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キリマンジャロの記憶

 キリマンジャロと言って何を連想するか。アフリカの大地に悠然とそびえるキリマンジャロの山か。ヘミングウェイの小説、キリマンジャロの雪か?

 昭和47年、私が中学生の頃、叔父さんから初めて喫茶店と言うところへ連れていかれました。昭和の高度成長期にみられたジャズ喫茶、マンガ喫茶と言った喫茶店ブームが遅ればせながら田舎でもブームになりました。

 白の漆喰に木目の木材がうまく組み合わせられたレトロ調の外観。通りに面した出窓は大きく、木目が強調された枠に透明なガラス、やさしく冬の日差しを吸収していた。木製の看板に喫茶赤とんぼと書いてありました。ガラスが組み込まれたドアを開けると鈴がカランコロンと鳴った。

 店内に入ると二人のお客がカウンター席に座ってコーヒーを楽しんでいた。ジャズが流れ、トランペットとピアノの調和とれた音色が心地よかった。木製のカウンターの越しにいた、小柄なマスターがにこやかに声をかけた。

 「いらっしゃい」

 「やぁ、席、空いてる?」

 「あぁ、空いてるよ、どうぞ」

 叔父さんの後からついて行き、テーブル席の椅子に座った。一枚の松で作られたテーブルは厚みがあって、ニスで綺麗に磨き上げられていた。椅子に腰かけるとテーブルの位置がやや高く感じた。

 マスターがお冷を二つと灰皿を運んできた。マスターはそれほど小柄な感じはしなかった。歳は30歳になるかならないかと言った感じだった。

 「何がいいかなぁ」

 叔父さんはタバコのハイライトを取り出して、封を開けながら私に聞いた。

 「コーヒーでいいです」

 「おっ、コーヒーか?パフェやアイスクリームもあるぞ?」

 「いや、コーヒーでいいです」

その時、一度でいいから本物のコーヒーとやらを飲んでみたいと思って返事した。

 「そっか、それじゃ、コーヒーとキリマンね」

 「ハイ、コーヒーとキリマンね」

 マスターはそう言ってカウンターの中に入った。私は叔父さんが注文したキリマンって何だろうと考えていた。聞いたことがない言葉で大人にしかわからない物なのかと思いを巡らせた。

 マスターが小柄に感じたのはカウンターの中が一段、低くなっていたのに気づいた。マスターの後ろの壁は木製の棚があって、きれいに仕切られた棚の中にいろんなコーヒーカップが並べてあった。その下は調理ができたり、コーヒー豆の瓶がいくつもあった。

 私はコーヒーがどのようにして運ばれてくるか気になった。マスターはいくつもあるコーヒー豆の瓶の一つからスプーンですっくて、コーヒーミルへ入れた。そして、ゆっくりとハンドルをまわした。しばらく回していたが挽かれた豆の粉をガラス製の筒に投じた。底が丸いガラス容器に水を入れて、アルコールランプを付けた。そして、コーヒーの粉が入っているガラス容器を水の入った丸い容器の上に差し込んだ。へぇーと思いながら初めて見るコーヒーの作り方に驚いていた。

 叔父さんがタバコの灰を灰皿に落としながら、私に言った。

 「もうすぐ、中学を卒業だな」

  「うん、受験勉強はしてるよ」

 「そうだな、あまり勉強しすぎても良くないぞ、だからこうして息抜きにつれて来た」

 叔父さんはそう言って、自分が外出できる理由付けをした口ぶりだった。私は初めての喫茶店で緊張していたが何だか急に大人びたような気になった。店の壁に一枚のポスターが貼ってあった。眼鏡をかけ、スーツ姿の外国人がピアノ演奏している白黒のポスターだった。叔父さんに誰か聞いてみた。

 「ねぇ、あのポスターは誰?」

 「あれか、ジャズピアノ演奏者のビル・エヴァンスさ、と言ってもわからないだろ」

 「へぇ~、ジャズ?」

  「いま、かかってる曲もジャズだ」

叔父さんがそう言うとマスターがコーヒーを運んできた。

 「お待ちどうさま、どうぞ」

私はマスターにどんな曲かを聞いた。

 「ねぇ、いまかかっている曲は何って言うの?」

 「いまかかっている曲はブルーミッチェルのアイル・クローズ・マイ・アイズさ、お気に入りの曲だよ」

マスターが答えてくれた。私はテーブルにおかれた二つのコーヒーを見て、キリマンってコーヒーなのかと知った。私のコーヒーとどう違うのか気になった。自分のコーヒーに砂糖を入れて恐る恐る、口につけた。熱っと感じたが何とか飲んでみた。苦味と砂糖の甘さがして、飲めそうだと思った。

 叔父さんのキリマンと言うコーヒーには琥珀色した大粒の砂糖がついていた。叔父さんのコーヒーについて聞いてみた。

キリマン

 「ねぇ、キリマンってコーヒーのこと?」

 「そうだよ、キリマンってキリマンジャロと言って、アフリカのタンザニア産のコーヒー豆を言うんだよ」

 「美味しいの?」

 「あ~、酸味と苦味があって美味しいよ、気に入ってるコーヒーだ」

 「酸味って、酸っぱいの?」

 「酸っぱいよ」

 叔父さんがそう言うとドアの鈴が鳴って一人の女性が入って来た。叔父さんは女性を見て、手招きをして呼んだ。

 「こっちだよ」

 女性は私を見て「こんにちは」と挨拶をした。

 「まだ中学生かな」

 「ハイ」

 私はまだ中学生と言われて少しムッとしたが気を取り直した。

 「甥っ子だよ、何か飲む?」

 「そうねぇ、ココアでいいわ」

 「マスター、ココアを一つ」

 叔父さんはにこやかに女性に気を使いながら話をしていた。私はコーヒーも飲み終えて、叔父さんと女性の会話を退屈そうに聞いていた。やがて、女性もココアを飲み終えたところで席を立った。おじさんが会計をして喫茶店を後にした。その時、私は叔父さんのデートに付き合わせられたと気付いた。それから、中学卒業した3月に叔父さんはその女性と駆け落ちして、大阪に行った。

 2年後、高校生になった私はまた、この喫茶店に来た。叔父さんが飲んだキリマンを注文した。マスターがキリマンを運んだ時に叔父さんのようすを聞いた。

 「叔父さんを最近、見かけないけど?」

 「女の人と駆け落ちしたんだ」

 「やっぱ、駆け落ちしたか」

 マスターはキリマンを置いて納得した顔を見せた。私は初めてキリマンジャロというコーヒーを飲んだ。「おっ、酸っぱい!」苦味の中に酸味が強烈に感じた。そして、ちょっとだけ大人になった感じがした。

 それからというものあのキリマンジャロの酸味に出会たことがない。























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