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開発学を学ぶ - エピソードツー-

 文章を書く仕事に就いたフリーランス失敗オンナのその後は、カンボジアの教育支援をしているNGOで働くことになって、ようやく、開発学に近づくこととなったのでした。

NGOってなに?

ひょんなことから長い休みが取れ、18日間ケニアに旅行に行った際に、サファリでこちらの目には見えやしない遠くの動物を指さすマサイの兄さんをすごいと思いながら、あちらこちらで存在感を見せていた、NGOだのAidだの。日本に戻ったら、NGOの看板や中吊り、ウェブサイトの広告などが目に入って仕方ありません。なるほど、そういう仕事があるのだなということとともに、PRの大事さを知りました。いかに上手に広報するかで、認知度も、さらにドネーションの集まり方も違うんだろうなぁということも。
ところでNGOってなに? まずは「NPO・NGO転職セミナー」なるものに参加して、NGOというものがいったいなんなのかを調べたら、ミイラ取りがミイラになり、すっかり、NGOに転職する気満々になっていました。これまた経験のないわたしにとって、ウリとなるのは「文章が書けます」「英語がわりと話せます」くらいですが、履歴書を送りまくると、某NGOだけが拾ってくれたのです。そのNGOは、当時1年前にに設立されたばかりの、”カンボジアの教育を支援する”団体でした。
やっぱり経験なしの転職は、大変ですね。

カンボジアとの出会い

別の国々を支援しているNGOで働くことになれば、自分が関わる国はどこでもよかったというのが正直なところ。ただ、このNGO(便宜上Cと呼びます)に採用いただく前にたまたま「急用でドタキャンになった友だちの代わりにカンボジア旅行一緒に行ってくれない?」の誘いに乗って人生初カンボジアを体験したばかりのところでした。もちろん、すっかり気に入って帰ってきている始末。だから勝手に、こう思っているのです。
ーーカンボジアとは出会う運命だった。
いろいろやってきた結果がNGOに繋がったんだと今では思います。そもそも教師を目指して教育を学んだこと、ハンバーガーのせいで英語をガリ勉したこと、編集・ライターのキャリアを積んだこと、これらを活かせる場にたどり着いた、そんな気持ちにになったとき、もう35歳になっていました。

7年3か月+1年2か月+7か月

2010年1月から9年間Cで働きましたが、この9年はこれまでの仕事とは全然違いました。わたしはNGOの仕事をひじょうにリスペクトしています。正直にいうと、給料はびっくりするくらい安く(職員第1号だったわたしの場合ですが、今の職員はどうかはわかりません)夜間、塾で講師のアルバイトをしながら職員を続けました。それほど面白かったのです。泣いたり憤ったり、それでもよろこびを共有するときの萌える気持ちを思えば、面倒な仕事もなんてことありませんでした。編集部にいた頃は文句ばかり言っていたわたしも、Cでは(そこそこ)従順な職員だったと自負しています。最初の7年は日本事務局で広報とファンドレイジング、その他なんでもやりました。この”何でも屋”がわたしには向いていたのだと思います。クビになったら便利屋をやろうなんて半分本気で思っていたくらい。
2017年4月からカンボジアオフィスに勤務することになりました。念願の!!! です。カンボジアの支援をしているのだから、現場に出たいのは誰でもそうでしょう。わたしも御多分に洩れず。しかし、やっぱり事件は現場で起こっていて、そう簡単なことではありませんでした。何が足りないかって、脳みそが足りなかったんです。もちろん専門家の方々のお力をお借りしてプロジェクトは遂行されていましたが、自分自身に欠落しているものを埋めない限り、この仕事を続けるなら現状の自分に満足できなくなったのです。

落ちこぼれの知ったかぶり

このときの自分自身をなんと表現したらいいかわかりませんが、落ちこぼれが知ったかぶりをしている感じとでも言いましょうか。
「支援事業や開発援助をするなら、ちゃんと勉強してフォルダじゃなくて自分の脳みそに入れたい。勉強するなら、現地の人と同じ立場で同じフィールドで体験しないとダメな気がする。」
そう思っていた矢先、たった1年2か月で日本に帰れ命令が出ました。団体の事情はそれぞれです。わたしは職員なのでそれに従わざるを得ず、志半ばで日本に帰ったのです。

虎視眈々とカンボジアへの準備

良い子は真似しちゃいけないことですが、わたしはもう、プノンペン大学の大学院で開発学を学ぼうと決めていました。カンボジア勤務ならCで働きながら叶うことだと思いますが、日本からは無理なので、クビ覚悟の上、帰国前に大学のオフィスを訪ねて、次期受験の詳細を聞いていたのです。
入学試験は2018年12月15日。6月に日本に帰って翌年1月に退職するまで、日本事務局の仕事を一生懸命やりました。退職すると決めたけれど、嫌だから辞めるわけではなく、NGOの仕事の延長線上に勉強があると思えば、毎日の仕事が受験勉強でもありました。退職を申し出る際、縦書き7枚に渡って退職して大学院を受験するに至った経緯を手紙に綴り、理事長にお渡ししました。巻物のようなうざい手紙が奏功したかどうかはわかりませんが、とても温かく送り出してくださいました(と勝手に思っている幸せ者かもしれませんが)。

こうしてわたしは、開発学を開発される側で学ぶという、カンボジアでの学生生活に入れることとなったのでした。
振り返ってみるのに3本も書いてしまいました。何度も転覆しかけたり、大船に乗り移ろうかと思ったけれど、”自分の船は自分で漕ぐ”ということを信念にしていたことに後悔はありません。

さて、渦中の大学院も修了。これからわたしはどうするのでしょう? それはまた別の機会に考えたいと思います。


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