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違和感の原因〜気づきと反省〜

11月に、街のコーヒーショップのオーナーロースターという立場で、都内の公立小学校にお招きいただき、課外授業を担当させていただいた。

5年生には「コーヒーを取り巻く環境について」というテーマ。6年生には「キャリア形成について」というテーマで、僕自身がコーヒーショップのオーナーとして独立するまでの経歴を交えながらお話させていただいた。普段仕事していると絶対に触れ合わない世代の子供達の触れ合いの中で、僕自身も感じることが多く、とても刺激的1日だった。このことについて、THE MIDFLOW coffee roastのInstagramに日記形式で雑感を記しているので、もしご興味を持っていただけるようならそちらをご覧いただきたい。

そして、そのInstagramをご覧なっていたただいた都内公立高校の先生から、同じようなテーマでお話をしてもらえないか?というお話を頂戴した。小学校での授業から高校への授業へと言うことで、かなりレベルアップするのでそれなりに準備も必要となるだろうということは予想して「なかなか時間も取れないし本業との兼ね合いで厳しいかも。。。」と少し迷ったのだけれど、実際に先生とお会いして、先生の教育への情熱に触れて、可能な限り協力をさせていただくことにした。

昨日、顔合わせ的な感じで、実際に高校生の皆さんが弊店においでくださった。いろんなお話をうかがっているうちに、今の高校生というのはいろんな取り組みをしなければいならなくて「大変なんだなぁ」ということを感じた。その一方で、旧態依然とした勉強ばかりの超進学校で高校時代過ごした僕にとって、羨ましいなという環境でもあるな、と感じた。

と、ここまではInstagramに書いたことなんだけれど、高校生からの質疑応答を受けながら、僕自身が違和感を感じてしまったことがある。高校生のみなさんのお話を聞いている間には、その違和感の原因がわからなくて翌日になってもモヤモヤしていて、このモヤモヤの原因は何だ?ということを自問自答したくて、このnoteを書き始めた。

何に違和感を感じたのか?それは一人の高校生の一言だった。
それは「こちらのお店は、フェアトレードを意識したお店だと聞きました。」というもの。

「フェアトレード」とは貧困のない公正な社会をつくるために、経済的・社会的に弱い立場にある途上国の生産者と、経済的・社会的に強い立場にある先進国の消費者が対等な立場で取り引きを行い、途上国で暮らす労働者の生活改善と自立を目指す運動。

SDG's Connect https://sdgs-connect.com/

僕は店舗運営にあたって「フェアトレード」という単語を意識したことはないので、フェアトレードを意識しているお店と言われると自分自身で「え?そうなのかな?そう見えるのかな?」と思ってしまった。とはいえ、その一方で殊更に「フェアトレード」を意識していないと言うのも違う。僕はいつも良くしてもらっている生産者さんのことを念頭に、日々の仕事をしているしそれがモチベーションの素だ。

そうであるならば、フェアトレードを意識してるお店だと言うことで間違いはないから、別にこの違和感はスルーしてもいいのだけれど、でもこれは大事な違和感であるはずだから、なぜ違和感を感じてしまったのだろう?ということをしっかり考えてみたいと思う。

あれやこれや考えているとこういう一つの解が見えてきた。

僕は、ベトナム産ファインロブスタというコーヒー豆を弊店のメイン豆、看板豆として取り扱わせていただいている。ずっと仲良くしてもらっているインポーターの8coffeeの黒田さんは、何よりもベトナムの生産者さんやその他のベトナムの方のことを考えて「一番良い形」を模索して動く人だ。僕自身、2019年くらいから黒田さんのそばに時折居させてもらって、それが「当たり前」のことだと感じるようになっている。どういうことかと言えば、殊更にフェアトレードという単語を持ち出すまでもなく、生産地と消費国において「対等」であることは"当たり前"のことである、と黒田さんのおかげで感じるようになっているのだ。僕は、それにとても共感して、さまざまなことを勉強させてもらっていて、それを前提にお店の運営をしているつもりだ。

だから、「フェアトレードを意識しているお店」という言葉に、違和感を感じたのだ。意識をしていると言えば意識をしているけれど、意識していないと言えば意識していない。だから、その単語が議題としてポンっと出されると、僕はそれに違和感を感じてしまったのだ。これは良いことでもあるのだけれど、その一方で悪いことでもある、と自分自身への反省の材料になると感じている。

現在もフェアトレードがすべての場所で実現されているわけではない。むしろ、実現されていない場面の方が多いだろうことは想像に難くない。悲しい事だけれど、フェアトレードという単語を殊更に使わなければならない「世界」は続いている。

小学校での授業のときに、僕は児童のみなさんに向けて「コーヒーというみなさんのお父さんやお母さんが楽しんでいる飲み物は"生産地の人たちの犠牲"の上に成り立っているものかもしれない」ということを伝えた。実際にその通りなのだ。でも、僕は、自分のコーヒーショップでコーヒー豆を販売する際に、生産者は大変なんだ・・・ということにフォーカスしていないし、そういう話をすることは皆無に等しい。そうではなく、僕が仲良くさせてもらっている生産者さんたちは「こんなにすごくて素晴らしいんだ」だから「大好き」なんだ、ということにフォーカスしてお話をしているし、それが僕が一番伝えたいことだ。

それから別の観点から「フェアトレード」という単語自体に対して、僕自身が偏見があるからこの単語は可能なかぎり使いたくないというのが僕の基本的な姿勢としてあるかもしれない。フェアトレードという概念はとても大事なことだけれど、その一方で現代社会のいろんな含みのある思惑が染み込んでしまった「フェアトレード」という単語があるということもまた事実なのだと僕は感じている。あくまで僕の主観なのだけれど、でもそれは誰にも否定はできないものだと感じる。

僕は時折思うのだけれど、人間は個々人ではとても善良なのに、組織となると反道徳的な行動を取れてしまうという不思議な習性をもっている気がしている。これは僕自身の組織に属していた経験、体験からも痛感していることだ。

そんなあれやこれやを一緒くたに考えてしまった事で、モヤモヤを抱えてしまった。このモヤモヤを抱えた事で、僕自身にもとても学びになったし、大きな気づきになった。高校生からの純粋な声がけによって、僕はこのことをしっかりと考えることの契機になった。とてもありがたことで、弊店を訪れてくださった高校生のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいだ。その一方で、みなさんにはわかりづらい話をしてしまったと反省をしている。

僕の中で、いろんな概念をいっぺんに考えてしまった事で、高校生のみなさんが問いたかったこととは少しズレた返答になってしまったような気がしている。来月、2024年1月には、実際に高校にお招きいただくことになっている。自分の考えを整理しなおしたり、新たにしっかりと勉強して高校生のみなさんが何かを感じるきっかけになるための準備をしっかりしたいと思う。

その前に、2024年のお正月早々に、ベトナムをまた訪れる。
そこで、僕はまた様々な体験をして、さまざまなことを感じることだろうと思う。それを自分自身の血肉して、それをまたお伝えしたいと思っている。

こう何度も何度も、海外を渡航できるというのは、本当に幸せなことだと思っている。だからこそ、僕にできる体験は、社会に還元したいと思う。

その機会を与えてくださる方々に心から感謝を申し上げる。

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