お金を基準にするのを辞めたら、夢は叶う。
ベトナムの旅行記を書き綴っている最中なのだけれど、僕自身も改めて強く認識しておきたいことを書き留めて置きたいと思う。
ベトナム旅を終えたばかりだけれど、僕は次の旅の計画を立てている。
初めての海外一人旅ぶりとなる(もうかれこれ7年も経っている)欧米への旅を考えている。特にアメリカへの再訪は、今年なんとしても実現させたい。
周りにも都度そんな話をしている。
すると、決まって言われるのが、"よくお金がそんなにあるね"と言う一言だ。
自慢じゃないけれど、僕は今現時点で次の旅の予算はない。まったくもってない。自分の経営するお店を開業して、まだ1年半である。そんな資金がふんだんにあるわけがなかろうが、というのが正直なところだ。
でも、思うのだけど、自分がやりたいことがあるときに、"お金があるかどうか"をやるかどうかの選択基準にして良いのだろうか?
僕は、このnoteに書き記しているように、何度もベトナムのコーヒー農園を訪れさせてもらっているから、周囲の人からは"自分も行ってみたい!"という声がけをいただくことも多い。だから、一緒に行きましょう!と返答するのだけれど、行ってみたいというのに"いや、お金がないし時間もなくて。。"という返答が返ってきて、その都度とてもがっかりしてしまう。
お金を基準に、やれるか、やれないか、やれそうか、やれそうにないか、を考えてしまうと、たいていのことは"やれないこと"になってしまうじゃないか?と思う。
"行けるものなら行ってみたい"
"やれそうなら、やってみたい"
失われた30年と揶揄されるほどの不景気の国で生活をしていれば、まずもってお金の心配をすることは致し方のないことなのかしれない。でも、それでは「何も変わらない」こともまた事実なのだ。
僕は、以前に
という記事を書いた。思いの外、多くの方に読んでもらったことで、この記事についての反論みたいなものも届いた。
「そんなのお金があるからできるんだ。」と
この反論を聞いて(読んで)、僕は憤慨してしまった。今だから、書いてしまえるけれど、この記事を書いた当時の僕はフリーター同然の暮らしをしている。会社員である自分に嫌気がさし、生き方を改めて考え直している時期だったのだ。お金のなんてあるはずもない。けれど、そんな中でも、僕は「本気でやりたい」ことを自分に問い続けた。
あまりに腹が立って書いたのが、下のnoteだ(笑)
僕が、もう一度"這い上がるために"、取り組んだのはただ一つだけのことだ。それは、
やれそうなことの中から、やりたいことを選ぶのではなく、
いろんな諸条件を取っ払った上で、本気でやりたいことを探したのだ。
それが「いろんな国に行ってみたい」というものであり、それがやがて、「自分がオーナーを務める店を持ちたい」というものだった。
その二つの夢は、今、現時点で叶っている。
もし「お金を基準」に考えていたら、僕はまだ相も変わらず「自分探し」とかなんとか嘯きながら人生の路頭に迷い続けていることだろう。
もちろん、生きていく上で「お金」は大切なものであることは間違いない。でも、それが最優先事項になることはありえないと思っている。
その見えない「思い込み」を取っ払ったとき、多くの人の不確かな「障壁」は消えて無くなるはずだと思う。実際に僕自身がそうだった。
やりたいことができない理由が、もし「お金」だとしたらそれはやりたいことをやるための「勇気が出ない」ことを押し隠すためのうまい良い言い訳に過ぎないのだと自覚しなければならない。
誰だってお金の心配はある。もちろん僕だってある。だけれど、そこに"甘んじて"しまっては、人生なんて面白くならないどころか、いつまで経っても何も変わらないし、衰退してしまう。
僕たちの国の経済がどんどん弱くなっている原因は、システムやそこらも当然あると思うけれどそれと同じくらい僕たちのマインドの在り方もあるのだと思う。
我が国は、いつもどんなときも不景気という集団洗脳。
僕は本気で思うのだけれど、"気付いた人からそこから抜けられる。"ということもまた我が国の強みだとも事実として感じる。まだそこまでは落ち切ってはいない。
大切なのは、自分の夢に対する誠意とほんの少しの勇気だけだ。お金はシステムに過ぎないのだ。
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