努力ってナニよ
【2938文字】
昔
(昭和)は
「努力すれば必ず報われる」
「若いうちの努力は買ってでもしろ」
などと言って
若者に無理強いしたりする事は
むしろ年長者や目上の者の義務
ぐらいに思っていた向きがあった
努力する者は慣例的に賛美されるのが当然
という世の中だった
ひょっとすると今もそうかもしれない
いや本当の「努力」自体は
賛美されてしかるべきものだが
だいたい他人に強いる努力とはなんなんだろう
それって本当に努力というのだろうか
そもそも努力とは何なんだろうか
とある辞書
には
「ある目的のために力を尽くして励むこと」
と書いてある
つまり目的が重要なのだ
目的があやふやのまま
何らかの辛苦を重ねても
それは努力とは言わない
それは単なる「苦労」でしかない
しなくてもいい辛さ
それはつまり「苦労」であって
「努力」とは違うものだ
「努力」
という言葉には
ポジティブな印象がある
一方「苦労」はネガティブ
なので人はより聞こえの良い巧言を選択し
辛いことを全部ひっくるめて
「努力」などとカッコつけて言ってしまう
「努力すれば必ず報われる」
と言われてもそのほとんどの場合は
「苦労すれば必ず報われる」
という説得力のない言葉だという事実
ここをしっかり押さえる必要がある
「努力すれば必ず報われる」
と言う言葉は
子供のころから青年期においては
第三者からもっぱら言われる立場で
「はあそうですか」とは返答するものの
ほとんどが肝心の目的が不明であり
なぜそんな事をしなきゃならないのか
この点が明らかでない事が多い
努力しろとは頻繁に言われるが
その目的や理由を教わることはほとんどない
目的もなくただ辛い思いをするだけ
しまいには「お前の将来を思って」などと
予知能力者のようなことを言い出す
そんな言葉で強いられるのは絶対に違う
北朝鮮には強制労働という事実がある
この人らにも国家が与える理由があり
本人の意思に反してそこに居るのだ
強制労働者が働く姿を見て
「あの人たちは努力している」
などと言う人がいるだろうか
努力と苦労をはき違えてる人が大勢いる
若者に無理強いする年長者も
これは努力だと信じて
盲信的に苦労だけ重ねる人も
今一度考えてもらいたい
しなくていい辛さ
のことを「苦労」というなら
しなきゃならない辛さのことを
きっと「努力」と言うのだろう
ちゃんとした確固たる目的があり
そこは避けて通れないという場合
慣れないことでも理不尽なことでも
人は辛さ覚悟で飛び込んでいく
それを決めるのは誰あろう
自分自身以外にはあり得ない
なので「努力」というのは
他人に言われてする事ではないのだ
自身の価値観や運命や夢などを
すべて己で総合的に判断し
己の目で目的がしっかり見えた時
努力に値するかどうかがやっと判断できる
努力とは
他人に努力しろとか努力が足りないとか
言われる筋合いのものではないのだ
もう一つ
勘違いされやすい事がある
「努力」と「苦労」が別物であるように
「努力」と「結果」も無関係だ
結果が出なかったのは努力不足だったから
と言う表現は自分自身に対して以外
決して口にしてはならない
努力をするかしないかを判断したのも
その努力を実際に行ったのも
すべてはその当事者である以上
努力不足だとか
もっと頑張れだとか
第三者が図々しくも
踏み入って語る種類の言葉ではないのだ
そもそも
「努力」と言う言葉を解釈する範疇に
「結果」は全く関与しない
結果が良くなければ努力とは言わない
と言うようなことは全くないのだ
結果がどうであれ
目的に向かう過程で
あらゆる辛苦を味わったすべての者は
「努力した人」と言われる権利がある
実は
個人的な意見として
果たして本当に努力は辛い事なのか
という疑問がある
前提として何度も言うが
辛そうにしている人は
努力をしているというよりは
苦労している人である
ここで言ってるのは
努力をしている人に限っている
さて
第三者が努力する人を見た時
大変忙しそうには見て取れるが
辛そうかどうかというと
どちらかというと
とても集中力が高まっている
というように見えないだろうか
チープな例え
で申し訳ないが
嫌々ながら掃除を始めた人がいて
その人はやはりダルそうに作業をする
この時点で彼にとってこれはただの苦労だ
しかし窓を磨く段になって
何やら無心にガラス面を眺めては
ある一点を集中的にこすったり
または他のガラスを斜めに見たり
息をかけて再びこすったり
突如として窓枠に取りすがり
外面のやっと手が届く辺りを
身を乗り出し無心に磨き込んだりしている
この時点で彼はきっと
ガラス磨きという行為に集中している
まるでガラス磨き職人かのように
厳しい目でガラスを見つめ
どんな汚れがどんな場所にあっても
それがやっと手が届く場所でも
足を踏み外せば骨折は間違いない
そんな危険な場所でも
彼は磨く
これは第三者が見れば
「おー頑張ってるね、でも気を付けてよ」
となるが当の本人はどうだろう
きっと彼は人が見ているより
辛い思いも頑張ってる感も
実は感じてないのではと思う
目的がある場合の苦労は
必ずしも辛いとは限らないのだ
人は
努力というと
シングルマザーが我が子に
少しでも苦労をかけまいと日夜働き
自分はさておき子供に食事をとらせ
己の少々の体調不良を押してでも
一定水準の生活レベルを保つお母さん
といったステレオタイプのイメージを持つ
決してこの母親を否定しているのではない
当然このお母さんは愛情にあふれ
頑張る目的を明確に持っている
このお母さんの場合
紛れもなく「努力」していると言っていいし
当然ながら賛美に値する
しかし
努力はこのように
全てが辛く悲しげなもの
という訳ではない
先ほどのガラス磨き同様
僕個人の話で言うなら
この様な下手な文章を書きなぐったり
作曲やアレンジをしたりすることが
個人的にはとても好きなのである
好きなのでこれをしている間は
何のストレスも自覚していない
むしろゾーンに入ってしまっていて
本人はとても気持ちいい状態にある
そんな作業中に妻が
「食事できたわよー」とか
「お風呂に入っちゃってー」とか
うっかり声でもかけようものなら
本人はゾーンの空気感を乱されたと思い
不機嫌極まりない返事しかしない
ノッテいるときはトイレだって我慢し
睡眠時間などもったいなすぎるので取らない
気付くと日が沈んでたり昇ってたり
そんなのは当たり前で
完全に時間の感覚を超越した場所で
ただただじっと作業をし続けてるのだ
それは
他人からはどう見ても
楽そうな状況には見えないようだが
本人はいたって気分上々でやっている
これを本人は「努力」とは言わない
他人から見た時にやっと「努力」に見えるのだ
努力には時々
精神的辛苦とは縁がないケースもあるので
どうせ努力せねばならないのであれば
「努力すれば必ず報われる」というより
「ゾーンにハマり続ければきっと報われる」
と考えた方がより生活に充実感が湧くものだ
言っておくが
ゾーンにハマってれば精神的辛苦はないが
体力的体調的にはその限りではないので
個々で注意してもらいたい
もし
若者や部下に
頑張って努力してもらいたいと思うなら
「努力すれば必ず報われる」
などと昭和のド根性節で語るより
先ずはその仕事の醍醐味
本当の楽しさや面白さを知ってもらう事
更に仕事が自由に出来る環境を整える
この2点に限る
ところが仕事の楽しさを探したときに
「あれ?この仕事の本当の楽しさって?」
と自分自身でも答えが見つからなかったら
悠長に上司ぶって
若者に偉そうに語ってる場合ではない
その仕事の醍醐味が分からないようなら
あなた自身がさっさと転職した方がいいだろう
目的が分からないところでは
努力のしようがない
努力のないところに充実も成功もない
前述したとおり結果は関係ない
とにかく努力できる土俵に立つこと
全ての始まりはここからだ
その土俵で努力した時に限って
きっと報われる時がやって来るものだ