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瞑想✕デス

 わかった事を書きます。
 誤解を恐れずに書くならば、僕は死にたいという事がわかりました。これは真理の一片であり、そう確信する事でしか腑に落ちないから書いています。
 確実な事といえば、死ぬという事だけ。死ぬという事を知っているから、色々と考えるのです。人間以外の動物、もしくは、僕以外の人間が、自分が死ぬ事を知っているのかは、僕にはわかりません。想像ですが、死ぬ事を知らない生物は、今という瞬間を連続して生きるのではないかと思います。死ぬ事を知らなければ、未来に期待も不安もしないのではないかと僕は思うのです。死という最後を知らなければ、刹那に終わる今しか生きられないような気がします。本来、僕達もそうやって生きているのでしょう。
 感じたい事というのは未来です。現実を感じる度に、僕は次の現実の事を考えます。自分が何を感じたいかを知る事で、未来の現実は選べるという事です。
 死というのは、確実な未来です。その死に対しての感じ方を決める事で、次々にやってくる現実は選べるという事でしょう。
 死にたいという事は、自分の思うように死にたいという事です。それは生きる事と呼び変えられるのです。

 死に恐れを抱くと、現実は不安でしかありません。
 死に安らぎを見出すと、現実は心地よいのです。

 こう書くとわかりやすいかもしれません。二ヶ月ぐらい瞑想して、考えてわかった事を書きました。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!