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扁桃体を守る〜 私に合う生き方を探して

昨夜は夕飯の段取りがついていたし、午前中も実家へ行っていくつかの家事を片付けて、昼からは病院に付き添って…
4時頃ようやく解放され、「じゃあまた7時に来るね」と言うと、「6時半には来て。高野豆腐も炊かないと…、夜寝るのが遅くなるから…」とか言うから。

えー、私が炊くの?それくらいやっといてよー、結局私、今日も息子のミッション、果たせてないのに。(ブツブツ)

口に出せないのは、元からの親子関係もあるし(単に私の基本的対人パターンだから?)、
こういうやり取りも、あとどれくらいできるだろう?と考えざるを得ない母の現状ということもある。

それでも、母の些細な、不満そうな様子やがっかりした様子に、いちいち反感を覚えたり恐れを感じたりする。そして結構な時間それを引きずる。

(私って)ほんまアホみたい。
なんの役にも立たないネガティブな反応の数々。相手に伝えるわけでもなく、サラッと流すわけでもなくて。
「じゃあ6時半に来るねー」と笑って、さっさと実家を出、二時間半を有意義に過ごせばいいのに。

自宅に帰る道でも、なんであんなこと言うんだと(母に)腹を立てたり、なんで私はこんなしょーもないことで腹を立てるんだ!と自分を責めたり。そんなことを繰り返していた。

突然、

ああ、これが「扁桃体が敏感」ということか、

と分かった。
そうか。だからこんな小さなことにも、いちいち強く反応してしまうんだ。

現状、関わる人間はほぼ母一人という毎日の中で、こんなにも些細なことにチリチリ腹を立て、あーでもないこーでもないと、何も産まない(むしろ自分をすり減らすような)自問自答を延々と繰り返し、ネガティブな気持ちになっている。


こんな私が、前のように、10人、20人と人がいる職場に復帰したとすればどうだろう?(引きこもりになって一年半、そろそろ何かしないとヤバいという焦りや不安、そして、やっぱり嫌やねんけどー!今、安楽なんやけどー!これではダメなんですか?(怒・恐)といった、社会生活を避けたい気持ちが綯い交ぜになって、こんなことも考える。)

私はカリカリ、おどおど、ビクビクするばかりで、「些細なことで揺れまくって、ほんとうにみっともない。恥ずかしい、情けない、つまらない。残念な私、劣った私、弱い私…」こんな風に、前のように、自分を責めてしまう気がする。
そして、「もっと大人にならなきゃ、もっとちゃんとした人にならなきゃ」と追い込んで、
結局それができない自分を更に責めて。
また、うまく息が吸えなくなって、眠れなくなって、笑ったり、あっ!と何かが閃いたりする瞬間を楽しめなくなってしまうと思う。

些細なことに揺れまくるのは私の持ち前なのに、
取り繕って、自分を責めて、気持ちを無視して、なんでちゃんとやらないの!と腹を立ててきた。
あーでしょこーでしょと、TVやネットや周りで聞く声を安易に借りてきては、それに合わせよう、合わせなきゃと思っていた。

「ちゃんとやりなよ」と偉そうなことを言う私だって、何をすればばいいのか、本当はさっぱりわかってなかった。
酷いことばかり言われて悪者にされて、泣いて、拗ねて、動かなくなってしまった私と、
ほんとうはどうしていいか分からなくて泣きたいけど、泣いたらアカン、泣くもんかと涙にじませながら怒ってる私は、
知らない場所で迷子になっている、二人ぼっちの小さな子どもみたいだ。

まずは仲直りしない?そうした方がいいよ。
どこへ向かうかは、それからでいいやん。
気持ちが落ち着くまで、ここにいていいんじゃない?

賑やかで活気ある忙しい場所(みんなが、楽しそう、いいね、という場所)は、苦手なのかもしれないよ?よーく話をしてごらん。
前いた場所に戻らないといけない訳じゃないし、そもそもそこへはもう帰れない、帰りたくないんじゃない?
何十年もの間、怒って泣いて嫌がる自分の手を引いて、こっちへ行かなきゃダメなんだから。ワガママ言わないの!ってやってきた結果、何もできなくなって、ここにいるんでしょう?

穏やかに凪いだ場所、いいかもしれないよ?
探してみたら?
天気も気温も激しく変わらなくて、ちょうどいいくらいの過ごしやすい場所を。
大きな波を次々と上手に乗りこなす人にならなくていいよ。(憧れや妬みはなくならないかも知れないけどね。)私はそういう人じゃないんだから、仕方がないし、必要もないかも知れないよ?
穏やかな場所で、二人が喧嘩せず安心して過ごせたら。それでいいんだよ。今、いちばん大事なのは、それだと思う。

とにかくもうしばらく、落ち着いて、ゆっくり話をしてみたらどうだろう?

扁桃体が過剰反応しやすいタイプなら、スパルタで矯正しようとかしないで、苦しくない環境を選んであげてもいいと、だんだん思えるようになってきた、、、かも?😅

たくさんの人の中で、そつなく失礼なく仕事をこなし、家族や親しい友人や仲間と常に温かな交流を持ち、愛し愛される人がいて。自分の好きなことがあって、それが心から楽しくて、周りの人からもいいねと言って憧れられるような趣味ならば。
漠然とそんなイメージを目指して、よく分からない努力をしてきたのだけれど。

いくらがんばっても世間との乖離は広がるばかりで、自分も苦しくなる一方で、とうとう仕事を辞め、人と会えなくなり、夜も眠れず、息するのも苦しくなってしまった…

何が君の幸せ?なにをして喜ぶ?
わからないまま終わる、そんなのは嫌だ♫

家と実家という狭い範囲に引きこもり、私の周りに人がいなくなり、ずいぶん静かになった頃、
ふいにこの歌詞が浮かんできた。それ以来、ときどき浮かぶようになった。)


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