ICT教育が進まないわけ(1)

前回はコロナ休校中に学校ではどのようなやり取りが行われているかについて書きました。

今回はICT教育がなかなか進まない理由について書いていきます。ICT教育と言ってもカバーする範囲が広すぎます。ここで言うICT教育は、一般的に思い描かれているであろう全教室に教室にWiFiが飛んでいて、生徒がiPad片手に授業を受けているイメージのICT教育環境の整備と思ってください。

目次
① 予算が組めない
② 生徒募集につながらない
③ 平等性の担保

① 予算が組めない

公立の小中高は予算がつかないことにはなにもできないという現実があります。個々の教員が身を切って教室環境や仕事に必要な備品を購入するのもすべて予算がついてないからです。私立は借金経営ができますが、公立は予算内での運営が求められます。私が以前勤めていた公立の中学校では教頭先生が古紙を高く買ってくれる業者を見つけてきて、古紙回収でわずかに増えた収入で学校の環境整備に努めていました。それぐらい予算の制約が厳しく、新しく何かを始めることが難しいのです。

私立では年度途中でもある程度弾力的な予算運用がされています。とはいえ、ICT環境の整備は相当にお金が動くプロジェクトになりますので、なかなか踏み切れるものではありません。

そもそもICT教育にはお金がかかります。中小企業がインターネット環境を整えるとはわけがちがいます。もともと有線LANが引かれていない広大な校舎(4階ぐらいまでに階数が抑えられている学校の校舎は横にだだっ広い建物になっています。二重床にもなっていません。)にケーブルを這わせるだけでもたいへんです。

一説には教室で40人の生徒がWifiを使えるようにする工事では2000万円以上かかると聞いたことがあります。あの面積にすし詰めにされている生徒が一度に全員同じアクションを起こす教室という環境は一般の企業とは異なり、ネットワークの負荷が非常にかかるそうです。やはり、それなりにお金のかかるネットワークの整備が必要とのことです。そこまでの投資に見合う教育効果を出せるのか、また、生徒・保護者はそれを求めているのかは地域によって事情がまったく異なります。

それに加えて、生徒にタブレットをもたせるとなると、個人所有のタブレットを持ち込ませるか、学校貸与のタブレットを使用させるかによって異なりますが、ICT機器を管理する職員を一人以上フルタイムで雇う必要が出てきます。学校としては年間数百万円の追加の出費です。

② 生徒募集につながらない

教育はもっとも確実な投資と言われますが、私立学校であってもICT教育に投資することはそういう需要が高まっていない地域にはまったくリターンが見込めないのです。

東京都心部や神奈川のような世帯所得が高い地域では、様々な新しい取り組みが評価されていると思うのですが、同じ首都圏であっても、埼玉・千葉・茨城などではどちからというと東大合格者数や部活も勉強も盛んといった昭和的伝統的な価値観の方が評価を受けやすいということが否定できません。

これらの地域では全生徒タブレット導入をした学校でも結局うまく使いこなすことはできず、従来通りの学校運営が行われているという話も聞きます。「あそこの学校はタブレット持たせたけど、生徒はYouTubeと目覚まし時計のためにしか使っていない」などと揶揄されたりもしています。

そうなるとICT教育のための投資になかなか踏み出せません。

③ 平等性の担保

平等性については生徒サイドの問題と教員サイドの問題があります。

まず生徒サイドから考えると、すべての生徒が同じサービスを受けられる環境整備が必要です。そこが担保されない企画についてはなかなかGoサインが出ません。教員にも「不平等おばけ」が存在し、教育効果云々ではなく少しでも不平等であることに対しては猛烈に反対意見を繰り広げます。

例えば、コロナ休校中にオンラインで授業の開始を検討する際、生徒全員の家庭がインタ―ネット環境にあるのかという調査が必要です。この時点でもう導入を諦めてしまっている学校があります。
生徒が学校に登校していない状況で全生徒に電話をかけて調査・確認をするとなると「課題をだしておけばそれでいいんだ」とオンライン授業に反対の意見も多く出ます。webを使ったアンケートなどかなり労力を減らす工夫はできるのですが、年配の管理職たちがwebでアンケートという意味を理解できない場合も多いのでしょう。

仮にアンケートを取ったとしても1家庭でもインターネット環境が整っていないということがわかると「不平等おばけ」は黙ってはいません。

海外の多くの国では、今回のコロナ休校の対応として、インターネット環境にない家庭には即座にWi-Fiルーターとタブレットが提供されているようです。日本でも企業に掛け合って、タブレットを貸与した学校があるようです。一部の地域では急遽タブレット支給の予算を計上したという報道もありますね。このように平等な環境整備に高いハードルがあります。

一方、教員サイドでは「すべての教員が実施可能なもの」以外は取り組まないというヘンな平等主義みたいなものがあります。たとえば、3月の卒業式や4月の入学式を保護者なしの各教室で実施した学校が多かったです。私は動画配信して保護者に視聴してもらうことを提案しましたが、「できる先生とできない先生の差が出るのはだめ」と却下されました。オンライン授業はともかく、オンラインホームルームはすべての先生が一斉にできないとだめと考える管理職はこの非常時であっても、なかなか新しい取り組みに許可をあたえません。

このように学校は最大公約数的な活動に終始してしまう場合が多いのです。もっともできない先生を基準にして全教員が動くということが往々にしてあります。

時間があるときに続きを書いてみます。



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