

おわり


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