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記憶が浮上する日

少しずつ薄れていっても、日付を見るとふと自分の水面に浮上してくる記憶があります。死別した彼の誕生日です。

時が流れていくと記憶はどんどん色褪せていきます。写真が少し残っているので顔ははっきりわかりますが、どんな感じの声だったかはもうぼんやりとしたものになっています。

死別した辛い気持ちも日にち薬でやがて和らいでいきますが、完全に自分の中から消える事はありません。二人で遊びに行った公園をテレビでやっていた時や好きだったファッションブランドの路面店を見かけた時など、何かの拍子で心の表面に露出してきては、そのたびにヒリヒリしみるような懐かしさを込み上げさせます。

同時にあの時に思いが至らなかった事への悔しさ、今の今まで忘れていた自分の薄情さ、一人生き残った事のずうずうしさなど、心の傷を癒してくれる時間は、決してあの日の前には戻る事ができないと思い知らされます。

とは言え17年も経ち日常に忙殺されていけば、さすがに思い出す事も少なくなっていきます。鮮やかだった看板も知らぬ間に退色していくようです。

ところが前日まで思い出す事がなかったのに、12月19日と言う数字の並びを見たら急に彼の誕生日だという事が出てきました。人の記憶と言うよりは、何だか自動的に頭の中に表示されるシステムが組み込まれたようでした。でもそのくらいでいいのかなとやっと思えるようになりました。

ずっと思い続けて気を取られていたら、今歩いている道をまっすぐ歩けなくなります。たまに思い出すくらいになるまでがとても大変なのですが、生きている自分を一番大切にしてほしい、過去の記憶に苦しみ続けている人にそう伝えたいです。

そうして記憶は再び深い色をした所まで降りていきます。優しかった人の思い出よ、またいつか。

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