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馴染めないまま、また春がきた

電車を降り改札口に出ると、若い人たちの声が響きわたっていました。

輪になり楽しそうに話すグループ。斜め下を見ながら、改札に急ぎ足で向かう人。「これからどうする?」って友人たちとスマホ画面見ながら相談する小さな輪。

駅前の大学に、今年も新入生たちがやってきました。

春がきたら満開の桜を見るように、毎年変わらずこの風景を目にします。

大学生活への期待、新生活への心細さ、出会うひとや街への馴染めなさ。楽しそうだけどちょっと緊張しているお顔から、そんな胸の内を想像してしまいます。

「うちらも引っ越してきた頃、あんな感じやったなぁ」

新生活のため、駅前で買い揃えたのでしょう。日用品が入った買い物袋を提げて歩く親子に、あの頃の自分と息子が重なりました。

期待と不安、ひとと街にまだまだ馴染めなかった、あの頃を思い出しました。

近所のお寺の桜。毎年変わらず咲く桜。

10年前の3月。息子と私、そして夫の新たな生活が横浜で始まりました。

生まれ育った、住み慣れた大阪を離れ、初めての横浜、関東での生活。新生活に必要なものを買うために駅前に出ると、聞こえる言葉は標準語のみ。

耳に馴染まず、「思えば遠くへ来たもんだ」と引っ越し翌日から心細くなりました。

「おれ、お昼は関西風のうどんが食べたい」

いきなり舌がホームシックになった息子。ふたりで駅前商店街をうろうろ歩き、『関西風うどん』という看板を見つけ、喜んでお店に入りました。ふたりできつねうどんを注文したのですが、

これは、、関西のうどんちがうやん。

とふたりで心の中でつぶやきました。

こしのあるうどん、しょうゆ味のお揚げ、しょっぱめのうどん汁。

私たちが.食べなれて大好きだった、細くこしのないうどん、甘いお揚げ、お出汁にちょっとみりんの甘味があるうどん汁。それとはまったく違うきつねうどんでした。

おれ、もう、横浜でうどん食べへん。

数日前に大阪の友達と別れた息子は、大好きだったきつねうどんともお別れしました。

京都で食べたきつねうどん。
うどんに『こし』はいらない(息子)。


🌸🌸🌸


引っ越し荷物の片付けも終わらないまま、私は週に数回都内へ通う生活が始まりました。

5月末に予定されていた夫と私と息子の結婚パーティー準備のためでした。(結婚パーティについては、こちらのnoteに詳しく書いています。)

関西でいうところの阪急電車

なんて例えられることもある東横線に乗り、渋谷まで。乗り換えて表参道にあるパーティ会場まで通っていました。

「この電車で合うてるんかな。乗り過ごさへんかな」という緊張感。田園調布、多摩川、都立大。停車駅一覧を見ると知らない駅だらけ、窓の外は初めてみる景色が流れます。

40年以上利用していた阪急電車では味わうことのなかった、心もとなさや馴染めなさが、自分のなかに現れました。

東横線車内は阪急電車よりずっと静かです。そこで聞こえてくる標準語、英語中国語、韓国語など外国語のなかに、身体に馴染んだイントネーションの関西弁を耳が見つけることがありました。

「あ、関西から旅行で来てはるひとかな。それとも、こちらに越してきはったんやろか」

そんな想像すると、心がほぐれ、ほっとしました。45歳(かなりの)いい大人、夫も息子も毎日一緒なのに、東京で新しい生活始めた若者のようでした。

そうして電車で都内へ出た日とその翌日は疲れ切っていました。表参道までは約30分、乗換駅の渋谷までは20分なのに、

今日は大阪から飛行機で羽田まで来て、そこから電車でここまで来ました

くらいの疲れ方でした。

乗り過ごしたら、とんでもなく遠いところに連れていかれるような気がして、電車のなかで寝ることができませんでした。

それは実際の距離でなく、心理的な距離がまだまだ「今日大阪から来ました」なんやろうなあ。

帰宅して夫に話すと、そう言われました。

「10年くらい前から横浜住んでて、仕事でしょっちゅう都内も行ってたやん? 引っ越してからどれくらい経ったら、『もう慣れたな』って思えた?」

夫に聞くと

なんや知らんうちに慣れてたわ

と言われました。

知らんうちってどんだけ先やねん。私も夫みたいに慣れるようになるんやろか。

そう思いながら、3人分(いや、それ以上)に増えた晩ご飯をつくり、洗濯ものを畳み、『1人分+α』増えた家事に少しずつ慣れていっていました。

そうして5月末までの2ヶ月。私の『渋谷経由表参道通い』が続きました。

通ううちに、寄り道ができるようになりました。渋谷駅で降りて、ヒカリエ地下でパンを買ったり、特売の魚買って、コーヒー飲んで帰れるようになりました。

帰りの電車ではうたた寝できるくらい、緊張感が溶けてきました。

初めて夜に歩いた渋谷センター街

けど、やっぱり。

10年経った今も、渋谷の道玄坂やセンター街は馴染めないし、歩いていると迷いそうになりどきどきして、Googleマップに頼り切っています。目的の場所にやっとたどり着いたときは、毎回ほっとします。

そういえば。

横浜に住み始めて3年ほどは、みなとみらいで買い物すると「ご旅行ですか」と言われることが度々ありました。

それがいつのまにか、言われなくなりました。私が話す言葉は、相変わらず大阪が残っているのに。

私がこちらに、横浜に、東京に、馴染めたから、なんでしょうか?

そうそう、もうひとつ思い出しました。去年2月、息子と、両親祖父母のお墓参り兼ねて4日ほど京都に滞在したときのこと。

「ご旅行ですか」

と、食事をしていたおでん屋のご主人に言われました。

息子と二人、私たちは大阪に住んでいた頃と同じように、あの頃の言葉で話していたのに。

「両親祖父母のお墓参りと旅行です。もともと、こっちにおったんですけどね」と答えながら、小さく、うっすらと、さみしさを感じました。

そうか。

横浜に、東京に、馴染んだ分だけ、大阪にいた間に纏っていたなにかが剥がれているんかもなあと思いました。

でも、それって、

私が、横浜に、東京に、馴染んだってことなんでしょうか?


去年2月。雪の清水寺。大阪住んでた頃は体験できなかった京都の雪。


馴染めたのかどうか、わからんまま10年経ちました。10年前から去年まで、いろんな記憶を辿っていたら、ぽこっとひとつの風景が浮かんできました。


「奥さん、関西の方?」

突然話しかけてごめんなさいね、と茅ヶ崎駅で友人と話していた時、話しかけられたことがありました。

私ね、関西で生まれ育って、結婚してから茅ケ崎に住んでるの。もう40年以上経つんだけどね。すっかりこちらの言葉になっちゃって。

でも、奥さんが話されている関西弁が耳に入ってきて、懐かしくなってね。思わず声かけちゃったの。

おじゃましちゃってごめんなさいね。

その方が話された言葉も、雰囲気も、『茅ケ崎の街を歩くと時々お見かけする上品な奥様』そのまんまでした。奥様の見た目からも、言葉からも、『関西』は全く感じられませんでした。

声をかけられなかったら「茅ケ崎に長く住み、馴染んでいる奥様」でした。

あの奥様みたいに、

こちらに来てウン十年経つんだけど、関西弁が耳に入ってきて懐かしくなってね。

って話かけるときが、

私がこちらに馴染めたとき

なのかなあ。


私はこのまま、馴染めたところ、馴染めないところ、中途半端なまま、横浜で暮らし、渋谷に出かけるのかもしれません。

それでええんかな。

無理に馴染まなくても、馴染めないところが今もあっても。

それでええんやろな。

自分と、駅前にいる新入生たちに、心の中でつぶやきました。

そうそう。息子はきつねうどんには相変わらず馴染んでいませんが、こちらのラーメンには、馴染んだようです。

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新生活をたのしく

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。