「今日」も、いつかのわたしが振り返るやさしい過去になる

物事はベストなタイミングでベストなことが起こっている

それは計画や意図していないところで

これは、個人的に大事にしている考え方です。


みなさんは時間をかけて、後々に物事の認識が変わったこと

そんな経験はありませんか?


過去(の認識)は変えられる

どんな出来事にも その時は理解できなくても

後々、「そういうことだったのか」というタイミングが来る(こともある)


今日はそんな体験をシェアしようと思います^^


無視される日々を経験したあとで.......


わたしは小学生のある時期、クラスの子たちと馴染めていませんでした

クラスの中でとても影響力をもっていた女の子に

体育の授業のマラソンで勝って1位を取ってしまってから

クラスの女の子たちに無視をされるという日々が続きました。

それまで一緒に遊んでいた子たちもよそよそしくなって、

何が起こったのかわからなくなって、呆然としていたことを覚えています。


当時「無視をされること」「いじめられていること」を

きちんと認識もしていなかったというか.......(無知は強いというか)

女の子と遊べなくなったから、男の子たちと遊んだり、図書室に行こう

と切り替えて 今思えば自分なりにたくましく過ごしていたんです。


ただ、グループでの発表や実験の時などは

やはり、とてもやりにくくはなるもので

「友達」ってなんなんだろう、と考え続ける側面もありました。


そんなクラスの女の子たちから無視をされるという日々は

ある日を境に、徐々によくなっていきました

担任の先生も気にかけてくれたり、

以前一緒に遊んでいた子たちとまた話をしたり遊ぶ日々が戻りました。


突然 変化した日常

なんでそうなったんだろう?


考えたものの、答えも出ず

家族にも特にこの状況をもとから話をしていなかったため

この出来事は一旦自分の中で過ぎ去っていったのですが


なんとこの出来事は、

10数年後のタイミングで何が起こっていたのか、知ることになりました。


私の知らないストーリー


知らないうちに状況が回復していた、と見るしかなかった現実の裏で

実は当時

クラスメイトの1人が自身のお母さんへ相談してくれていたんです。


「命令で、ますみちゃんをみんなで無視しなくちゃいけなくなった」

「怖くて言うことを聞いちゃったんだけど、どうしたらいいかわからない」


それを聞いたその子のお母さんは、私の母に連絡をしてくれたそうです。

そして、母はその子のお母さんと一緒に

担任の先生がたに掛け合ってくれたんだそう。


それはすべて、私の知らないところで 秘密裏に行われていました。

母や先生たちの間でどんな出来事があったかは、わかりません

クラスメイトへどんなはたらきかけがあったのかも、わからないままですが


10数年後にあのときの出来事のちょっとした裏側が見えたわけです。


裏話を知って


この話を知ったのは、当時から数えて10数年後のこと。

いやーびっくりした。という驚きと

あ、だからかあ というあの時の疑問が理解になったほぐれた感じと

きっと戸惑いながら話した当時の友達のことや

それをきいたおばちゃんと母のことを思い浮かべると(想像だけど)

本当にありがたくて

あ、わたし、めちゃくちゃ大切にされてたんだなあ

て、嬉しくなっちゃったんですよね~~~

きっと正義感やその人の美学とかいろーんな要素があるんでしょうけど、

「こんなことがあったんだよ」って聞いたときに

胸に飛び込んできたのは

「あ、わたし、めちゃくちゃ大切にされてたんだなあ」でした笑

そう思いたかったからかもしれなくても、それでいいんです
だって嬉しいからね^^

認識が変わると、過去のモヤっとしていたことの認識も少し、変化します

そして、この出来事がきっかけで

自分があの時モヤモヤしながらさみしさを抱えてきたんだなあってことも

大人になってから気付いて、自分を慰めることもできました。


あの居心地がいつもより悪かった日々

心細かった時間

あの時の私は、いつかこんな風にその時を振り返れられるだなんて

思ってなかったよね


そしてそれは、「これから」もいえること


そうじゃないかもしれない

けど、そうなるかもしれない


いまの辛いことも

まだ思い返すとしんどい出来事も

いつかのわたしが振り返る時がきっとあります。


だから、

つらくてしんどい今や過去の認識があるあなたへ


めぐりめぐってやってきた、やさしい裏話のように

来るべきタイミングで

ふわり、といまの認識をかえる瞬間があるのかもしれない


だからちょっとだけ

あまりにも辛い「認識」なら

いまのあなたのために

このつらい認識が変わるいつかが来るかもしれない、と

余白を用意しておいてあげるのはどうでしょう


裏話や、誤解を解く出来事がなくても

「こういう風に考えることもできるな」と

びっくりするぐらい、ゆるやかに変化するときが

突然やってくるのかもしれないから


「いつかのわたしが今を振り返った時、どんな風に振り返るんだろう」


そんな風に見てみることで

ずっとつらい、ずっと痛い 思いを抱いたままの状況からは

すこし距離をとれることもあるのかもしれません


そしてなにより

きっとあなたが思っている以上に、あなたは愛されているし

もし嫌われたって、好かれたって なにがあったって

そもそもの価値は損なわれたりなんかしないんです。


いつのときも、今回のようなわたしの出来事もそう、結局は

そのことを気付いていく、体感していく出来事

なのかもしれないって思ってます◎

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