流れる仔馬

子どもの頃、母方の持ち家が神奈川県にありました。
その家は、もともと気を病んだ曽祖母を都会から隔離するために建てたものだったそうです。
私の母は成人してしばらくの間、曽祖母を見守るためにその家に住み続けたそうなので、思い出のある家だからなのか、幼い頃にはずいぶん昔話を聞かされた覚えがあります。

当時を思い返すと、庭は広く、虫も多く、自然に囲まれた良い環境だったと思います。
御用邸から続く家のそばの岩肌の壁に小さな蟹がいて、それをとっていて家主に怒られたこともありました。
庭の蜂をお湯をかけて駆除して、大きな巣を取ったこともありました。
蟻塚を踏み抜いて、噛まれて足を腫らしたことも覚えています。
私は、母と弟と一緒に、夏になるとそこに半月ほど滞在したのですが、都会育ちだった私には自然が豊富すぎて何をして良いかわからず、海に行く以外はずっと家の周辺で過ごしていました。

家の前には川が流れていました。
昼を過ぎた蒸し暑い日のことだったと思います。
私は、家の前のガレージの床から道路にかけて、地面に絵を描いて遊んでいました。
地域の子供と交流することはなかったので、1人でずっと空白を埋め尽くすほどの量で描いていました。
家の前の道路を埋め尽くしたあたりで、ふと、私は川を見ました。
川の水はチロチロとした流れのおかげで、日差しを細かく反射していました。
その川の流れに、何かが見えました。
目を凝らすまでもなく見えた塊に、私は驚きました。

馬です。
栗毛色の馬が横たわって流れて来たのです。

馬の尻がこちらを向いていました。大きさとしては、小学校低学年であった当時の私と同じくらいの大きさだったように思いますので、仔馬なのでしょう。
川の流れはとてもゆっくりでしたので、馬もそれに合わせてゆっくりと流れて来ました。
私は、あまりのことに驚いて駆け出し、馬の近くに行きました。
ガードレールに手をかけて川を覗くと、ちょうど馬の背が見えました。
でも、馬には首がありませんでした。
馬は、たてがみと背を繋ぐあたりでぶっつりと切断された姿で、川を漂っていたのです。
衝撃的な絵面でした。
でも、幼かった私は、それを怖いと思う前に「血がない。」と思いました。
そんな状態になるならば、血が出て川にも流れたのではないかと思いました。
ですが、川の水は清らか……ほどではありませんでしたが、少なくとも赤いとは思えませんでした。

しばらく見ていると、馬は流されて、私の立つ場所からも切断面が見えました。
赤い肉が見えるかと思いきや、黒く焦げたようなものがみえ、その中に白いものがありました。
予想とは違ったものを見て、私は急に怖くなりました。
とにかく、母に伝えようと、駆け足で家に戻りました。

家では、弟が水遊びをしていました。
風呂場の窓を開け放つとほとんど庭に降りられる状態でしたので、母は弟を風呂場で遊ばせながら、その様子を見つつ庭で作業していました。
私は、道路からそのまま庭へ周り、母のもとへ駆け寄ります。
駆け寄った勢いのまま、母に馬の話を伝えました。
ですが、母は「そんなことがあるはずが無い。」の一点張りで動いてはくれません。
首無し馬の亡骸なんぞが流れているのだとしたら、すでに大騒ぎになっているはずだというのです。
でも、私は見たんだ。そこにあるんだ。
そんな辿々しい説明を繰り返しているうちに、幼かった弟が湯船にシャンプーをぶち撒けたので、母は叫んで家に入って行きました。

残された私は、どうして良いか分からなくなりました。
どうしようもないので、「もう一度、馬を確かめてから呼びに来よう、そうすれば母も信用してくれるだろう。」と、再び、家の前の川に急ぎました。

家の前の川に、馬はいませんでした。
否、正確には馬は流れて、すでに30メートルは先の方に、ゆらゆらとその姿を漂わせていたのでした。
午後の夏の日差しが、馬の毛並みに反射して、その姿は赤く輝いていました。
黒々とした切断面すらも、遠くできらきらと光を反射しているように見えました。
私は、川辺に降りられれば、もっと正確にそれを確かめられると思い、突起状になった川辺のコンクリートを降りようと、ガードレールを越えました。
降りようとしたけれど、その時、白っぽいセダン車がクラクションを鳴らし、家の前の道路を走り抜け、私の目の前を通り過ぎて行きました。

時代もありますし、クラクションを鳴らしたのは、道路が狭かったために警告としてでしょう。
ですが、そのセダン車が走り去るのを見て、川辺に降りるのは辞めました。
いたずらを見つかった時のような、バツの悪さを感じたのです。
私はガードレールを跨ぎ越え、道路に戻ると、遠くに流れていく馬を一瞥して家の中へ入りました。

それきり、私は家族に馬の話をせず、1日を終えました。


現在の歳になり、やはりあれは何だったのかと思い、こうして記録を残してみました。
よくよく考えれば、仔馬とはいえ、その亡骸が川を下っていたのなら大問題ですし、ちょっとした騒ぎになったと思います。
ですが、あの当時、全くそんな話は聞かれませんでした。
調べて見ると、川のそばには主馬寮公園がありました。
かつて、家の近所に主馬寮、そして近衛兵・警備兵の宿舎があったということを知りますと、オカルト好きとしては、何かの縁を感じずにはいられないのでした。

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