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誰かの想いを待つ余白①


『化石としての風/復興としての土/祈りとしての風土』

昨年の11月のことになりますが、浅草橋のギャラリー「PARCEL」で開催中の加茂昂くんの個展へ行って来ました。
年を越えて季節は初夏…
だいぶ間が空いてしまいましたが、自分の記録として展示を見て感じたことや考えたことをまとめてみます。


2023年3月の個展では「土」をテーマとして、「堆肥化」という概念を用いて自らの排泄物から油絵具を作り、それで絵を描くという新しい展開を見せていた加茂くん。今回は、
『化石としての風/復興としての土/祈りとしての風土』
という印象的なタイトルが示しているように、「風土」がテーマとなっているようです。作家の示すそれが一体どんなものなのか?とても楽しみにギャラリーへ向かいました。

展示全体風景①
展示全体風景②

ギャラリーに入るとエントランスから続く一階壁面の展示スペースと、階段を降りて半地下の空間になっている展示スペースが見えました。
一階壁面には作家のこれまでの歩みが感じられる過去作品が数点、そして半地下の空間には大きめの新作絵画が飾られていていて、丁寧に見ることでその意識の流れが感じられるような構成になっていました。

私はまず半地下に降り、新作群を鑑賞することにしました。
今回も有難いことに加茂くん自身が作品を詳しく解説してくれたため、より作家の意図を汲み取りながら鑑賞することができました。
こんな風に作家本人に話を聞きながら鑑賞できるって、本当に豊かで贅沢なことです!

新作群は大きく分けて3つのモチーフで描かれていました。

①帰還困難区域にあった私(増田)の実家の室内と解体跡地
②双葉郡にゆかりのある人々のシルエットとその心象風景
③大熊町某所の高台から望む福島第一原発の風景

これらの新作群の多くの作品タイトルにはそれぞれ「風土」という言葉が入っていて、それらを丁寧に見ていくことで、加茂くんの考える「風土」についての理解が深まっていくように感じられました。

一つずつ作品を見ていきたいと思います。

「風土(風を含む土)の解体の肖像」

「風土(風を含む土)の解体の肖像」
2023 Oil on canvas H162×W194×D5cm
震災後、解体を余儀なくされた知人の実家の解体前最後の時期に取材させてもらった際の知人の部屋。
印象的に並ぶ3体の人形のシルエットに、解体後の更地を重ねて描いた。

『化石としての風/復興としての土/祈りとしての風土』作品リストより

まず①の作品について。
この作品群は私の実家、及びそのその跡地がモチーフとなっているため、まず絵を見て「懐かしさ」を感じました。
この部屋の窓からは父が大切にしていた田んぼや防風林などの長閑な田舎の風景が広がり、遠くには広野火力発電所の煙突がうっすらと見えました。
幼い頃、夜眠るときに障子を開けると、電灯がない真っ暗な闇の中にその煙突の先端が赤く明滅する光が見え、それをぼんやりと眺めるのが好きだったことを思い出しました。
この部屋を自室として使用していたのは高校卒業までのティーンエイジの私で、青春時代の様々な思い出がこの部屋にはつまっていました。
今40歳になった私はもうこの部屋に入ることはできないけれど(解体してしまったので)あの部屋で過ごした18年という時間は自分の体の中に深く刻まれているということを、この絵の前に立った瞬間に感じることができ、そのような失ったものへのノスタルジーを感じながら、2011年3月11日から地続きで続いている自分自身の変化・変容についても想いを馳せていました。

「風土(風を含む土)の解体の肖像」近景

ぬいぐるみのシルエットの中には、除染され更地になった実家跡地の現在の風景が非常に分厚いマチエールで、強い色彩で描かれています。
うすくぼんやりと描かれた室内風景とは対照的です。
「い-20190」と描かれた立て札は、除染完了を意味するものです。

過去の記憶と現在の風景が対照的な筆致で同時に描かれることで、この場所で起きたことがどういうことなのか?という問いを鑑賞者に問うているように感じました。

「更地#1」

「更地#1,2」
2023 Oil , art glue on canvas H130.3×W162.1×D5cm
解体が終わり、更地になった知人宅のあった土地。
解体のあと、山砂と呼ばれる砂を撒くことで放射線量を下げる。
この絵に使われている絵具は、実際に解体後に敷かれた山砂を所有者の許可を得て採取、粉砕し、絵の具の顔料にして描いた。

『化石としての風/復興としての土/祈りとしての風土』作品リストより

こちらの絵は除染の際に表層に新しく撒かれた土を加茂君が実際に採取して、その土で油絵具を作り、それを使って描いた作品です。
四角い白い線は、私の実家の敷地跡を示す線です。
ここに確かに私が生まれ育った家がありました。
遠くには、先ほどの作品と同じ風景が広がる様子が描かれています。
土の重さを感じる地面とは対照的に、遥か彼方まで続くような開放的な青空の描写が印象的な作品です。

中央には「除染完了」を意味する立て札が描かれています

近寄って見てみると、茶色い油絵具が非常に厚く盛られていることが分かり、とてもザラザラしていて絵具というより本物の土に近いような質感を感じます。
先ほどの白い線は溝になっており、立て札の部分も凹んでいます。

「更地#2」

別の場所の除染地について描いた「更地2」とい小さめの作品も展示されていました。
こちらもその土地で採取された土で作られた絵の具で描かれています。

私の実家がモチーフとなったこの二枚の絵は隣り合って展示されていて、それらから私は「家」というテーマが浮き上がってくるように感じました。
特に、厚いマチエール(絵具の厚み)で描かれている箇所について、そこには作家の強い想いがこめられているであろうことが予測されます。
「更地#1、2」は採取された土から作られた絵の具で地面が描かれていることから、「土」というものを通して、誰しもが自分自身の根底に持っている「故郷」や「アイデンティティ」について目を向けさせるような作家の意図を感じました。

私にとってとても大切な場所を加茂くんが作品のモチーフとして描いたことで、私自身もこの場所を客観的な視点で見ることができました。
ただその上で興味深く思ったのは、作品の要素として昇華された実家の風景をパッと見たときに私が感じたものは、「郷愁」というとても個人的な感情であったということです。
それはやはり加茂くんの作品が単に彼自身の意図を表した「図」ではなく「絵画」として成立しているからこそ、頭ではなく心に響く表現として私の感情を刺激したのだろうなと思います。
おそらくそこには、加茂くん自身の「郷愁」のようなエモーショナルな要素も一緒に描かれているのかもしれません。
私や私の家族以外の第三者がこの絵を見たときにどのように感じるのだろう?是非他の方が見た感想を聞いてみたいです。

誰かの想いを待つ余白②に続きます。

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