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コンプラ迫害

[1622文字数]
近頃の若い奴は…
という枕詞で話し始めたら
自分も歳を取ったってことだと知っています
しかし実際に歳を取ったので仕方ないのです

近頃の若い奴は…

本当に真面目で常識的なヤツが増えました
街の治安は以前と比べずいぶん良くなり
若いのに良識的な行動が出来るので
他人様に迷惑をかける様な荒ぶる若い者が
以前と比べればグッと減った様に思います

しかしよくよく考えてみるとコレ若者に限らず
大人や社会全体が今そんな感じになっている様ですね
品行方正でお上品
昭和の頃の様に父親が飲んだくれて
隣のオヤジと喧嘩なんてことがホントなくなりました
つまりその時代までは若者も大人も
まあ実によく暴れていたもんです

今はコンプライアンスだとか多様性だとかで
「みんなが安心して安全に暮らせる社会」
「道徳と個性が重視される時代」とか言われてますが
多様性はともあれコンプライアンスってどうなんでしょう
現実と照らし合わせた時
どこか都合よく解釈されているように感じます

そもそも多様性や個性を認めるという事は
自分以外の感性や常識
文化又は嗜好性を許容するという事で
少数派の意見に耳を傾けるという事です
間違っても踏みにじったりしないという事です
本来のコンプライアンスや道徳とは
法令を遵守し善を行うという事ですが
それは時に「他人に迷惑をかけないことだ」と
少々誤認されたまま置き換えられてしまう事があります
他者の反対意見は自分を不快にさせ
それを迷惑をかけられていると認識し
コンプライアンス違反だとこじつけられたりします
大袈裟ではなくこうした事がきっかけで
少数派の迫害は引き起こされます
他者の反対意見に耳を傾けるという作業は
思った以上に難しい作業なのです

「みんなが迷惑している」「多くの人が反対だ」
「普通はそんな事しない」「常識外れだ」
こんな理由で少数意見を削除したり抑圧したりします
厄介なのはそういった事は保守的な感覚の中で
悪どころか正義として振りかざされるところです
それに対抗すれば即コンプライアンス違反
又は非常識な人 又は犯罪者予備軍
そういったレッテルが貼られたりします
これはいわゆる「数の暴力」であり
これを強要する空気は「同調圧力」と言われています

小さなコミュニティーやピアグループ
特に匿名のweb社会においてこれらは頻繁に現出します
コンプライアンスといった言葉が都合よく解釈され
マジョリティーや権力者によって誤用されると
弱者や少数派は悲惨な状況に追いやられてしまいます
ワンマン社長の中小企業や旧態依然とした自治会
学校の縦割り職員室やDVの家庭という場合もあるでしょう
つまり人が集まるところは全て
その危険性をはらんでいると言っていいんです

これは「している側」に犯意がない場合が多いので
そのコミュニティー内だけでの是正は極めて困難です
「コンプライアンス厳守」という正義の名のもとに
マニュアル化された文言の本来の意味や意義を誤解し
自己都合に寄せる間違った解釈をしてしまうのです
こんな人に言いがかりをつけられたらと思うと
悪意がない分ちょっと面倒臭そうですね

最近の若者も大人も暴れない(戦わない)主な理由は
・面倒臭いことを避けたい
・大勢から飛び抜けたくない
・戦いたくない
・正しいと思われる側に居たい
・大多数に埋もれて様子を伺いたい
・そういう風に教わったから
一見理性的で上品に見えていた人達でしたが
なんだかガッカリです

人間はこれまでずっと
マイノリティーの存在を邪険にしてきた歴史があります
それにはちゃんと理由があります
今でこそ少数派や弱者を邪険にしてはならないといった
大変理性的で崇高な意見が常識になりつつありますが
それは人間が当面命の危機を回避できるようになったからなんです
本当に回避できるようになったか
実際は定かではないのですが
少なくとも人間一人一人は
以前ほど命の危機を感じていないのは事実でしょう

その昔
人類は常に絶滅の可能性に怯えていました
1820年の世界の平均寿命はなんと26歳です
この年の日本の平均寿命はたったの34歳
乳幼児の高死亡率が平均を押し下げてはいたものの
それらが比較的解消されていた1950年の日本でさえ
まだ61歳です
※出典 http://honkawa2.sakura.ne.jp/1615.html

今ではなんでもないような病気で命を落としていた中世以前
生き残った者の責任は重大です
より多くを生かす為
大多数の都合を最優先し
より多くの子孫を残す
これは人間に関わらず
地球に住む全ての生命の基本行動です
もし少数を生かして大多数を見殺しにすれば
絶滅の危険度は跳ね上がります
生き物は基本的に大多数側の命に寛容なのです

しかし19世紀の産業革命以降
科学技術や医療技術は躍進し
人間の平均寿命は革命的に伸びました
命の危機から解放された大部分の人間は
ようやく少数派や弱者にも目を向けられる余裕が出来たのです
どうやらこれまでの常識は少し違うかも知れないと
ここ数十年でやっと気付き始めたところです

あなたの周りの
コンプライアンスを振りかざすあの人や
大多数を背景にモノを言うその人は
どこか古めかしいリーダーの香りがしませんか?
少数派や弱者に目を向けられないやり方は
もうすっかり古臭いやり方になってしまっているのです
いくらコンプライアンスとか横文字にしたって
それを少数派や弱者の頭上に振りかざした途端
古臭い専制君主の臭気が蔓延し始めるのです
無理して横文字にせずとも法令順守でいいじゃないですか
法令ならカチッと決められていますから
曖昧な解釈はあり得ませんからね

もしあなたが所属するコミュニティーで
なんらかの決定権を持っている立場であるなら
ちょっとした提案があります
会議などで大多数を最初に確認したら
少数派の意見を肯定的に抽出する時間を多く持ちませんか
多数派と見せかけている人の中には
「特に意見がない」「どっちでもいい」
「責任が来ない方に加担」というのも多く存在します
これらは実際の所その意見の多数派ではありません
いわば無責任派だったり諦め派だったり
またはそもそもその話題に興味がない派だったりもします
しかし少数派を承知で声を上げた人には
歴としてちゃんとした意見があります
そんなコシのある意見を聞いてみたくはないですか?

そんな会議が当たり前になれば
これまで黙っていた人たちも
きっと意見を出し始めるでしょう
多くの発想があればこれまでになかった
キラリと輝くものもがきっと多く見出せるでしょう
コンプライアンスをいくら叫んでも
生まれるものはほとんどありません

しかしここに危惧するべき点があります
現代人の根幹の所です
そもそも人類がマイノリティーや弱者に
目を向けられるようになったのは
命に余裕が出来たからと言いました
実際に平均寿命は延びました
しかしそれによって不都合も多く生じています

指数関数的に増加する人口
飲料水食糧難問題
貧困問題
ごみ問題
炭素排出問題
気候変動問題
そして未知のウイルスの蔓延などなど

科学や医療が発達し
それらを人間は人間の都合に合わせた利用を進めてきました
道徳的には悪い事ではありません
人を病から救い命を救い危険から遠ざけるのも
大変人道的で望ましい事です
そして数百年前であれば
現在の人口の2/3が居なくてもおかしくなかったほど
人類は人類を救ってきました
良い事をしたはずがなぜこうなってしまったのか
人間の人口爆発は
どうやら地球からは拒絶されるものも多くあるようです
この辺りからどうするべきかがとても難しい所です
何が正しいかとかどれが多数意見なのかという判断だけでは
どうやら追いつかない問題に
人類はぶち当たっているようです

もし法令や道徳心だけで乗り越えられる問題なら
きっとその他の小さな問題もそれで解決するでしょう
しかしコンプライアンスを振りかざしても
多数意見に乗っかっても
何も解決にはなりません
現在人類は有史以来歴史上最大の人数を抱えています
それぞれに都合や意見があるでしょう
今はただ頭を抱えるばかりですが
いずれひときわ輝く意見が出るかも知れません
そんな都合よくいかないと思いますか?
でも考えてもみてください
大多数の人が思いつかなかった素晴らしいアイデアは
必ず少数意見なのです

話が大きくなりすぎました
でももしあなたのコミュニティーで
ほんの少しでも何かの可能性を広げたいと思うなら
間違いなく少数意見を大切にした方が
きっといいアイデアやブレイクスルーに近づけるはずです
それでもそうするべきかどうか多数決してみます?