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ないものねだり

 息子の浩平が、これぐらいの単語も憶えていないものかと雅恵はイライラとあせるだけだった。しばらく黙って雅恵の顔色をうかがっていた浩平だったが、もうどうでもいいと思ったらしく口を開く。
「ねえママ。ぼく、お外であそびたいな」
「だめよ」と、彼女はぴしりと言った。「これが終わってからよ」
「だって……」浩平は不満そうに口をとがらした。「だってさ……」
「だってじゃありません」 浩平は沈黙した。彼がふてくされているのが分かったが、雅恵はかまわず続けて日本語で単語を読み上げ、それを浩平に英語で答えるように促す。
「もう一回言ってごらん」雅恵は冷たい目で息子をにらんだ。
「ママ……」浩平は泣きそうな顔になったが、唇をぎゅっと結んで泣かなかった。雅恵の「もう一回言ってごらん」には、逆らえないことを、この小学生は知っているのだ。
「エントランス」と、浩平は小さな声で同じ答えを繰り返し、雅恵はがっかりした。
「全然違う。もう一度例文を読むわよ。しっかり聞いてね。『東京都のイリグチは日本で一番多いです』はい。入口は英語で何というでしょう?」
「エントランス」
「違う。もう一回言ってごらん」
「ママ。もしかして漢字読めない?」

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!