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なぜ、同性婚を支持する人が過半数を超えても、政治が変わらないのか

衆院選では、新型コロナウイルスへの対応や経済、税金、社会福祉、安全保障、教育など、幅広い政策について、候補者たちが議論しています。

気になる争点は人それぞれでしょう。僕が毎回注目するのは、選択的夫婦別姓と同性婚です。様々な世論調査で既に過半数が支持し、前者は世界では当然、後者も当たり前になりつつあるのに、日本ではなかなか実現しません。

この2つが実現すれば、幸せになる人たちはたくさんいる一方で、不幸になる人はいません。多くの政策は、税金の配分が変わって、誰かが損すれば、誰かが得をする、という構図で、立場によって意見は異なって当然です。でも、この2つはそういうものではない。

先日、子育てをするLGBTQ当事者たちを取材した「子どもを育てられるなんて思わなかった LGBTQと『伝統的な家族」のこれから」という本を出版しました。

僕が担当したのは政治と司法に関する章です。その章のあとがきで、司法と政治の動きをまとめているので、その内容に一部加筆・修正して紹介します。

取材を終えて

札幌地裁の違憲判決について、尾辻かな子議員に聞いた言葉が、今も耳に残る。

「憲法14条が私たちの権利を守ってくれるんだと感動しました。法の下の平等に私たちは守られているんだと」

そう。憲法14条に、はっきりと書いてある。「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

札幌地裁判決が指摘した2つの常識

札幌地裁の判決は、性的指向が「人の意思によって、選択・変更しうるものではない」と指摘した。また、婚姻の目的は明治民法の時代から「男女が夫婦の共同生活を送ることにあり、必ずしも子を残すことのみが目的ではない」と明確に述べた。

異性愛者に明日から同性愛者になれと言っても不可能なように、その逆も不可能だ。子どものいない夫婦はいくらでもいる。札幌地裁のこれらの判断は、2021年の現代において常識的なものだ。

そのうえで、法的に結婚することで異性愛カップルが受けている様々な恩恵を同性愛カップルが受けられないという区別が合理的かを検討している。

判決は、次のように結論を導き出す。

明治時代においては、同性愛は精神疾患だと考えられていたために、同性婚は認められなかった。しかし、同性愛は精神疾患ではなく、自分で変えられるものではないことはすでに確立した知見だ。それなのに、結婚による法的な利益を全く受けられないのは「同性愛者の保護が,異性愛者と比してあまりにも欠ける」。

だから、同性婚が認められないのは、法の下の平等を定めた憲法14条に違反する。武部知子裁判長はこの判決を伝える際、声が震えていたと現場で傍聴していた共著者の松岡宗嗣さんから聞いた。裁判長の胸に押し寄せた思いは何だったのか。

性的マイノリティ差別を許す社会の当事者として

異性愛者たちにとっては、結婚をする/しないは自分たちで決められる。しかし、同性愛者は選択肢すら与えられない。これは国が「お前たちは普通ではない。マイノリティだ。だから権利は与えられない」と言い続けているようなものだ。私はそのことに痛みを感じる。性的マイノリティ当事者としてではなく、性的マイノリティを差別している社会の当事者として。

2017年、オーストラリアで同性婚の成否を決める国民投票が実施された。現地の友人が、フェイスブックにこう書き込んだ。

「あなたが同性婚に関して反対の投票をするのなら、私との友人関係を切って欲しい。同性婚に反対ということはつまり、あなたは私を平等な人間とはみなしていないということです。それが避けては通れない事実です」

彼はゲイであることをオープンにしている。普段は陽気で周りを楽しませている人が、どういう思いでこう書いたのか。書かざるをえなかったのか。

国を作り上げているのは、私達一人ひとりだ。2001年にオランダで世界で初めて同性婚が認められて20年。欧米、中南米、アフリカ、アジアでも次々と同性婚が認められる中で、今も同性婚を認めない日本で生きていることに、私は責任を感じている。そして、武部裁判長が声を震わせた気持ちを理解できる気がする。

変わる世界と変わらない日本

同性婚の法制化は世界で加速している。Marriage For All Japan(マリフォー)によると、2015年以降だけでも、ルクセンブルグ、メキシコ、アイルランド、アメリカ、コロンビア、フィンランド、マルタ、ドイツ、オーストラリア、オーストリア、台湾、エクアドル、コスタリカと続いた。婚姻やほぼ同等の制度を実施する国は63カ国に上る(2021年1月時点)。

マリフォー代表理事で、同性婚訴訟の東京弁護団共同代表でもある寺原真希子弁護士によると、一連の裁判が最高裁で最終的な決着を迎えるのは2023年ごろになる。マリフォーの活動は裁判所にとどまらず、1日でも早く同性婚が認められるように、社会や国会にも働きかけている。世論調査などで賛成する人たちが増えていることは、札幌地裁判決でも言及され、判決に影響を与えている。寺原弁護士は「社会も裁判所も変わってきている」と話す。

その変化が最も遅い場所が、国会ではないだろうか。私が今回、この本の中で司法と政治の現状について取材をしたいと考えたのは、そういう問題意識からだ。

もっとも変わらない政治と自民党

札幌地裁判決だけでなく、寺原弁護士も指摘するように2013年の婚外子法定相続分差別の違憲決定のあたりから、司法判断の変化が感じられるようになってきた。だが、政治が実際に動くのは裁判所がこういった決定を出してからだ。なぜ、政治の変化は司法の変化より遅れるのか。

実は今回の衆院選での各政党の公約やアンケートへの回答を見ても、同性婚の実現について賛成をしない主な政党は自民党ぐらいになっている。

自民党内に明確な反対派がいるのは確かだ。党内でLGBT理解増進法案の取りまとめを担ってきた稲田朋美議員は、同性婚に反対する保守派議員は「伝統的な家族観を守る」という立場から反対しているのだと説明する。「要するにこれは家族か個人か、左翼対保守、右か左かのイデオロギー闘争の象徴なんだと。相手は家族を崩壊する運動をやってるんだという捉え方をしている人たちもいる」という。

同性婚どころか、自民党内では性的マイノリティをとりまく現状や課題への理解を深めようという内容の理解増進法案すら党としての賛同を得ることができなかった。党内の会議では「LGBTは種の保存に背く」などのあからさまな差別発言まで出た。

こういった差別発言は自民党所属議員から繰り返し出てくる一方、変化の兆しも見える。国政選挙前に朝日新聞と東京大谷口研究室が共同で実施している「朝日・東大谷口研共同調査」。候補者に個別政策への賛否を聞いている中で、同性婚に「反対」「どちらかと言えば反対」と答える自民党の候補者が2016年60%→2017年46%→2019年36%と減っているのだ。一方で「賛成」「どちらかと言えば賛成」と答える候補者は6%→9%→9%で、ほとんど増えていない。

世論調査ではすでに同性婚に賛成する人が多数を占めるようになっている。例えば、札幌地裁判決後の朝日新聞調査では同性婚を法律で「認めるべき」が65%に上った。このような世論を前に、選挙前に明確に「反対」と掲げる議員が減っているのだろう。稲田議員によると、選挙だからというだけでなく、「5年前に性的指向・性自認に関する特命委員会を立ち上げたときは『なんでそんなことを議論するの?』という感じだったのに比べると党の雰囲気もかなり変わった」と話す。

自民党以外を見れば、同性婚に賛成する議員は非常に多い。立憲民主党、共産党のような野党のみならず、公明党でも賛成が目立つ。

人権が後回しにされる選挙の現実

それでも国会が動かないのはなぜか。2019年参院選で立憲民主党から立候補した打越さく良議員にも話を聞いた。選択的夫婦別姓に関して、弁護士として国会議員にロビーイングし、司法の場で弁護団として戦い、最高裁での敗訴を経て、戦いの場を国会に移した打越議員にはどう見えるのか。

ざっくばらんな口調で本質をずばりと指摘する打越議員はこう言う。

「選挙で街頭に出るとね、選択的夫婦別姓とか、同性婚とか、夫婦別姓とか、そういう話をしても反応がないんですよ。『私達の暮らしには関係がない』って感じで」

選挙で優先されるのは、経済、社会保障など有権者一人ひとりの生活に直結した政策だ。新潟の選挙区を駆けずり回ってきた打越議員は「『目の前の田んぼを、暮らしをどうして暮れるの』という話ですよね。そういう現場を駆けずり回って、話を聞いてくれる人たちと握手して、やっと当選する。私、これだけ別姓のことやジェンダーのことをやってきたけれど、街頭でそのことで話しかけられたことがないんですよ」

尾辻議員も「地元の講演などで語るのは主に一般的な政治情勢」と話していた。LGBTのみならず、個人の尊重や人権といった話題が政治の争点となっていないのが現実だ。厳しい選挙を勝ち抜く中で、常に後回しにされ、この問題に敏感な政治家が育ちにくい。

だからと言って、いつまでもほったらかしでいいはずがない。繰り返すようにこれは同じ日本社会に暮らす仲間への差別的な取り扱いを放置している我々一人一人の問題だ。

憲法24条の両性の合意「のみ」の意味

最後に憲法24条と、もう一度、14条に触れたい。同性婚に反対する人たちは憲法24条の「婚姻は両性の合意にのみ基づく」という条文を盾にする。両性のみ、つまり、男女のみに認められている、と。

24条のこの文言の背景には、明治時代に作られた旧民法がある。旧民法では、結婚は当事者2人ではなく、それぞれの家と家の関係が重視され、家の主(戸主)の同意が必要と規定されていた。それが戦後に制定された日本国憲法では個人の自由を尊重するために「両性の合意のみに基づく」と明記された。つまり、24条は同性婚を否定するためのものではなく、個人の自由に基づいて結婚ができることを明らかにしたものだ。

尾辻議員が2021年衆議院予算委員会で衆議院法制局に質問をし、引き出した回答がある。引用する。

「日本国憲法は、同性婚を法制化することを禁止はしていない、すなわち、認めているとの許容説は十分に成り立ち得ると考えております。例えば、最近刊行された教科書の中で、東京大学の宍戸常寿先生は、憲法二十四条が近代的家族観を採用したとの理解を前提に、憲法上の婚姻を現行民法上の婚姻に限定する一方で、それ以外の結合は、家族の形成、維持に関する自己決定権、十三条によって保障され得ると解するのが多数説であるとしつつ、他方で、憲法二十四条の規範内容は近代的家族観を超えるものであり、同性婚も憲法上認められるとの見解もあると述べられています」

いわゆる「許容説」が成り立つと認めた上で、さらに踏み込む。

「同性婚を認めるかどうかは立法政策に委ねられているとする考えや、さらには、憲法十三条や十四条等の他の憲法条項を根拠として、同性婚の法制度化は憲法上の要請であるとするような考えなどは、いずれも十分に成り立ち得るものと考えたところです」

憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される」、憲法14条「すべて国民は、法の下に平等である」。これらを根拠に憲法は同性婚の法制化を要請しているという説も成り立ちうるという回答を聞いたとき、私は震えるほど嬉しかった。この13条と14条に、私達が生きていく社会の理想の姿が体現されているように感じる。

私達は未来を託されている

アメリカで同性婚は憲法で認められていると結論づけた最高裁の判決に、印象的な一節がある。奇しくもアメリカの憲法も修正14条で法の下の平等を定めているが、その本質について、こう言及している。

不正の本質は、自分が生きている時代には不正に気づけるとは限らない、ということにあります。権利章典や修正第14条を批准した世代は、自分たちが自由の全容を知っていると思いませんでした。だからこそ、彼らは将来の世代を信頼し、すべての人が自由を享受する権利を守る憲章を未来に託したのです。
新たな洞察によって、憲法が保護している価値と、その時点における法律との間に乖離が生じていることが明らかになったのならば、自由を求める訴えは聞き届けられなければなりません。

日本国憲法を批准した世代は、戸主の許可がなくても愛し合う二人に結婚する自由があることは知っていたけれど、性的マイノリティの存在について十分な知識をもたなかった。だからこそ、未来を託されている我々が性的マイノリティの自由を求める訴えを聞き届け、社会を変えていく責任があるはずだ。

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