見出し画像

美しさを求めるが故の「虚無」−映画「風立ちぬ」より

 ああ、台風によって風が吹き荒れている。

そうだ、前書いた映画「風立ちぬ」の記事を改めて掲載しよう。


「ブログタノシイ」「ベンキョウタノシイ」

「デモショウライノコトカンガエテナイ」

「アナタハメツスル」

 さっそくですが、本日は「風立ちぬ」について書きたいと思います!正直な感想としてしましては「ヒロインの声が非常に良い」ですね。なんと言いますか、透明感のある声と言いますか、とても癒されますよね。あの声が付いたアラーム時計とかないのですかね?ここまで言うと、ただの犯罪者になりかねませんので自重します。その反面、作品の感想はというと・・・・

 正直、よくわかりませんでしたね。私自身、あの作品自体にあまり起伏が無かったような気がするからです。「なんてきれいな声なんだ」とヒロインの声に惚れつつ、作品を理解しようとしましたが、結局ダメでしたね。仕方なく、もう一回映画を見て、wikpediaや映画マニアのブログなども拝見させていただきました。そうやっていくうちに、少しずつですが、あの映画の何かをつかめた気がします。

 それは、美しさを追い求めるが故の「虚無」なのではないかと思います。(ひょっとして、私の知らないところで同じ意見が出ていたら、すいません。)主人公は飛行機設計士ですが、あの時代においてはかなり裕福です。小さい頃からイタリアの設計士に憧れ、好きなことをとことん追求していた彼は表面的に見ると、順風満帆な人生を歩んでいました。個人的に印象的だったのは、銀行が閉められ大勢の民衆が銀行に駆けつけているシーンです。当時の時代背景を探れば、おそらく銀行が倒産して民衆がパニックしていることが想像できます。しかし、主人公とその同僚は彼らの横を「大変だ」と言って通り過ぎていくだけなのです。そこには、あの時代における格差、断片化された社会(航空設計士たちを含む、比較的高貴な人たちの世界)を伝えたかったのではないかと思われます。あのシーンは個人的には非常に考えさせられるシーンでしたね。そのような状況の中で、主人公は飛行機の美しさの真髄を極めていったことと思います。

 飛行機のほかに、主人公が美しさを追い求めていたもの、それはヒロインですね。一見ヒロインのことを大切にしているところは描写されていますが、彼女が病気で山奥の療養所に行っていた時や、体調悪化が激しいヒロインに無理をさせていることを妹に言及されても「私たちには時間がない」と答え「薄情だ」と返される場面を見ると、主人公とヒロインの関係性に疑念が私の中で残るのです。主人公は彼女を大切にしているというより、彼女が持つ「美しさ」を大切にしていたのではないでしょうか。彼女が毎日化粧していたのも、このことが理由だと思います。

 しかし、飛行機によって吹き荒れる風が彼女の死を伝えるというシーンが最後にあります。これが美しさを追い求めていることの限界、はたまた「虚無」を暗示していると感じさせられました。飛行機に関しても、後々零戦と呼ばれ、戦争へ歩む時代に大きく規定されていきます。この映画を「零戦賛美」とかぬかす人もいますが、とんだ見当違いです。まあなんていうのでしょうか。今まで映画や本をたしなんでこなかった煩悩だらけの私ですが、そこしれない「虚無」をこの映画に感じます。まあこんなんで、この映画を分かっているつもりでいると、映画マニアの堪忍袋の緒を切れさせることになるでしょうね。

 私自身、遠い地で大学生をやっており、歴史を勉強しています。セピア色の資料や写真をみるたび、当時の生きていた人の情景が浮かびます。あの瞬間はたまらなく好きです。そのためには、難しい資料読解もしないといけないわけですが……。ですが、私自身いつまでもセピア色の世界に浸っているわけにはいかないでしょう。いつかは、学問に追い求めることに対する限界が来るはずです。それによって、「虚無」が襲うことも十分ありえます。これからの人生における「先見の明」を持たないと生きていけない時代が来ています。この先困難なことが続きますが、私は、立ち止まるわけにはいかないのです。

 

「まだ学問の風は吹いているか、日本の少年よ。」

「はい、吹いています!」

「では、生きねばならん」

風立ちぬ。いざ生きめやも。

#映画 #風立ちぬ #台風19号 #関係ありません
#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?