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僕の考えるお茶の価値

僕の考えるお茶の価値。

実は今、途轍もなく、途方もないくらいに経営が苦しくて、どうしても気持ちが沈みがちな現状だからこそ、4年前の今頃、初めてオンラインショップでお茶が売れた時に書き記したことを、改めて見つめ直してみました。


お茶は、「余韻」を創る。「暮らし」に寄り添ってくれる。

初めてお茶が売れた時、僕は次のような思いを文章に書き起こして、手紙として同封しました。
当時の文章が残っていたので、そのまま記載します。


「この度は、数ある日本茶商品の中から末吉製茶工房のお茶を選んで頂き、本当にありがとうございます。
末吉製茶工房の又木健文と申します。
少し長くなりますが、このご縁への感謝の気持ちを込めて、私たち末吉製茶工房の想いを綴らせてください。

今回初めて末吉製茶工房のお茶を飲んでくださる方、リピーターの方、大切な人への贈り物として購入してくださった方、自分への贈り物として購入された方、色々な方がいらっしゃると思います。

皆様一人ひとりの、そして皆様の大切な方々の日常や生活の中に、末吉製茶工房のお茶が溶け込み、《お茶のある暮らし》が生まれ、そこから更に、皆様にとっての《余韻のある暮らし》を一緒に創るお手伝いができれば、とても嬉しく思います。

私たちの考える《余韻のある暮らし》の『余韻』とは、「ぷつん、ぷつん」と途切れながら続くのではなく、「静かに、でも確かに繋がって」続いていくことです。

いつもの暮らしの中にそんな『余韻』が生まれれば、例えば、ぎすぎす、くたくた、いらいら…
そんなネガティブな気持ちが生まれてしまった日々にも、穏やかな瞬間が訪れると思うのです。

一つひとつ、少しずつでも穏やかな瞬間が増えていけば、きっと明日は今日よりいい日になるのではないでしょうか。

日本茶は、そんな『余韻』を創る可能性に満ち満ちていると思うのです。

末吉製茶工房の商品には、飲むときのおすすめのシーンや、淹れ方の目安を記載、同封しています。
でも、必ずそれに従った飲み方や淹れ方をしないと美味しく飲めない、なんてことはありません。
おすすめはあくまでもおすすめ、目安はあくまでも目安です。

お茶の淹れ方に正解なんてありません。

あなたが、また、あなたの大切な方が、それぞれ好きなように決めてしまっても大丈夫なのです。
日本茶は、もっと気軽で、自由で、身近で、一人ひとりの暮らしに寄り添ってくれるものだと、私たちは考えます。

私たち末吉製茶工房は、これからも、たくさんの癒し、美味しさ、小さな幸せ、そして『余韻』を、届くべきところに届けられるように、お茶で繋がることができた皆様にいつまでも応援していただけるように、精一杯、目一杯精進いたします。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。
このご縁に心からの感謝を込めて。」


今でも、ほぼ同じ文章を書いた手紙を同封しているので、うちのお茶を購入してくださったことのある方は、なにやら見覚えのある文章だったかと思います。

この文章、もちろん4年前の僕は、4年後も同じように手紙として同封するとは思っていませんでしたし、4年経った今、改めてここが出発点だったなと感じます。

冒頭でも書きましたが、今、途方もなく経営が苦しくて、今年はお茶作りができても、来年もお茶作りができるかは正直、わかりません。
明るく振る舞った方が、自分にも周りにもいいだろうと、これまで表立ってお話したことはありませんでしたが、綱渡りの経営が、実はずっと続いています。

長いトンネルの先に見ている光も、ただの思い込みかもしれません。
苦しいと、どうしても気持ちが前を向けなくなる時があって、最近が正にそういう状態に陥りがちだったのですが、ふと、自分の思いを綴った文章を読んで、僕の考えるお茶の価値を再認識して、原点回帰、初心に立ち返ることの大事さを感じました。

もちろん、お茶の価値は上に書いたことだけじゃなくて、いろいろな捉え方があること自体が、価値の一つだと思います。
ただ、このタイミングで自分自身の認識や、出発点はここだったなと、再確認できたことは大きいなぁと。


やっぱり僕はお茶作りがしたいから、お茶の価値を広めたいから、まだまだこんなところで諦めるわけにはいきません。


お茶は「余韻」を創ってくれる。
一人ひとりの「暮らし」に寄り添ってくれる。


お茶が飲みたくなってきたので今日はこの辺で。

また次の記事で会いましょう。

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