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「道端に落ちている軍手は大抵片方だけである」

人間というのは、精神が追い詰められると、猥談にふけってしまう悪癖があると思う。

しかし、今の私はそれとは逆で、下ネタを言いすぎて、精神がまいっている。

したがって、たまにはまともなこと(乳房と尻以外のこと)を書こう。

小生、最近はかなりサボっているが、ついこないだまで、夜の商店街をふらつき、唐突に店に入るやいなや、「話を聞いていいですか」と簡単な取材みたいなものをしていた。ちなみに、この行為を広辞苑で調べると、奇行という言葉が出てきた。間違いない。

そして、この奇行のおかげで、被害に遭われた方が10名いる。ざっとあげると、酒屋、時計屋、呉服屋、漆工芸、雑貨屋、NPO団体、地元イベントを開く大学生。本当に申し訳ないことをしたと思っているが、どれも興味深い話が聞けた。この場を借りて、お礼を言う。

その中で興味深かったのが、漆工芸の職人の話である。私はもともと職人が好きだ。AIに代替されなさそうだし、何よりそのオーラに感服する。高校時代の古典の先生が「職人は良いぞ!」と熱弁する気持ちが最近わかるようになってきた気がした。

私が最初に話を聞いた漆工芸職人の方は、大層おつかれのようだった。

「すいません、ちょっと私、漆に興味がありまして…」

「はぁ、まぁテキトーにみてってください」

「この店はだいぶ古くからやっているのですか?」

「まぁ私が3代目で、はい」

このようなペースで話は進み、聞き取りは終わった。

・後継がいないので商品は売る
・今は客がいないし、全く売れない
・昔は賑わっていた

結果、この三つが主な発言内容だった。

ここで、私は「この地域の漆はあんまり上手く行ってないのかなぁ」とぼんやり思っていた。若干虚しい気持ちで歩いていると、もう一件漆工芸を扱う職人がいる店を発見。
ここで私はとても驚いた。

「おお!いらっしゃい!」

「私、漆に興味がありまして、、」

「おお!それは嬉しいですね!こちらが私の店のパンフレットですね。ご覧ください」

「すごいですね、色んな模様があるんですね。」

「漆は牡丹の柄が多いんだけど、最近は若い職人も取り入れて、デザインを変えようと模索してますわ!」

(さっきとはえらい違いやなぁ…)

「ほんなら、みていきます? 職場」

「いいんですか?早速お願いします!」

「ええよ!ええよ!」

道具が乱雑に置かれており、作業しています感が身に染みて感じられた。職人は次々と道具に指をさして、「これが塗料で、これが塗料の上にさらに塗るやつで、温度管理は…」と話が止まらなかった。予習不足の私は録音に全てこの話を委ねることにした。

結局、40分近く、職人の熱弁を聞いた。
最後に「いつでも来てください」と名刺をもらった。「後、うちSNSもやってまして、みてくれるようお願いします。」

「わかりました!ありがとうございます。」

全く違うではないか。二件しか話を聞いていないが、様子が全く異なる。

一件目は「漆は上手くいってなさそう」と思っていた自分が、二件目の話を聞き終えた後は「漆の未来は明るいノォ!」となっていたのである。

両者とも嘘をついているわけではないのだ。ただ、与える印象が全く違う。この差はかなり大きいように思う。

私が愛読する新聞は、客観的事実に基づいた文章で構成されている。話を当然聞いて、それを歪曲することなく、文字に起こしているだろう。

ここで1つ言えることがあると思う。
人の話の「内容」は注目されるが、それを「誰」に聞いたのかはそこまで注目されていないということである。例えば、朝日新聞「耕論」では、「話し手」が一番重要なポイントとなる。意見より、「誰」が言っているのか、ここに注目するものなのである。(今日の武田砂鉄氏のオピニオンは抜群に面白かった)

しかし、街ダネなどを見ると、そのようなことは注目されない。それは当然で、「誰」の取材をしたのかというより、その「中身」の方が重要だからだ。

今回で言うと当然、1人目より、2人目の漆職人の方が紙面を飾るのにふさわしいだろう。
「漆 世界へ!」「若手職人の力で変革を!」のような見出しが付けられなくもない。

しかし、1人目の方の語りもれっきとした事実であることに変わりないのだ。私はむしろ、1人目の方の「人が来らんくなったよ。何せここ、駐車場が無くてね。道も悪いのよ」とぼそっと言った一言が今のこの街の本質を指摘していたと思っている。

今回は漆の話を聞いたので、それを愚痴として処理してしまったが、見逃したくないコメントは1人目の方にも充分あった。

新聞はテーマに沿って取材するだろうから、切り捨てられるコメントは多数あると思う。しかし、その中には、これからの社会を変えるヒントになりそうな一言もあったのではないかと思う。

全部拾うなんてのは不可能だ。ただ、普段見る新聞の記事は取材上、大切な箇所をかすめとった表面に過ぎない。さらに、そのかすめとった記事の中で「誰」の話を書いたのか、ものすごく重要となるのだ。

「道端に落ちている軍手は大抵片方しかない」

「じゃあもう片方は?」

切り捨てられた人の思いを忘れてはいけないなどといっても、どうしようもない。ただ、なんとなく忘れたくはない出来事だったなぁとしみじみ思う。

#エッセイ #軍手 #漆 #新聞 #職人


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