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ビンタ

剣道を10年くらい習っていました。

防具をつけているとはいえ、
他人と密着する経験が多かったように思います。

鍔迫り合いの際には、
防具の網越しではあるけれど距離にして約10cmたらずの位置に、
他人の顔面が近づきます。

しかし案外そんなことを続けていると、
妙な連帯感が生まれたりもして、
終わった後には爽快だったりします。

これが言語の外のコミュニケーションであることは確かですが、
身体的なコミュニケーションかと言われると少し微妙です。
でもまあ、なんか分かりあったような気になります。

contact Gonzoさんの
「my binta, your binta // lol ~ roars from the skinland ~」
を見てきました。

すごくおもしろかったです。
スポーツ・格闘技・プロレス、最終的には出産まで、皮膚を仲介しアクロバティックに物事が繋がっていきます。

肩を叩いたり、握手をしたり、
日常生活におけるコンタクトって存在しますが、
意識してみると最近全くした覚えがないです。(された覚えもない)

人間はドーナツ状で、皮膚は一番外側の臓器なのだ。
そのようなことをアフタートークで言っていたと思います。
僕ら胃のヒダヒダに食べ物を擦り付けて栄養を摂取しているわけです。

ドーナツ理論でいくと、そのヒダヒダも皮膚に値するわけです。
じゃあ皮膚の接触で対話を試みるのってすごい正式に思えてきますよね。
よく出来た感覚器官を使って会話するということは自然な話に思えます。

ナウシカの王蟲が黄色い触手を使って似たようなことをしてました。
しかし、今回見たパフォーマンスは、ああいうほんわかしたものではなく、むしろ質としては生きるか死ぬかのやり取りに見えました。

もしぼくらが片手に包丁もちながら会話していたら、もっと会話に対して真剣になれるのかもしれないです。
真剣、ですからね。
(冒頭の剣道に戻ってきました。)

リモートがあまり好きではないです。
会話に対して集中力が続かず、
なんだか眠たい感覚になってきます。

紹介されていた 「内臓とこころ」三木成夫 を読んでいますが、
(表紙がいい)
まさにそんな感じです。

赤ちゃんの段階から、舌や手を駆使してこの世にあるものを認識してきたのに、いまさらそれを取り上げるなんて、そりゃないよ~ってもんです。
何か伝わってない感覚を常に感じながらリモートしてます。

でも、考えてみたらこういう文章も、そういった制限の中で生まれたものだろうし、あんまり卑下するのもよくないよな……、と思うこの頃です。苦手なことには変わらないけども。

川べりを30分かけて出勤してます。
鳩や鴨、鷺、鵜……、案外と色々な鳥に巡り合います。
この前はムクドリを大量に見ました。おぞましいほどの……。
自転車なので、あんまり集中して鳥を見ているとハンドル捌きが遅れます。
なので、常にブレーキに手を掛けて通勤です。
ガサツな性格なので手袋をつけない日もあります。寒いと指が取れそうなくらいかじかみますが、ブレーキが大事ですから、ここは耐えます。
だからか分かりませんが、手の甲が汚いんです。皺が多いというか。
これは謎ですが、手のひらも妙に皺が深いです。(おそらく竹刀をずっと握ってたからか、もしくは地黒の所為か。)
イイなとも嫌だとも思いませんが、
色々あって体ができてるんだなと思います。

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