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福山浄化町奉行所改め帖

【12635文字】

『コンビニ絶叫騒動の巻き』
  〜第1話から第4話まで一気掲載〜

【第1話】


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今日も福山浄化町奉行所の目が光る。
街にはびこる諸悪を許しまじと、
正義と人情のお裁きで天晴一件落着!
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 日が傾き頬をなでる風がキンと冷え込み始めて来たこの季節、晴れ渡り澄んだ空気は遠い峰々の稜線もくっきりと、遠近感を無視したような近さに見せている。そんな壮大な景色を背景にそびえる五重の天守は、今日も荘厳な趣きで我々福山町民を静かに見下ろしていた。
 お城のお膝元にあるコンビニで紙パックのミルクコーヒーを細い伸縮式のストローで吸い上げながら、その威風堂々たる城の風格を満足げな表情で見上げているのは、備後福山藩浄化町奉行所筆頭奉行、福山左衛門尉元景、通称福山の金さんその人である。歳は40がらみであるが、中年の薄暗さは微塵も感じさせない若々しさがある。ひざ下まである黒いロングコートを着込み、明るい茶色のスリムジーンズで襟の高いカッターシャツを着流している。長髪ではあるが手入れが整っておりむしろ清潔感が漂う。つまりパッと見た目は芸術家風情とでもいうか、どう見てもこの人が温情厚き福山裁きで有名なあの福山浄化町のお奉行様だとは何人たりとて見抜けはしないであろう。身分を隠し市井にまみれ毎日この夕刻前になると決まって、市中見回りの途中この福山城を一望出来るコンビニに寄って一服入れるのが日課になっているのであった。
「今日もまたいい天気でやんしたねぇ。」
 金さんに話しかけたのは、いつも見回りのお供を仰せつかっている岡っ引きのハチである。大仕事はできない男であるが、一旦重箱の隅をつつかせようものなら才能を発揮し、その仕事ぶりは右に出る者がない。しかも痩せの小柄な上に猫背でいつも地味な色の服しか着ないせいか、常に街の背景に埋れてしまい存在を忘れられがちな男である。目立たぬよう探索せねばならない岡っ引きという職にこれほど適した男は居まい。
 ハチは落ち着きなくあたりをキョロキョロしながらも、金さんには気を使って話しかけたのであろう。しかし言葉に反してハチ本人が空へ目を向けてる様子は一向にない。
「ハチ、今は事件が起きているわけじゃねぇ。たまにはゆっくりこの美しい我らがお城を眺めてみちゃどうだい。」
落ち着きのないハチを見兼ねた金さんの心使いであった。
「いやぁ、オイラなんかにゃちょいとばかり眩し過ぎるようでやんす。勿体無ぇ勿体無ぇ。」
そう言いながらもあたりをキョロキョロするハチを見て、仕方ない奴だという表情で最後のミルクコーヒーをストローで吸い上げる金さんである。空になったミルクコーヒーのパックを燃えるゴミと書かれた箱に落とし、再び城を見上げた。
「毎日この町がこんな風に平和で安穏だったらいいんだがなぁ。」
「それじゃぁオイラはおまんま食い上げになっちまいやんす。そりゃ困るでやんす。」
「じゃあ適度に事件がある方がいいってのかい?」
「いやぁ〜、そういうわけじゃねぇんでがすが…。」
「あははは、分かってるさ。お前ぇほど平和を愛してるやつもいねぇさ。これからも頼りにしてるぜ。」
そう言われてハチは初めてキョロキョロの目玉を止め、ジッと金さんを見上げた。何とも情けない表情であった。
「金さん…、、。ありがとうごぜぇやす!これからも精一杯働かせていただきやすんで!」
「ばっきゃろう、あらたまってぬかすんじゃねぇよ。こっちが照れちまわぁ。」
二人はあははは!と、まもなく暮れ行こうとしている青く高い空に向かって笑った。美しい師弟関係である。日本晴れの青空にそびえ立つお城の袂という情景に、ピッタリ過ぎるほどピッタリな美しくも分かりやすい時が流れていた。

 しかしそういった平和な時はやはり長く続くものではなかった。それは金さんがこの町を厳しく見張らねばならぬ所以でもあり、備後福山藩浄化町奉行所筆頭奉行、福山左衛門尉元景として善良な町民らに慕われられる道理でもあった。
「キャーッ!」
と、コンビニのドアを蹴破るようにして白と青の縦縞が入った服の町娘が店から飛び出してきたのだ。その服装からこのコンビニで働く町娘であることは一目瞭然である。辺りは騒然となり、行き交う人々は皆この緊急事態に足を止め野次馬根性で様子を伺っている。『コンビニ絶叫騒動』の勃発である。

〜つづく


『コンビニ絶叫騒動の巻き』

【第2話】


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今日も福山浄化町奉行所の目が光る。
街にはびこる諸悪を許しまじと、
金さんの正義と人情のお裁きで天晴一件落着!
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「キャーッ!」
 コンビニのドアを蹴破るようにして白と青の縦縞が入った服の町娘が通りへと店から飛び出してきた。辺りは騒然となり、行き交う人々は皆この緊急事態に足を止め野次馬根性で様子を伺っている。

 金さんも緩やかな表情から一転、厳しくも精悍な表情でその騒動の方へ踵を返し、被害者であろう町娘に声をかけた。
「おぅ、あんた大丈夫かい?いったいどうしたんでぇ!」
 コンビニの町娘は度を失いながらも反射的に救いの声のした方へとよろけつつもすがろうとしている。金さんは今にも倒れそうな町娘の腕を取り、
「さあもう大丈夫だ、何があったのか話してみな。」
と静かに問うた。と同時にハチに目で合図し、店内を探索するよう指示を出す。ハチは「ガッテン!」とばかりに頷き、その身軽さでスルスルと店内に侵入して行く。
 人だかりは人だかりを呼び、コンビニの前は野次馬で埋め尽くされて行く。口々に「何があったん?」「コンビニ強盗じゃろ。」「火事にしちゃあ煙が立っとらんの。」「痴漢じゃなぁーんか?」と憶測が憶測を呼んでいる。町娘は未だなお呼吸が整わなない様子のまま金さんの腕にしがみついていたが、周りの状況と自分の状態にやっと気付いたか、ハッと我に戻るとすがっていた金さんの腕を離し半歩下がって恥ずかしそうにうつむいた。
「何があったんだい?良かったらオレに話してみてくんねぇか。悪いようにはしねぇ。」
照れていた町娘はさらに顔を赤らめ、ごめんなさいとだけ小さく言った。
「なに、気にするこたぁねぇ。いったいどうしたんでぃ。」
金さんは先ほどの精悍な表情から優しい緩やかな表情へと戻っている。それを見て町娘は安心したか、ポツリポツリと語り出した。
「飛んできたのです。それも不意に…。しかも、私の顔めがけて…。」
その時の状況を生々しく思い出したのか、そこまで言って再び町娘は怯え始めた。耳を凝らして聞いていた野次馬たちは娘の少ない言葉をヒントに、再びあーでもないこーでもないと憶測を広げて隣同士で何やらつぶやいている。
「やっぱりコンビニ強盗じゃろ。」
「いや、変態でも店に現れたんでコリャ。」
「物騒じゃねぇ、こんな昼間っから。」
 それらの声を聞いた娘は益々萎縮してしまい、益々話し辛くなってしまっている。しかし金さんはこういった現場には慣れていた。まず周りの野次馬に、
「てめぇらはすっこんでろい!これ以上ガタガタ抜かしやがったら容赦しねぇぞ!さぁ行った行った!」
と一括した上で、これ以上ないという笑顔で娘に接し、ただ一人町娘の味方であることを表明するのである。
「もう大丈夫だ、恐れることはねぇ。さあ、話してみな。」
金さんの穏やかな言葉を聞いて、町娘はひとつ深呼吸をついて再び話し始めた。

 事の顛末はこうだ。町娘が棚に陳列された商品を整理していた時、棚の奥に黒いゴミのようなものを見つけ、それをつかんで取ろうとした時、不意にそのゴミは羽を広げ娘の顔をめがけて飛んできたということであった。ゴキブリだと思った瞬間、娘は度を失い叫びながら店から飛び出てきたというわけである。
 それを聞いた野次馬どもは
「な〜んじゃしょーもな。」
「やっちもなぁことで騒ぐなや。」
「人騒がせな娘じゃ。」
などと散々悪態をついてあっという間に雲散霧消してしまった。あれほど黒集りになっていたコンビニの前はまたいつもの日常を取り戻した。その時ちょうど店内探索を続けていたハチが店から出てきた。
「アニキ、事件があった時刻に店には店長とこの娘さん以外に客はいなかったそうでげす。」
「おぅ、そうか。すまねぇが店内にゴキブリの巣がねぁか当たって見てくれ。」
「ゴキですかい?そりゃかまわねぇでげすが、きっと無駄足になるでやんすね。おいらが見た感じじゃゴキが住めるような環境じゃねぇでげす。」
「ほう、それは腑に落ちネェな。」
「でも確かに飛んできたんです!私の顔に…、私…、私怖くて…。」
と町娘が再びワナワナと震え出したのを見て金さんはポケットから梅味の飴玉を出して娘に手渡しながら言った。
「あぁ、分かった分かった。あんたの言う通りさ。でももう忘れちまいな。さあ、これでもお食べ。」
 ハチが手帳を出して店の状況を細かに説明し始めたので、金さんはハチの背を押して娘から少し離れたところでそれを聞いた。
「店内部は非常に清潔でげす。害虫駆除も定期的にやっている痕跡がありやした。オイラがキッチン周りや手洗いの下の奥の方まで首を突っ込んで見た限りじゃぁ、ゴキの野郎が住める様な環境じゃねぇでげすね。」
「じゃあ娘が見たっていうのは何だったんだ。」
「そいつぁあオイラには…。」
「とりあえず店と店長とあの娘の身辺を洗ってくれ。」
「ガッテン!」
そう言ってハチはまず店の外のゴミ箱辺りからくまなく探り始めた。金さんは腕組みをし顎に手をやり、目尻の端で未だ怯びえた様子でこちらを伺う女店員をチラリと見た。
「ん〜、あの娘が事件を語って楽しむような愉快犯には思えねぇし、何か別のものと見間違えたんだろうか。」
「あの…」
町娘が近寄って来て金さんの背中に遠慮気味に話しかけた。
「おう、どうしたぃ。もう大丈夫かい?」
「私、そろそろお店に戻らないと叱られます。でも、まだ店の中には…。」
女店員の声を聞いたハチが口を挟む。
「それなら大丈夫でやんす。店の隅々まで見やしたが、クモの子一匹たりともいねぇでげした。ゴキさんはおそらくあんさんが飛び出してきた時一緒に出て行ったんでやんしょう。」
 ハチが気を利かせて町娘を安心させると、町娘は恐る恐る店の中へと入って行った。2人はそれを見送るとくるりと踵を返し、城の方へ向けてぽつぽつと歩きながら再び話し始めた。
「ところで店長ってのはどんな奴だったぃ。」
「それが何とも覇気の上がらねぇヤツでげして、商売人ぶった話し方をしてやんすけど、オイラの見たてじゃ無口な学者というか、つまりありゃオタクってヤツでやんすね。」
「オタクかぁ。じゃあ何か凝ってる趣味みてぇなのが何かあるはずだ。そこんとこもちょいと当たっておくれ。」
「ガッテン!」
そう言うとハチは一人左に折れてJRの駅コンコースへ紛れ込みあっという間に人波の中で存在を消してしまった。

 金さんはそのままお城の石垣の下を歩き、城址へと上がれる古い石段を上がって行く。石段を踏み古めかしい大きな御門をくぐり抜けるとそこはお城の本丸広場である。目の前に先ほど見上げていた五重の天守がそびえ立っている。金さんは何かひとりで思案したい時には、必ずと言っていいほどこの場所にやって来た。
「やっぱここの空は広れぇなぁ。」
 気付けば抜けるような青空が今は明るい朱色に染まり始めている。紺と朱色のグラデーションを背景にした白と黒の城郭はなおも凛として金さんを無口に見据えている。ここへ来ると金さんは不思議といつも日頃の憂さが瞬時に晴れ渡り、己の背筋に凛とした清々しさを植え付けられるような気がするのであった。本丸広場には人はほとんどおらず、散歩の老人が一人だけ広場の真ん中を杖をついてゆっくり横切っている。金さんはいつも通りお城の真正面で広場の一番奥にあるベンチに腰をかけた。昔と何ひとつ変わっていないと思った。金さんは子供の頃からこのお城を見上げながら育ったのだ。どこで遊んでいようと振り返ればお城がいつも遠くから見守ってくれていた。夏場の日暮れになるとどこからともなく寺の梵鐘が響き渡り、急げ急げと帰宅を促されたものだ。慌てて自転車にまたがり夕焼けの空の下を焦って漕ぐのが常であった。しかし家路を急ぐ者は他にも居た。その夕焼け空には決まって黒い集団が飛び交っていたのだった。
「そういえば最近あまり見なくなったな…。」
誰もいなくなった広場の片隅でポツリとつぶやいて、直後に金さんはハッとした。
「まてよ?ひょっとして!」
 金さんはそう言うか言わぬかの間に立ち上がり、早歩きで元来た石段を降りて行った。

つづく〜

『コンビニ絶叫騒動の巻き』

【第3話】


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今日も福山浄化町奉行所の目が光る。
街にはびこる諸悪を許しまじと、
金さんの正義と人情のお裁きで天晴一件落着!
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 事件後ハチと別行動となった金さんは、福山城址の石段を踏み古めかしい大きな御門をくぐり抜け、お城の本丸広場へとやって来た。そこでふと閃いたのだった。「まてよ?ひょっとして!」
金さんはそう言うか言わぬかの間に再び石段を降りて行った。

 石段を降り切る辺りで金さんの携帯が鳴った。
「アニキ、店長のオタッキーな部分が分かりやしたでげす。」
「おぅ、コウモリかい?」
「えーっ!?な、何でそれが分かったんでげす?」
「感さ。」
「アニキ、そりゃねぇでげすよ。感でオイラの仕事を全部持っていかれたとあっちゃ立つ瀬なしでげす。」
「あははは、全部じゃねぇさ、オレが分かったのはそこまでだ。その先の詳しい話を聞かせてもらおう。このあと屯所でな。」
「ガッテン」

 それから数日後、晴れ渡った透明度の高い空に大太鼓の太い音がゆったりと響き渡っている。『コンビニ絶叫事件』のお白州が備後福山藩浄化町奉行所で厳かに開廷されるのであった。
 お白州にはムシロが2枚敷いてあり、一つにはあの町娘が、もう一つにはコンビニの店長が引き出されていた。再び太鼓の音が響き渡ると、お白州より一段上がった板張り廊下に裃をつけた与力が朗々とこの度のお裁き前文を読み上げ始める。一通り事件の全容を読み上げた。
「駅前コンビニエンスストア絶叫騒動の件、これより裁きいたす。一同控えーぃ!。」
 その声を聞くと白州に引き出された町娘も店長も正座のまま深々とお辞儀をする。すると与力が座っている廊下に面した畳間の奥の襖がスルスルと両側に開き、中から裃で正装した立派なお武家様がきりりと現れた。と同時に与力が一段と声を張る。
「備後福山藩浄化町奉行所筆頭奉行、福山左衛門尉元景様のおな〜り〜!」
 更にどこからともなく壮大なオーケストラのBGMが場内に響いた。お奉行様は長すぎる裾を蹴り上げるようにして吟味部屋の中央に慇懃と腰を下ろすと、白州にひれ伏す2名をゆっくりと順に見据えた。ひとしきり辺り一帯に格調高い威厳を振りまいたところでちょうどBGMが鳴り止み、あたり一帯は刺すような静寂が支配した。そんな厳粛な空気を裂くように奉行が口を開く。
「コンビニエンスストア店長、並びにその女店員、表を上げぃ。」
 はっはは〜!とばかりに2人はゆっくり頭を上げるが身分が違いすぎる。決してお奉行様のお顔を直に拝顔することは暗に許されない事と知っている。うつむきつつ折っていた腰を立てた。
「さて、女店員。先だっておぬしは公然とけたたましい絶叫と共に、当該店舗の扉を蹴上げるが如く飛び出して参り、市井の平穏を乱すに及んだということであるが、相違ないか。」
 女店員は少し慌てた様子で、
「いえ、扉を蹴り上げたりなんかいたしておりません!それに皆さんをお騒がせしようとしたつもりも…。」
とまで言うと、板間に控えていた先ほどの与力が噛み付いた。
「え〜ぃ、お調べはついておるのだ!正直に申せ!」
「まぁまぁ、そのように頭ごなしでは吟味にならぬ。」
と奉行が与力の方を向いて嗜める。
「では女店員、絶叫したというところまでは誠であるな。」
「…はい、お恥ずかしながら。」
「良かろう。ではなぜ絶叫し店を飛び出したのだ?」
「はい、店の棚を整理しておりましたら、棚の奥にゴキブリがおりまして、そのゴキブリが私の顔をめがけて飛んできたものですから、つい。」
 女店員は自らの肩を両手で抱くようにして硬くなって語った。
「またつまらぬことを思い返させてしまい、すまなかったな。」
「いえ、もったいのうございます!」
 奉行は女店員を見据えたのちに、少しコンビニの店長の方へ向き直った。
「次に、店長。」
「はっはは〜。」
「おぬしはこの騒動の最中、どこで何をしておった。」
「はい、私はレジ周りの整理をしておりました。」
「ふむ。おぬしは女店員が騒ぎを起こした原因はなんであるとその時思っておった?」
「はい、それはもう突然のことでしたので、何が何だかさっぱり私には分からず、ただただ唖然とするばかりで。」
「であるか。その後ゴキブリの仕業であると聞き及び何と思うた。」
「まぁ、若い女店員のことですので、さもあらんと思いましたでございます。」
「しかしだな、こちらの調べによると、お主の店は大変清潔であり、クモの子一匹たりとも見つかる様子もない。しかも定期的に害虫駆除の業者まで入れておるということだが。ゴキブリがいるとは不思議だとは思わなかったか?」
「えぇ、大変みっともないことでして、食品も扱う店として最大の注意を払っておりましたが、このザマです。」
再び与力が口を挟む。
「店長、言葉に気をつけぃ!」
 奉行は懐から扇子を取り出し自らの膝を軽く2〜3度叩くと、女店員に話しかけた。
「して女店員、そのゴキブリであるが、おぬしはその折り実際にゴキブリに触ったか?」
「まさかそのようなことなど!」
「では羽や手足、触角などは見覚えておるか?」
「いえ、そう申されますと、確かなところは…。」
「触っておらぬ、見覚えておらぬで、何故それがゴキブリであると確信に至ったのだ。」
「それは、…、黒かったし、飛んで来ましたので…。」
またまた与力が噛み付く。
「そのような曖昧な答えをするでない!」
「あっ、はい、…すみません。」
「まぁその様に強く申さずとも良い。」
 再び奉行が与力をたしなめたると、与力は奉行に軽く一礼をして、
「はっ、失礼仕りました。」
と言った。
 奉行はひとつ咳払いをして仕切り直す。
「では、おぬしをめがけ飛んできたものが何であるかが、実際のところ定かではないと、ここに訂正しても良いな?」
「はい、ご訂正くださいまし。」
すると女店員の隣に控えていた店長が慌てた様子で女店員に向かって、
「な、なにを! お前ゴキブリだったと言ってたじゃないか!」
と非常に慌てた様子で押し殺した声で言う。
「でも確かにそう言われてみればはっきりしませんし…」
与力が、
「勝手に口を開くでない!控えおろうぅ!」
2人は正座のまま少し後ろにたじろぎ、深々と頭を下げた。
「はは〜っ!失礼をばいたしました。」
と店長がのたまう。
 奉行がここぞとばかりに店長に詰問した。
「店長、今なぜゴキブリにこだわったのだ。」
「いえ、別にこだわったわけでは…。ただこの娘がゴキブリだったとずっと言っていたものですから。」
「しかしおぬしにとってそれはゴキブリでも何でもいいのではないか?むしろお主が言ったとおり、食品を扱う店としてはゴキブリじゃない方がよいのではないか?」
「あ、いや、まったく、…その通りでございます。」
「今何故女店員にゴキブリではなかったのかと念を押したのか、正直に申してみよ。」
「いえ、別に念を押した訳ではなく…。」
店長はポケットからハンカチを出して顔の汗を拭いて一呼吸置いてから続けた。
「ゴキブリじゃなくても何でも別に私は構わないのですが…。」
その言葉を聞いて奉行の目がキラリと輝いた。
「ほう、なんでもよいと」
「へい、なんでも」
「では、コウモリでも良かったと?」
 コウモリという単語を聞いて店長は10㎝ほど飛び上がったように見えた。正座の足が崩れてしまっている。慌てて裾を直し坐り直す店長の額から脂汗が吹き出し、眼はキョロキョロと定まらなくなり、明らかに動揺が態度に現れてしまっている。
「な、な、何をおっしゃいますやら。何でまた唐突にコ、コウモリなどと…。」
「店長、如何した。ひどく汗が吹き出ているようだが、コウモリに何か身に覚えがあるのではないか?」
「コウモリなぞ、な、なにも覚えなど…。」
「ナニ?!覚えがないと?!!」
 そこでついに奉行は半ギレになった。正座の足を崩しドサッ!と片膝をついた。その時長すぎる裾が高々と舞い上がり、まるで双頭の龍の1匹が勢いよく天へ舞い上がるが如くであった。龍が地に着きその向こう側から先ほどとは別人の鬼の形相をした奉行が現れた。奉行は持っていた扇子をピシャリと店長に差し向けた。
「おぅおぅ、どこまでシラを通す気でぃ!てめぇがコウモリ収集家だってぇのはこちとら百も承知なんでぃ。手ぇ煩わさねぇでとっととゲロしちまいな!」
 奉行はこうなるともう止まらない。この時点で奉行から金さんに変身してしまっているらしい。慌てたのは店長である。これまで温厚で威厳のあった奉行が、突如として町のヤクザ風情に化けたのであるから無理もない。

『コンビニ絶叫騒動の巻き』

【最終話】


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今日も福山浄化町奉行所の目が光る。
街にはびこる諸悪を許しまじと、
金さんの正義と人情のお裁きで天晴一件落着!
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 「コウモリ」という言葉に異常な反応を示した店長を、お奉行様は見逃さなかった。いや、鬼の形相でヤクザ言葉のお奉行様は我らが金さんに変身してしまっている。慌てたのは店長である。
「おぅおぅ、どこまでシラを通す気でぃ!てめぇがコウモリ収集家だってぇのはこちとら百も承知なんでぃ。手ぇ煩わさねぇでとっととゲロしちまいな!」
「ぅぇぇええっ!」
と叫んだのち店長はのけぞったまま驚きの形相で奉行を直視したままだった。
「面白ぇ、まだ思い出せねぇっていうんなら思い出させてやろうじゃねぇか。例の物を持てーぃ!」
 その声を聞いた役人らが白州の脇から幾つかの大きなかカゴを持ち込んで来た。なんとカゴの中には大小のコウモリが黒々と天井からぶら下がっている。
「キャァァアー!」
 それを見た女店員が腰を抜かして事件当日と同じ声で叫んだ。奉行はもう一歩片足をドンっと突き立て、片肌脱ぐ体勢になり店長を睨んだ。
「こりゃあすべておめぇの部屋から運び出してきたものだ。このコウモリに見覚えがねぇとは言わせねぇ。これでもまだシラを切るつもりかぃ!」
 シラスのむしろの上でのけぞっていた店長は奥歯をかみしめ、開き直った態度でスクッと立ち上がった。
「ちきしょう、ばれちゃ仕方ない。だがそいつらはオイラの大事な子供達なのだ。返してもらおう!」
 そう言い終わるや否や2歩3歩と白州を踏んでカゴの方へと進み出たが、与力たちの「ひっ捉えぃっ!」の声と共に棒やらサスマタやらが店長の行く手をふさぎ、あっという間に取り押さえられてしまった。あちらこちらから
「神妙にせい!神妙にせい!」
という声がかかり、店長は瞬時にお縄でぐるぐる巻きにされ玉砂利の上へ再びドスンと座らされてしまった。奉行はその様子をピクリともせず見ていたが、少し穏やかな顔になり、懐から手首だけちょんと出す。
「コウモリはこの令和の世では無断で飼育はもとより保護することすらも禁じられている。つまりご禁制なんだよ、おめぇはそれを知っているな?」
「ふんっ!」
「事件の前日深夜、おめぇは一人棚卸しと称して店を閉め、アブラコウモリ12匹を店に放った。その様子がてめぇの店の防犯カメラに一部始終収まってんだよ!おそらくその時回収しきれなかった一匹が女店員を襲った真犯人さ。何故そのようなことをしたんだ。」
 すると店長はうなだれて肩を揺らし始めた。笑っているのではなさそうである。鼻をすすりとうとう声を立てて泣き始めた。
「だってかわいそうじゃないですか。本当はこいつらだって大空を飛びたいに決まってるんです。なのにこんな狭いゲージに入れられて、オイラはもうこいつらが不憫で不憫で…。お奉行様、コウモリはどいう訳か人からひどく忌み嫌われ、ついには害獣扱いにされてしまいました。とんでもないことです。コウモリは人間のせいで絶滅の危機なんですよ。人家に住み着く種類もいて彼らは害虫を食べてくれる。人と共存出来る生き物なのに、人間はイメージだけでコウモリの住処と命をどんどん奪って行った。お奉行だって知ってるでしょ?昔の福山の空にはコウモリがあんなに沢山飛んでいたのに、今はもうほとんど目にすることすらなくなってしまった。だから俺は決めたんです。俺がコウモリたちを守ると。でもこの量です、どうせ飼育の申請をしたって、お役所のガチガチ頭が理解してくれるわけがないじゃないですか。無許可ですよ。その通り無許可でコウモリを飼ってますよ。いずれもっともっと増やして、大空に放してやるんです。またあの頃の福山の空にオイラが戻してやるんです。それの何が悪いって言うんですか。」
 店長はそこまで言って再びうつむきおいおいと声を立てて泣き崩れた。お白州に立ち会った一同は静かにその様子を見守る他なかった。全員が昔懐かしい福山の夕焼け空を思い返していた。店長のいう言葉には、それなりに一理あった証拠であろう。金さんは優しい声で店長に話しかける。
「なるほど、おめぇのその気持ちはよ〜く分かった。心掛けとしちゃあ立派なもんだ。しかしな、やり方がちょいとマズかったようだぜ。できればちゃんと許可をとってもらいてぇんだな。衛生的な問題もある。許可さえ取れりゃ、もっと広いところで遠慮なく飼ってやれるんだぜ。」
 店長はうつむいたまま黙っている。
「おめぇは優しい男だ。オレも鬼じゃねぇんだ、おめぇのその優しさが捻じ曲がっちまう前におめぇと、この奉行とでよ、少しでもこの町をよくして行こうじゃねぇか。コウモリの舞うあの福山の空を一緒に取り戻そうじゃねぇか。おめぇが許可を取ると約束してくれたら、浄化町奉行所上げて協力すると約束しよう。それでどうだい。」
 店長はハッと首をあげ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で何か言おうとしていたが声にならなかった。奉行は役人に店長の縄を解きムシロに戻すよう指示すると、自分はくるりと背を向け乱れた服をサッと整え、再びこちらに向き直り背筋を伸ばしシャキッと正座し直した。その姿は、すでに金さんから備後福山藩浄化町奉行の福山左衛門尉元景に変身しているのだった。
 奉行はあらためて威厳あるきりりとした表情で場を一括した。
「裁きを言い渡す!」
 一同一応に緊張が走る。
「女店員、その方この件の被害者と見てお咎め無し!加害者を訴えるのであれば直ちにこの場にて申し出よ。如何いたす。」
 女店員は素直に良かったという顔と身振りをして見せながら、
「いえ、訴えるなんてとんでもありません。」
「良かろう。では次に店長、その方は野生鳥獣の無許可飼育にてお咎めの対象である。しかし動機について汲むべき点があると認め、飼育する鳥獣動物がより良い環境で飼われることを約束するならば、只今を飼育申請中とし、お咎めなしの無罪放免と致すが、店長、異存ないか?」
 店長は再び顔中をぐちゃぐちゃにして奉行を見上げた。
「お奉行様!!ありがとうございます、ありがとうございます、…。」
 女店員が店長に、
「店長、良かったですね。良かったですね‥」
と泣き笑いで言う。店長は泣きじゃくりながらもウンウンと頷くばかりであった。奉行はニコニコの顔を白州の両名に落としてウンウンとうなずいている。
「両人とも良かったな。」
と優しい声をかけたが、次の瞬間再度きりりとして場を締めた。その呼吸を知ってか板間の与力がタイミング良く、
「一同控えーぃ!。」
と声を掛けると、金さん、いや、備後福山藩浄化町奉行の福山左衛門尉元景は白州全体を見据え高らかに閉廷を言い渡す。
「本『駅前コンビニエンスストア絶叫騒動』の件、これにて一件、落〜着〜!」
 そう言い終わると同時に太鼓の太い音と壮大なオーケストラのBGMが再びどこからともなく鳴り響く。奉行はスクっと立ち上がり、その音の合図で長い裾を蹴り飛ばすようにして奥の間へと引いて行き、両側の襖がピシャリと閉まる。と同時に演出のBGMもタイミングよく終わった。

 数日後、再び市中見回りの途中で金さんとハチはあのコンビニの外にいた。金さんはいつものようにストローでチューチューとミルクコーヒーを吸い上げながら、夕方のお城を見上げている。店内では店長と女店員が笑顔で接客をしていた。相変わらずハチはキョロキョロしているが、どこか嬉しそうである。
「上手くやってるようでやんすね。」
「それに越したことはねぇや。」
「ところであの二人、奉行がアニキだって分かってんでやんすかね。」
「お?そういやぁ、今回まったくもろ肌脱いでねぇな。」
「さっきレジでアニキが買い物してる感じでやんすと、あの二人はお奉行だと全く気づいてない様子でやんしたよ?」
「んまぁ、そりゃそれでいいじゃねぇか。てぇしたことじゃねぇや。」
「アニキが良けりゃそれでいいんでげすけどね、ちょいと気になったもんでやんすから。」
 金さんは空いた手でモジモジと頭をかきながら、
「実はな…。」
と少し小声で言う。
「実はもろ肌脱ぐタイミングがいつも分からねぇんだよ。使い方も良く分からねぇ。次は上手く使えりゃいいんだけどなぁ。」
「そうだったんでげすか?案外間抜けでやんすねアニキも。」
「おっ、言いやがったなこの野郎。さっきおごってやったコーヒー代、返しやがれ。」
「アニキのマヌケとそれは別でやんしょ、あはははは!」
「あはははは!この野郎、まだ言うか!」
「あはははは!」
 昭和風の分かりやすくも懐かしいエンディング展開であった。冬ただなかの夕焼け雲にそびえるお城が黙って二人を見下ろしている。一昔前の秋の夕暮れだったならこの背景にコウモリの集団が飛び交っていたことであろう。

 ちなみに、福山城のそびえる小高い丘の名前を、江戸の昔よりコウモリ山と言う事を知る人は少ない。現行の福山市のマークは、大正時代にコウモリをモチーフにして制定されたのだ。更にコウモリは昔の中国においては縁起の良い動物とされ、字は蝙蝠と書き、初代福山藩主水野勝成は築城した蝙蝠山の蝠という字から《福山》と名付けたと言われている。つまりここ福山とコウモリというのは、深い深い縁があるのである。日本中で一番コウモリを愛する街は?と聞かれたならば、迷うことなくここ福山だと胸を張って言えるつながりが、この街とコウモリにはあるのだ。
 二人は飲み終わったコーヒーミルクをゴミ箱に捨てると、見回りの続きをするため、赤く染まりつつある空に高くそびえ立つ福山城方面へと歩いて行く。また次の事件が起こるまでの、ほんのひとときの平和な時であった。

 とその時、金さんのスマホがけたたましく鳴った。
「もしもし。…うん、…うん?!何っ!分かった今からすぐに行く! おい!ハチ、事件だ!急行するぜ!」
「ガッテンでぃ!」
 今日も二人は、福山の町の安全と平和のため、その命の限り闘い続けるのであった。

 完。