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日記⑮(2020.08.29)

 推敲段階に入ると、とたんに手持ち無沙汰になる。推敲を長くとるのは新人賞に出すくらいの長さのもので、ぼくはこれまで三つしかその長さを書いたことがないから、その手持ち無沙汰さがいつも久々でうろたえてしまう。

 とりあえず読書をする、未完成の小説にはふれたりふれなかったり、いろいろなリズムでごっちゃになりたい。でも推敲期間は、その小説世界と自分の世界を近くすればいいのか遠くすればいいのか分からなくて、きっとそれは人によるわけで、ぼくはなんとなく前者な気がしている。フィクションを現実に近づけるのはおかしくなってしまいそうでこわい。

 だいすきな『ショパンゾンビ・コンテスタント』をひらく。たいして上手くもないピアノを弾きたくなる。たいして上手くないからいいんだと納得している。家から自転車で十分くらいのおばあちゃん家にはアップライト・ピアノがある。この家には電子ピアノしかない。いつもなら軽やかに弾きに行けたのに、暑さとコロナでしばらく行けていなかった。電子ピアノのゴツゴツにはいい加減あきあきしている。

 眠るのは相変わらず四時から五時のあいだで、最近は虫の声のうるささで寝つきはいつもより悪くなる。三十分で入眠できていたのが一時間は平気でかかるようになっている。

 小説のことを考える。何をしていても考えてしまう。たのしかったけど最近はもはやぼうっとする感覚に似てきている。ほとんど無意識で考える。「せまい」と「おおきい」は両立できるんじゃないか。明示と暗示の境界。とか。やっぱりピアノ弾きにいきたい、とか。

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。