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歩き遍路の話38 遍路終盤でもまだ自己中

11月22日

歩いた距離、約29キロ。牟岐の民宿~鯖大師~生見の民宿。

最後の宿だから奮発して2食付きにしようと、いつものように前日に宿の予約をしていた。私は宿は基本的には素泊まりで、宿の近くに食事を買える店がないときや、ごはんが美味しいと聞く宿などは2食付きにしていた。あとは宿坊(寺)に泊まるときも食事付きにしていた。それ以外は基本素泊まり。

けれどもう地元・室戸も近づいて、次に泊まる宿が最後の宿泊だったので、2食付きにすることにした。宿の評判はわからない。遍路関係の何かで見たその民宿の広告に「2食付き〇〇円」と載っていたので、その宿も他の宿もろくに調べずにそこにした。

さて、歩き始め。

たしか内妻海岸からの朝日

海沿いを歩く。朝はいつも意気揚々。

この日のルートはほとんど国道。なので段々飽きてきて、トンネル手前で山の遍路道に入るところがあったので、そちらを通ることにした。

ちょうど別格霊場である「鯖大師」というお寺に行こうと思っていて、この山道を通ったほうが多分そっちに直接出られるだろうなとも考えた。

歩き遍路を通して気が付いたのは、トンネルの傍にはほぼ必ず山道があるということ。それもそのはず。トンネルができたのはつい近年になってからのことで、昔の人たちはみんな山越えをしていたのが普通なのだ。

現代の私たちの生活ではトンネルがあるから、わざわざ山を越える必要はない。とても楽に直線距離で向こう側に行くことができる。ありがたい。山越えをするとその何倍、何十倍もの時間がかかる。体力もいる。

そのことに気が付いたのは、歩き遍路を始めて、比較的早い時期だった。高知の塚地峠を越えたときだったな。

そのあともいろんな峠を、山道を、自分の足で越えながら、過去と現代に想いを馳せるのがおもしろかった。当たり前だけど、歴史は、時間はつながっているんだなぁ、と。

鯖大師の手前のトンネルの脇にある山道

さて、この遍路道が、短い山道の割に、ちょっと曲者?だった。

まず倒木がひどい。この道はあまりお遍路さんも通らないのか、山道の整備がされていないようだった。このように、腰をかがめて通らなければならない道を塞いだ倒木がいくつかあった。

そして次に驚いたのは、この坂。写真ではかなり分かりづらいけれども。

ていうか全然分からない。

これ、傾斜が体感45°くらいの急な下り坂で、落ち葉もあるし、もう完全に滑り台だった。

写真は少し上り坂に見えるけど、たしか下りだったはず。あれ?上りだったかな?まぁどちらにしても、上りがあれば下りもあるということで、とにかく下りが怖かった。

滑らないように岩と木の根を掴みながらゆっくり下りた。けれど結局勢いが付いて、最後はだだだっと駆け足に。怖かった。

で、その直後にすごく大きな獣の音が目の前でしたかと思いきや、心臓がびくっとなると同時に、今までに見たこともないくらい大きな鹿が、ドスドスと山を駆けて逃げていった。

焦った。ほんとに心臓止まるかと思った。

鹿は怖くないにしても、大きすぎて、音もでかすぎて。心臓のバクバクが止まらないので深呼吸しながらゆっくり下りていくと、すぐに金網の扉が見えた。そこを開けるともう鯖大師だった。獣除けのために金網を設置してるようだった。


鯖大師

参拝をしたあと、ここから国道に出てすぐのところに、大福屋さんがある。そこの大福だかお餅だかが美味しいと聞いて、行ってみた。以前から車で前を通るたび気になっていたお店だ。

でも遍路をしているので、このとき確か朝の8時か9時くらい。

店にいくと、入り口は開いていたので入ってみたら、おばちゃんが作業していた。開いてたのでてっきりもう営業しているもんだと思って注文したら、おばちゃんはとても不機嫌だった。お餅しかできないよ、と言われた。それで仕方なくそのとき買える餅を2つ買った。

朝から不機嫌な対応をされて、私もなんだか不機嫌になった。お餅を食べてみると、そこまで美味しいわけでもない。普通。なんだかなぁ。

けど、待てよ?それって自己中心的だよな。

そもそも歩き遍路をしていると朝早いのが当たり前になるけれど、みんなの生活がそんなに早いわけないのだ。その時間感覚のズレは、四万十のホテルに泊まったときにも感じた。なぜ私は、私の生活を基準にして、それに他人にも合わせてほしいと思ってしまっているのだろうか?そこがまずおかしい。

それから、おばちゃんが不機嫌だったのは、もしかしたらまだ店が開いていなかったからかもしれない。ドアは開いてたけど、営業はまだだったのかも。そしたら不機嫌にもなるよね。ならない人は、優しく「ごめんねまだ営業前なのよ」とか言ってくれるかもしれない。けど、私だったら、なるな。不機嫌になる。「まだ営業してないんですけど」つって。

で、そんな感じで買われた餅を、そこまで美味しくないとかって、どんだけ失礼なんだよ!と思うよね。

だからみなさん、ここのお店のお餅が美味しくないと思わないでください。こんな気分で食べた私が悪いんです。それにそもそも私、別にお餅を好んで食べないんです。だめやん。

多分ちゃんと美味しいんです。今度誰かと一緒に行って、もう一回食べてみようかな。イメージの上書きをしたいなと思っている。

そんなわけで、歩き遍路がもう終わろうとしている頃でも、私は自我を捨てられず、始めの頃と同じようなことをうだうだ考えていることに気が付く。でもたった一回歩き遍路をしただけで「悟る」はずもなく、人生変わるわけでもなく。それはほんと、終盤になってそのことに気が付くわけです。

逆に言うと、遍路をしたからこそ気が付いたことでもある。

そしてそれは、歩き遍路を終えたあとでも、じわじわと変化をもたらすことでもあるなと。年を経るごとに思うし、最近このnoteを書いていても思う。もう5年も経っているのに、未だにあの経験を思い返しながら、新たに気が付くことがある。

これまで何度も書いてるけど、本当に、「遍路即ち人生」「人生即ち旅」だなぁと思う。

***

さて、この日の分はまだ午前中しか書いていませんが、ちょっと時間がなくなったので今日はここまでにしておきます。
最初に書いた「最後の宿泊なので2食付き」に関する話は、また次回。別に大した話ではないけれど。

今回も読んでくれてありがとうございました。

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