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日記⑱(2021.04.01)

 教科書を買うのに、ひとりで新宿に行った。いつも連れ立った友人が就職のために遠くへ行ってしまったからだ。
 本屋を出たあとはいつも喫茶店に寄っていて、だから今日も寄った。ほとんど満席で、はじめてカウンター席に案内された。二本目のタバコを手持ち無沙汰で吸いながらこれを書き始めたものの、そのライヴ感が恥ずかしくなって早々に出ることにした。

 二月に彼がいなくなって、それに精神がかかりきりになって、つらいことをつらいと思わないような日々が続いていた。「いなくなった」という事実は(ほんとうはちゃんと存在していて、遠くなっただけだけれど)、想定していたよりも軽く、発泡スチロールみたいな感触で手に余った。でもその効果も薄れてきた。つらいことをつらいと感じるようになり始め、ただぼくはひとりだ、と拡張された身体の境界が明確になる。

 コロナで会いにくくはなっても、接続はあった。それに気軽に会えるという甘やかさも加わって。ぼくは彼に助けられていた。ほんとうのひとりにならずに済んでいた。すこし涙腺がゆるんだ。ぼくは空っぽで現実世界において存在しているかどうかも危うい人間だったが、彼が繋いでいてくれていた。現実世界との交点を提供してくれていた。

 べつに失ってはいない。会うことが大変難しいという訳でもない。とはいえ物理的ではないどこかで、ものすごく遠くなってしまった。くたくたになってしまった。そしてたしかにぼくは存在しているのだが、同時に不在している。

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。