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私の2019年を支えてくれた2つの言葉

先日、今年もらって嬉しかった言葉についてつぶやきました。

毎年「一番嬉しかった言葉」について考えているわけではないのだけれど、2019年は、どこかに残しておきたいと思うほど、この言葉が心に強く残っていたのでした。

どうしてこの2つの言葉が、この1年私を支えてくれたのか。今年を振り返ったときに、少し考えてみました。

私の仕事は、医師向けに医療の現場のあれこれを届ける雑誌の記者・編集者です(この「仕事」については、近しい人たちとの振り返りのときに改めて考えたのだけど、それは今はおいておきます)。
所属しているのは、医師向けの情報媒体では比較的大きい雑誌。自分の仕事は、その媒体の看板でさせてもらっていると思っています。この媒体に所属しているから、会ったこともない人が時間をくれる。個人の実力ではなく看板で仕事をするということが良いか悪いかではなく、看板の力が大半を占めているのは事実でしょう。
メディアという仕事をしている以上、取材させてもらったり記事を書いてもらったりと、誰かの時間をいただくことになります。貴重な「時間」をもらうに値する価値を提供するためには、媒体は大きい影響力を持つことを目指すのが望ましいと思っています。「インフルエンサー」と呼ばれるような、影響力が大きい個人を取材して、その人に記事を広めてもらうのも媒体を知ってもらうきっかけの1つだとは思うけれど、そればかりを期待するのは、ちょっと本末転倒かなと思っているのが前提です。

私は編集部の中ではどんどん新しいコラムを立ち上げる方で、担当しているコラムも数多くあります。私が新たなコラムを立ち上げるときはだいたい、既に業界でとても有名だったり、著書がいくつもある人よりも、「まだ何も医療界に発信したことはないけれど、発信したいことがある」という人を見つけてしまったとき。既に自分の所属する媒体の影響力を超えている人よりも、まだ自媒体が役に立てる人、また「この人が発信して届く人が増えたらいいだろうなあ」と思う人のコラムを作りがちです。

この傾向について私は、既に語りつくしてきた内容のコラムを依頼してもコラムニストも迷惑かなとか、私自身が断られて傷つきたくないとか、そういう反省的な理由をいくつか考えていました。今回、「新しい才能の発掘をちゃんとしてくれてる」という言葉をきっかけに、初めて前向きな視点で自分の仕事を振り返って、やっていて良かったなあと思えました。「こんなふうに良い見方をしてくれる人もいるんだなあ」と、うれしく思ったので、仕事で疲れたときや、自分に何ができるのか自信が低下したときに、一歩一歩やればよい方向にいくはず!と自分を勇気づけられた言葉でした。

もう1つの「好き嫌いの感覚、信頼してるんで」というのは、優秀な年下の仲間にもらった言葉でした。

私は、受容性が高い一方で思い付きも多いので(FFSはBD)、思ったことは基本的に言うタイプ。仲間はわりと「何でもいいよ!」という順応性が高いタイプが多いので、「こいつ好き嫌いありすぎ、いいかげんにしろ」と思われているだろうなあーと薄々思っていました。でも不安に思うと言わずにはいられないので言っちゃう。

私が新しいプロジェクトに関する不安ポイントを話していたとき、好き嫌いの感覚自体を信頼していること、私がまずいと思ったらまずいんだろうと思ってくれているという話を聞いて、私が思っているより、はるかに私は仲間に受け入れられているんだなあとありがたく思いました。自分がやりすぎているんじゃないか、めんどくさく思われているんじゃないかと思ったときに、思い出して支えてもらった言葉です。

この2つの言葉で、そんなに人に受け入れられているわけがないと思いすぎているのかもしれないなあ、案外人は良い方向に見てくれているんだなあ――と思った2019年。2020年は、ネガティブに自虐的になりすぎず、良いところを伸ばしていきたいな、と改めて思わせてもらったのでした。

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