見出し画像

「敏感くん」だった頃を思い出す

昨日テレビを見ていたら来週のETV特集の予告が流れていました。

とても敏感で繊細な子どもたち、HSC(Highly Sensitive Child)の夏を見つめる。北海道に暮らす中学生の元気くんは人の悲しみや苦しみなどの感情にとても強く共感し、自分のことのように受け止める。毎日ひどく疲れてしまい、教室に入ることもなかなかできず悩んでいる。この夏、HSCの子どもたちが仲間と出会い、敏感さとの付き合い方を一緒に学びながら、自分の生きる道を見つけていくまでの物語。

これは楽しみ。以前私もHSC/HSP、あと共感性羞恥についてnoteに書きました。

ETV特集の予告を見て、自分が子供の時のHSC(と思われる)例を書いてみようと、主に小中学校時代でどんな事が苦手だったのかいろいろ思い出してみました。

すぐに思い出せるものとしては、例えば大きな音(風船が割れる、運動会のピストルなど)、スピードが出るもの(自動車に乗る、球技でボールが飛んでくる)、臭い(マジックペンやガソリンスタンドなどのケミカルな臭い)などがありましたが、一番苦手だったのは「怒っている大人」でした。

私が通っていた中学校と高校は部活が強制ではなかったので入りませんでした。いろいろな事に敏感で学校の授業時間だけでも疲れるのに、放課後に部活までやる事はとても無理でした。

部活だと顧問の先生から理不尽に怒鳴られたりするのを見ていて、とても耐えられないと感じたからです。自分が言われるのも辛いし、人が怒られているのを間近で見たり聴いたりするのも嫌だったので、部活をせずにとにかくすぐに家に帰ってリラックスする事に努めました。

もし何かの部活に必ず入らないといけなかったら、どうなっていたでしょう。部活に行けばストレスに晒され、行かなければ先生に注意されるし、同じ部活に行っている生徒からも何か言われたでしょう。強制だったら私はたぶん学校に行けなくなっていたと思います。

部活に入らなくても、年に数回心がザワザワして学校に行けない日がありました。蓄積していく脳の疲労が限界値に達する時が年に何回かあって、そういう時は、一日家でゆっくりしていると心の波が凪いで、次の日からは落ち着いて行けるようになっていました。友達には「風邪気味だったので」と言っていました。

私が感受性が強いというのは親もわかっていたようで、具合が悪い時は何とか自分の考えを説明すると休ませてもらえました。そのおかげで何とか学校生活を過ごせたのかもしれません。

それからこのnoteを書こうとあれこれ思ってるうちに、HSCエピソードだったのかもとふと思い出した出来事がありました。

小学校くらいの頃、私はクラス委員に毎学期自ら手を挙げていたくらい積極的でした。そういう役割が好きなのかなと思っていたのですが、よく考えたら「クラス委員を決める時に誰もやりたがらないので、立候補者が出ずにクラスみんなが何となくうつむいて静まりかえり、それならばと委員を決める方法が他薦になり、選ばれがちな人が何となく生贄みたいになり決まってしまい、他の人達は自分がやらなくてホッとする」みたいな空気になるのが嫌で、それをいち早く回避するためにすぐに立候補していたんだと気づいたんです。

自分が立候補して先生やクラスメイトに称賛されたいとかではなく(勿論褒められたら嬉しいけど)それよりみんなが困っている感じのバイブレーションが教室でうなっているのを感じ取るのが嫌で、自分からそれを引き受ける事で気持ち悪い空気をとにかく早く断ち切りたかったんです。

そのクラスの雰囲気を浴びてしまうより、自分が委員をやる方が楽だと選択していました。

子どもの頃だと何がどのくらい辛いのかと言うのが的確に表現できないですし、それを言ったら馬鹿にされないか、怒られないかと悩み、実際に辛いと声を挙げても「我慢しなさい」「みんなやっているから」と言われたら、もう黙り込むしかありません。

そしてどうせわかってもらえないからと抱え込み、知らないうちに心も体も調子を崩してしまいます。「臆病」「怖がり」「自分勝手」と言われた事、無理にやらされた事がずっと心に残る傷となる事もあります。

人によって苦手なもの、どのくらいのレベルになると耐えられないなど変わってくるので、自分が大丈夫だからとか、自分も辛いけど我慢してやっているからお前もやれみたいな考えが減ったらよいなと思っています。

まずはHSCというものがある、誰にもその可能性があるというのを知ってもらいたいので、ETV特集楽しみにしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?