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ヒエラルキーに騙されるな

【3994文字】

そんなものあるのか?

僕はヒエラルキーというピラミッド構造思想を根こそぎ疑っている。「この世には当然ヒエラルキーという公式が存在する」と全く疑う余地を見せない論説に時々出くわすが、それらをほぼ疑って見ている。ならばヒエラルキーは存在しないと思っているのかというと、考え方によってはそうでもない。人類の浅はかな脳内で幻想的に作り出されたこの不完全構造をもしヒエラルキーと言っているのなら、残念ながらこの21世紀初頭にはまだ人々の頭の中にそれらは確かに多く存在している。

例えば?

よく目にする主なものとしては、国家が有する軍隊や特定の思想を過激的手段で解決しようとする団体、政治家を取り巻く党派や当選回数などで括られる永田町社会、宗教的またはスピリチュアルで信望者を募っている集団、企業や団体における大規模な組織、地域コミュニケーションを司る自治会、暴力団や青少年を含む反社的な団体などが挙げられる。

まあ大抵は旧態依然な意識しか持ち合わせない、古臭い価値観に染まった連中が集まれば、決まって彼らの脳内にはヒエラルキーというピラミッドが積み上がっていくのである。あくまで積み上がっている場所は人間同士の脳内であって、現実の自然界の何処をどう探してもそんなものは見つけられない。

何の為のもの?

なぜ人間はそんなものを作り出すのかというと、過去のいわゆる「有事」の際などの緊急時に於いて、指示系統が有意義に機能した経験が過去にあるからだろう。それこそ戦争や自然災害、事故など、急いで対処せねばならない時には有効と言える。有事の際は素早い判断と行動が求められ、トップダウンによる的確な命令を瞬時に無駄なく稼働させる方法としてこのヒエラルキー構造はとても機能的なのだ。

その人でいいの?

ところが残念な事にヒエラルキーの頂上にいつも判断力のある有能な先導者が存在しているとは限らない。むしろ有事の実践能力がない人選である場合がほとんどと言っていい。何故そんな事になっているのかというと、そのトップの選任方法や目的が有事を考えて選ばれている訳ではないからである。最近起こった良い証拠が日本におけるパンデミックの対処なんかはいい例である。ヒエラルキーの頂点が出世の最高峰でしかなくなった現在、政治と反社のトップを入れ替えてもさしたる不都合はないのだ。

ましてやほとんどの時間を占める「平時」におけるヒエラルキーの無駄は目を覆う他ない。多彩な意見を漏らさずその中から輝くアイデアを見出したり、公平に何かを決める際、トップダウンはむしろ悪でしかない。そしてヒエラルキーの最も残念な点が特権階級の創出であろう。三角錐の頂上付近を占める何人かに最重要情報と特権が集中する。緊急でも有事でもない平時、それはつまり既得権益を貪るのに非常に適しているとも言える。

三角錐のヒエラルキー構造とは人間が作り上げた幻である。では現実的にこの世界を形作るフォームとはいったいどんなものなのか。

本当の形とは?

ジャンケンは恐らく公平最速の選抜方法だろう。勝っても負けても恨みっこなしである。これは子供でも分かる三竦み(さんすくみ)という理屈で成り立つルールである。グーは石、パーは紙、チョキはハサミ。ハサミは紙を切り、紙は石を覆い、石はハサミでは切れない。三すくみの例は他にも、狐 → 庄屋 → 猟師や、歩兵 → 騎兵 → 大砲 、象 → 人 → アリ、などがあると言われるが、ハサミ→紙→石、が一番明確に三竦み状態を表していると思う。

そして我々を取り巻く現実をつぶさに見て行くと、この三竦みに表される理屈が絶妙なバランスによって全世界のありとあらゆる所で成り立っていることに気が付かされる。自然科学や生態学、進化学を知れば知るほど、生命同士の均衡、バランスやそれを取り巻く地勢的な条件によって生かされている自分、という事実を知ることができるのだ。グーチョキパー以外のすべてに勝る手が存在してはジャンケンなど成り立たないのが当然であるが、人間は何故かこの世界の頂点に立つ存在で、全てに勝るという大きな誤解をどうしても拭いきれない、少し頭の弱い生き物なのである。

偉い人って何?

「ライオンはサバンナの頂点に君臨する王者である」この問いに対しYesと答えた人はかなり考えが古いと自覚せねばならない。もちろん野生のライオンは人間にとって気を許せない危険な動物と言ってもいいが、人間を脅かすから強いとか偉いとかという話ではない。サバンナに暮らす人もライオンもインパラもネズミや昆虫も、全ては自然界に太古から滔々と引き継がれている絶妙なバランスやサイクルの中で生かされて来た。互いに因果を持ち影響し合ってバランスを保っている。何かのインパクトによって唐突にある種が絶滅すれば、そこを起点に当然これまで均衡を保っていたバランスは一気に崩れ、他の種にも大きな影響を及ぼし、多くの生命が失われることは必然の事実なのである。このサイクルの中で生き延びるのに上も下もなく、ライオンも昆虫も等しく同じ条件で生きていると言える。

巡る因果の一部?

当然ながらこういった大きなサイクルの中で我々人間も生かされているのだと考えるのが自然である。人が感知できる最大のサイクルは恐らく宇宙であろう。そして太陽系、地球という具合に環境が狭められればそこに存在できるものも限られていく。太陽は燃える星。しかし太陽の熱は地球にある全ての水を蒸発させるほどの熱さではなく、常に凍っているほど寒冷でもなかった。マイナス273℃からほぼ無限の高温が存在する宇宙で、0℃から100℃という範囲の温度は極めて狭い。そんな液体状の水が存在出来る天体は稀である。地球規模の岩石型天体には物理的に1Gという重力が発生し、水の多くは大気中に散らばらず海という形で地面に溜まった。ごく初期の藻類がそこに発生すると一気に酸素が大気に放出され、大気は生命の基本的な糧となりゆりかごとなった。植物は水や大地から栄養を吸い上げ、動物は植物や他の動物から栄養を得る。寿命を迎えた動植物は地面に還り再び他の生命の養分となる。地球は生命循環モジュール。他に存在を見出せないテラリウムなのだ。

こういった大自然の巨大な連鎖サイクルのほんの一部に人間が生かされている。突然人間が絶滅する事も、爆発的に増えることも、ましてや他の種の根絶に関わる行動などは自らを殺めるに等しい。ただ人間は浅はか故に意図せず世界を炎で包んだり、毒を振り撒いたりする事がある。戦争や公害などがそうなのであろうが、こういった事は人間がもう少し謙虚且つ冷静であれば起こらない罪だと言える。

人の愚かさとは?

人間の浅はかさはこういった大自然の大きなサイクルや、そこからもたらされている恩恵というものを、当然いつもある物という具合に捉えがちなところである。大火を放っても毒をまき散らしても放射能で汚染させても、今の所大自然の広大さと自浄作用でなんとか平静を保っているが、どう考えてももうそろそろいけない。人は未だに水や空気、安全や安心はいつでも常に受け取れる当然の権利だと思っており、最悪なのは水や空気や安全安心というその事さえここ何年も考えた事すらないという人類が大半であるという事である。しかもいわゆる文明国ほどその傾向が強い事に気づけていないという浅はかさは既に愚かと言って良い。この様な重要な事は何を置いても真っ先に常々考え巡らさねばならない、生きる上での最重要事項であるはずであるが、多くの現代人はそれを全くしない。

幻に苦しむ?

では暇になったその肥大化した大脳皮質でいったい何を巡らしているのかというと、それこそがありもしないヒエラルキーである。この競争で誰よりも上に立ち、大金持ちになる事こそが人間の最終目標だと疑いもせず盲目的に、結果自虐的に生きているのだ。そこに辿り着けない大多数の者どもは、幻の頂上付近にいる傍若無人な連中にいい様に操られ、その歪んだ不平不満を歪んだ民主主義のもと不公平だと嘆くばかりで、自身の超近視眼的浅はか思考を1mmも疑おうとしない。

社長になっても大して楽しくはないし、大統領になっても全く楽ではないと思い知るべきだ。何故なら人間が考えるヒエラルキーは幻なのであり、実際は大きなサイクルの中の一人でしかないからなのだ。社長も大統領も、ライオンも我々も、楽して生きている訳ではない。大きな命のサイクルの中、そのほんの一部を担って細々と生きているに過ぎないのだ。食物連鎖の最下層と言われる藻類も同じことが言えるが、彼らは決して絶滅しない。サイクルの一員として絶滅してはならない義務感と強靭さを持っているからだ。

どう生きれば?

ありもしないヒエラルキーの上を狙って生きるような惨めな生きざまは晒すべきではない。かと言って大自然のサイクルに関わる全てのものらの複雑極まりない因果と結果を感知し、その中での己の役割を知ることは人間の認知能力では不可能である。せめて目の前の他の人間、他の生き物、自然や環境に対し、迷惑をかけぬよう、出来ればより良いであろうと思われる素行を示せれば、きっと人としての役目は果たせるはずであろうと思う。

もし今もヒエラルキーの山をよじ登っている気になっているのなら今すぐやめたほうが良い。そんな山はない。この未成熟な資本主義の社会で姿勢美しく出世し金持ちになどなれる道理がないのだ。汚い手段で握り込んだ名声と現金で誰かを操れたとしても、それはきっと世界の悪にしかならない。ヒエラルキーとは代償それぞれのコミュニティーを操る一部の連中が都合よく作り上げた身分制度に過ぎない。さっさとそこから離脱してしまうことをお勧めする。それが世のため人のため、大自然のサイクルのため、命のため、地球のため、あなたのためである。