見出し画像

日記③(2019.02.21)

 いまは、何時だ?
 たしか、えっと18時に開店と同時に0円餃子に入って、バカバカと、ビールと餃子を、もうどちらがどちらともつかない間隔で口に放ったんだった。うまかったな、やっぱりたちばなは最高だ。
 そして、ぼくはいま駅を出てすぐの公衆便所の前でうずくまっている。気持ちが悪い。
「ほら、買ってきたぞ」
 見上げようともしない。水田(仮称)だ。頭の前に何かを持ってこられた。目だけでちらと見ると、ヘパリーゼだった。ああそういえば頼んだんだった。こいつ、安い方を買ってきたな。高い方だと言ったのに。
「どうも」
 きりきりとキャップを開けて、こぼしそうな勢いで口内に注ぐ。パイナップル味。悪くない。右の方のロータリーを見ると、まだまだ人がたくさんいる。そうだよ、こんな早い時間に潰れてるやつなんて、ぼくだけだろう。こうやってしゃがんでいるうちは、快方に向かってくのが分かった。

 そうはいっても、どこか店に入った方がいいな。さすがに見栄えというか、見苦しい。こんな大人を軽蔑していたのに。
 そう思って立ち上がった。そして二、三歩歩いた。すると、さあっと浜辺の波のように視界が白んだ。これは、あれだ、めまいのときのやつだ。
 思わず立ちすくむ。しかし堪えきれずにしゃがむ。ううん、歩けない。
「おい大丈夫か」
 半笑いで水田が声を降らせる。大丈夫じゃねえ。
 立ってすこし歩いたせいで、気持ち悪さに拍車がかかる。
「吐いてきなよ」
 暇そうに水田が言う。しかしその選択肢の提示に、ぼくは縋るしかないのかもしれない。でも、吐いたらのどが痛くなってしまう。しかし楽になれる。

 悶々を続けて、ぼくは意を固めた。
 そうっと立ち上がり、そろりそろりとさっきの数歩を辿る。くる。また視界が、光を向けられたように白飛びする。踏ん張れ。ゴールは目の前だ。そう奮い立たせて白くて汚れの目立つ公衆便所に入る。個室で鍵だけかけて、バッグを背負ったまま、コートもスヌードも身につけたまま、手を便座につく。
 うっ
 吐き気が一気に押し寄せる。濁流が、きれいなはずの身体からどくどくと。長い。一回が長い。
 ひとまず終わった。しかしまだ出せる。出したい。なぜなら、快感だったから。
 もう立って水田のもとへいけるかもしれない。平気で歩けるかもしれない。けどまだ、出す。
 そうやってぼくはまた舌を出し、顔を突き出す。きた、第二波だ。
 第二波は断続的で、最後の方では出せそうで出せなかった。もう胃が空っぽなのだった。気分はだいぶいい。もっと吐きたいと思った。そのために酒がほしいと思った。

 トイレットペーパーで口を拭いて鼻をかんで、ようやく電話番号が落書かれた個室を出る。すこし名残惜しい気持ちがあった。こんなにも汚いのに。そう思ったとき、自分の感覚が狂いはじめたのを自覚した。しかし焦燥より嬉しさがあった。個性の獲得? その個性を、狂っていることで獲得するなんて、愚かで馬鹿げているとは思う。それでも、何かから抜け出せた気がした。「普通」になれた気がした。この体験は、ずっと忘れない気がした。
 公衆便所を出ると、水田は柱にもたれかかってスマホをいじっていた。もう大丈夫なのかい、とせせら笑うように言った。うん、とぼくは返して、横断歩道の信号を待った。

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。