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Torn エレベーター2

前回の話 tornエレベーター1

 俺はまじまじと穴が開くほど天井を見ていた。ふうっと、ため息をつく。見た事のある天井の正体に気がついた。「あぁ。実家に泊っていたんだ」と心の中で呟いた。
「いつまで寝ているの!」
 母の声だった。いつまでも子供扱いをされているが、40歳の俺はそれを気にするような歳でもなかった。それを受け入れる事も親孝行だと思っている。
「夏休みになったからといって、だらけすぎ。高校生になったのだから、何かはじめなさいよ」
 起き上がった俺は、母親の言葉と顔を見て立ち竦んだ。少し若い。俺は意味なく首を動かして、キョロキョロと辺りを見回した。
「何しているの? 味噌汁温め直して、はやくご飯たべてちょうだい。片付けできないじゃないの」
 夢の中ようで、夢ではなさそうだった。俺は自分の瞼がひきつったのがわかった。そして、すごく気持ちが悪くなった。自分の身体から、魂が上に伸びあがっていくみたいな感じがした。
 俺はエレベーターで会った老婆の言葉を思い出した。「次にあなたが目覚めると、あなたの望みは叶うでしょう」あり得ない事だが、俺は時間が戻る事を望んでいたのかもしれなかった。
「なぁ。俺の歳はいくつ?」
 母親は呆れるというよりは、少しムッとなった表情になった。
「何言っているの! 今年16歳よ。大丈夫?」
 俺はそれには何も答えなかった。
「これ、コウキの本か?」
 テレビを観ていた父親が、見た事のある文庫本を手に取っていた。俺は両親が本を読んでいるのを見た事がなかった。俺も昔から本は読まない。父親が手にしているそれは、リンカが友達に借りた本だった。
「高校生になって本を読むようになったのか?」
 そう言って、父親はパラパラとページをめくっていた。
「まぁ、ほどほどにな。本を読んだからといって必ず賢くなるわけではない。時々いるんだよ。会社でもな、仕事ができない奴に限って、本を読んでいるアピールするんだ。くだらん連中だよ。まぁ中には本好きの取引先もいるから馬鹿にはできないけれど、大事なのは勘違いしない事だ」
 俺は、父親の説教癖を疎ましく思っていたが、改めて聞くと、父親なりの人生訓なのだろう。間違いではなかった。確かに、俺が知っている元の世界の人間にも、そういう勘違いをしている連中はいた。自分の弱点に目を向けず、ひたすら誤魔化すことに専念しているような人間達。そう思いながら、自分はどうだろうと俺は思った。俺だって、そうだった。自分がしたい事など考えもせずに、ただ流されるように生きていた。それに比べて、父親は大企業で働いていて、詳しい地位や、仕事内容は聞いたことはないが、年収は俺が高校生の時には余裕で4桁を超えていたという。年収で人間性を測る事はできないが、人となりの目安にはなる。その点で言えば、父親は企業人として成功している人間だった。40歳の俺はそう思っている。
「それは、借りている本だ」
 そう言って、俺は文庫本を奪い取った。この本を書いた人物はまだ生まれていない。つまり、この世に存在していない筈の小説だ。もし、これを丸写しして、出版社に持っていけば、俺が書いたことになるのだろうか? そんな事を考えたが、書き写す作業が面倒だ。そう思っただけで、俺は読む事もしないだろう。
「あんた、今日花火大会に行くんでしょ?」
 母親が意味ありげな笑顔を浮かべてそう言った。そんな事を言われても、俺は困るだけだった。何十年も前の自分の予定など憶えているわけではなかった。
「昨日、電話のあった女の子と出かけるんでしょ?」
 高校一年生。花火。女の子。
 忘れていない。そうか。アキヨだ。俺がアキヨを誘った。それなのに、あいつの方が俺に念押しするために電話をしてきた。まだ携帯電話が普及する前だった。
「うるせぇ」
 恐る恐るだが、高校生らしい口のきき方を俺は試してみた。と言っても、実際に俺は高校生なのだ。そう思うと、腹の底が震える感じがした。何でも自由に、望みを叶えられる力を得た気分になった。何がしたい訳ではなかった。それは、元の俺の大人の責任から解放された気分の延長にある、開放感に近いとも思った。
 俺が「うるせぇ」と言った後、両親は顔を合わせていた。まるで「コウキもそんな年頃になったな」と言っているようだった。俺にはわかる。俺も親になってヨウスケの成長を見てきた。
 待てよ。そこで俺は考えた。俺が過去に戻ってしまったら、ヨウスケはどうなる? 俺は同じ人生を歩まなければ、ヨウスケに会う事ができないのか? リンカと出会って、同じ時間に愛し合って、そうしなければヨウスケは生まれてこない。そんな事を考えると、俺はとんでもない事になったと思った。


つづく

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!