見出し画像

恐怖心…他の保護者が苦手/不登校という勇気ある選択

※画像は「ちーぼー様」からお借り致しました。有難うございます。
ーーーーーーーーーーーー

私は“保護者”という立場上、
どうしても
学校や【 保護者懇談会 】や
【 父母会 】
に出なければならない。

しかし、出来れば…
と、言うか…
学校には行きたくない。

学校や他の保護者の方々が
悪い訳ではなく、
私が勝手に怖いと感じるだけだ。

恐怖感は懇談会などの1週間前から
頭痛、吐き気、めまいが始まる。
気持ちはソワソワ落ち着かず、
夜は眠れなくなる。

生まれは名古屋。
小学校入学直前に、
突然の引越しでとある
訛り言葉のキツい田舎へ。

いわゆる「よそ者」の私は
友達も出来ず、
訛り言葉の意味も分からず
小学校、
中学校と9年間イジメられっ子
だった。

現在、
仕事は全く問題なく社会人として、
大人同士として出来る。
話せる、意思疎通も出来る。
メンタルも安定しているどころか、
部下もいる役職にもついている。

・・・でも、

保護者の立場になると、
“ 懇談会 ”
と言う場にいるだけで
手が震え、ボールペンの字が
読めないほど震える。
茶話会でお菓子が出される。

…そんなの要らない。
…怖い。
…早く終わって。
…ここから逃げたい。

明らかに緊張して何も話せない私に
「楽しめば良いよ」と優しい声を
かけてくださる方もいる。

申し訳ないくらいに、
その時の私はパニック状態になる。
フラッシュバックなのだろう。

保護者の中にいると
大昔のイジメられっ子に囲まれた
時の蔑むような沢山の目や
罵倒された事や毎日の嫌がらせが
一気に思い出されて、
脳内に流れ込んでくる。

…親にも先生もアテにならないと
知ったから、その恐怖心に負けじと
通い続けた学校。
当時のその選択が、
きっと間違いだったのだろうと思う。

学校に通い続けると決めた事も
誰にも相談しない事を決めたのも
9歳の私だった。

やり直すわけにはいかない過去だから
この心身に刻み込まれた恐怖心を
引き連れて、背負って、
それでも良いと思いながら、
この先も歩んでいくしかない。

幼かった私の決めた事を
後悔しない“ 今を生きたい ”

ただ、思うのは、
やはりイジメの記憶は消えない。

だから、
子供達には不登校を
許して良かったと思う。

…子供達は9ヶ月の不登校を経て
自然と学校へ戻って行った。

心の傷も応急手当の速さが
社会復帰の確率を高めるのかな?と、ふと思いました。

※この文章は
不登校を推奨するものではありませんが、不登校は多くの言葉や処世術が
身についていない子供達の問題提起
(アンチテーゼ)だと捉えています。

いいなと思ったら応援しよう!