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City Pop の概歴

【3099文字】

数年前から80年代のCityPopが人気の様です。
当時はCityPopなんて言ってなかったように思いますが、
じゃあなんて言っていたのか、…思い出せません。
とくにジャンルとしてなかったんじゃないでしょうか。
歌謡曲でもフォークでも、かと言ってロックでもない、
ニューミュージックの進化系的な、
当時の意識高い系ミュージシャンや、
シンガーソングライターらが作るものを中心とした楽曲、
という印象です。

そういった音楽性に加えて永井博や鈴木英人、
わたせせいぞうといった新進気鋭のイラストレーターたちが、
当時を代表する原色のイラストでジャケットを飾るなどして、
これら楽曲を爽やかで透明感のある、
サラリと乾いた手触り感に仕立て上げていました。
当時はこれらのイラストとCityPopは、
切っても切り離せないイメージなのです。

山下達郎、松任谷由実、竹内まりや、松原みき、
大瀧詠一、吉田美奈子、南佳孝、シュガーベイブなど、
他にもまだまだ沢山おられますが、
今やJPop界の重鎮と言われる人たちがその名を連ねます。
お名前を挙げるだけであの曲やこの曲が聴こえてくるようですね。

さて、その10年ほど前、
日本の1970年代というのはフォーク全盛期で、
岡林信彦、あがた森魚、加藤登紀子、NSP、さだまさし、
かぐや姫、井上陽水、小椋佳、中島みゆき、
と言った心情を歌った楽曲が制していた時代です。

この頃はフォークソングだけではなく歌謡曲もロックも、
激しい情動や反戦などメッセージ性の強いものが多かったですね。
サウンドも人の心の琴線に触れた歌詞に合わせたような、
少し重い印象のアレンジが特徴だったと言えるでしょう。

テレビ、ラジオの表舞台では、
そういった歌謡曲やフォークが全盛の頃、
才能ある若いミュージシャン達は、
既にもう全く違う音楽に目覚め活動し始めていました。
細野晴臣、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂は、
1970年に「はっぴぃえんど」を結成して、
斬新な試みの楽曲をいくつもリリースしています。
『風をあつめて』などは若い人も聴いた事があるでしょう。

更にその後このメンバーに加え、
松任谷正隆、林立夫、荒井由実、
矢野顕子、南佳孝、大貫妙子、山下達郎、
伊藤銀次、大貫妙子、久保田麻琴、後藤次利、
斉藤ノブ、坂本龍一、佐藤博、高中正義らが参加する、
ティン・パン・アレイを発足し、
1975年に名盤『キャラメル・ママ』を発表します。

どうですこのメンバー。
つまりこの後に彼らがそれぞれの音楽活動を始めた時に、
必然として出て来たサウンドが今持てはやされているCityPop、
という訳なのです。

サウンド的には洋楽のエッセンスを多分に含んで、
それらを日本人独自の解釈で翻訳したサウンドと言えるでしょう。
クロスオーバーでありソウルフル且つ、
またロックやカントリーといったエッセンスを含有します。

一般的には都会的なサウンドと言われましたが、
その反面中身のない上っ面だけ整えた音楽とも言われました。
しかしそれを言っていたほとんどの人は音楽に精通がなく、
前時代的な立場から新種な音楽を揶揄していた様に見えました。

実際CityPopを代表する人たちはみな音楽的成功はもとより、
音楽理論や演奏技術も一流の人達ばかりです。
いわば日本のPops界を歴史的に俯瞰した時、
前10年間より音楽的リテラシーは大きく高まった時代だ、
と言えるでしょう。

現在CityPopは80年代ごろの日本の音楽とされていますが、
これに似た音楽が世界に無かったかというとそうではありません。
ほぼ同時期のアメリカ西海岸を中心として、
ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルに代表される、
アダルト・オリエンテッド・ロック、
いわゆるAORが世界中で流行っています。
大人向けの落ち着いたロックといった意味ですね。
聴感的には白人の音楽という印象が強くあり、
ビート感というよりドラマチックなバラードが中心です。

これから少し遅れてイギリス、ロンドンでは、
アシッドジャズというジャンルが現れます。
こちらはジャズ文化から派生した音楽で、
ジャズよりPopで踊れるジャズという感じです。
ジャズが若者のクラブシーンに降りてきたといった印象ですね。
ですので歌のないインストルメンタルの楽曲も多いのが特徴です。

さて、実はこのCityPop、
時代が進み1995年ぐらいから2010年ぐらいまでの約15年間、
一番ダサい音楽は80年代の音楽だ、
などと言われるような暗黒の時代があったのです。
どの時代にも流行りというメインストリームがある反面、
今絶対にやってはいけないダサいスタイル、
というのも必ず存在しますよね。
それはそれ以前に全盛を誇れば誇るほど揺り戻しは厳しく、
90年代のこの頃、ラップやダンスミュージックが流行った頃で、
80年代のサウンドは酷く煙たがられたのでした。

個人的思うに、80年代の楽曲そのものが嫌われたというより、
恐らく主にそのサウンドが敬遠されたのではないかと推測します。
80年代は音楽のデジタル化が急伸した時代でもあります。
アナログレコード盤からCDに変遷したのもこの頃です。
70年代までは電気楽器はあってもデジタル楽器はまだまだ稀でした。
しかし80年代に入ると各楽器メーカーや周辺機器メーカーは、
こぞってデジタル機器を発表し、音楽家もそれを多用したのです。

電子ドラムの走りだったシモンズやリンドラム、
そしてシンセサイザーのヤマハDX7などなど、
デジタル機器は瞬間に世界のサウンドを席巻しました。
これらの音は当時のヒット曲に必ず入っていると言っても過言ではなく、
80年代を代表し象徴するサウンドと言ってもいいでしょう。

またリバーブやディレイもデジタル化の影響を大きく受け、
安価で高性能なものが多く出回りました。
そしてこれまでアナログでは不可能だったセットアップが可能となり、
ゲートリバーブなどとても印象的な効果を演出できるようになったのです。
これもまたこの時代を代表するサウンドとされるものです。
離反が強い理由はそれまでになかったエッジの立ったサウンドと、
そのサウンドが一気に世界中へ溢れたせいではないかと、
個人的には思うのです。
実際僕自身も似たような階段状の音に飽き飽きしたものです。

暗黒の時代は過ぎ、
世間がCityPopなど忘れ去ろうとしていた2016年ごろ、
海外で少数のティーンがネットでCityPopを聴き始めます。
アンダーグラウンドの世界で火が付き始め、
2022年の今、CityPopは億円産業になっているらしいです。
海外に住む十代の若者にとって歌っている言葉も音楽も、
それは奇異で珍しく映った事でしょう。
でも3~40年前のその楽曲らは演奏も歌も録音も、
確かにどこへ出しても恥ずかしくないハイクオリティー作品群です。

現在ではNeoCityPopとして若いアーティストが多く排出され、
新譜のCityPopも洗練された若者の支持を受け好評の様です。
Suchmos、nulbarich、never young beach、
Yogee New Waves、フレンズ、WONK、D.A.N. など、
80年代を知っている人でもファンになれるサウンドです。

最近は益々便利になりまして、
自分自身でCDを購入しなくてもサブスクリプションで、
お好みのリストやアーティストをガッツリ聴く事が出来ます。
City Popと検索すると数多くの候補が現れます。
そのひとつを再生すればすぐにあの頃へ回帰する体験が出来るので、
ホントに時代は移ろっているなと感じます。
思えば1980年はまだMP3やiPodもおろか、
CDさえない時代だったんですよね。