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【祝千人】わたしが動画を始めるまでの経緯 後編

「左打ちに戻して下さい」
 久しく聞かなかった音声に驚いて、また別れ際のことを思い出していたことに気がついた。ぼんやりしているうちに右にひねっていたらしい。慌てて戻したけれど、何発無駄にしてしまったのか。
 しあわせになってほしい。そんな虫のいいことをぬけぬけと言ってのけた彼との関係が終わってから、そこはかとない喪失感が次第にふくらんでいた。ただしそれは彼の愛を失ったからではなく、贖罪の機会を手放してしまったことによるものだった。空白な日々。
 私は罪を犯すことと贖うことで相殺して、ようやくふつうの人間になれることができていた。ほんとうなら罪を犯さずにいられればいいのかもしれないけれど、私はもとより日陰の存在だった。日差しに近づかなければ、ふつうになれない。

(昨日はだらだらと喋ってしまったから、今日はなるべくてきぱき話すのを意識する)

 私には三つ歳の離れた兄がいた。幼少期までは仲むつまじい兄妹だったはずだ。そういう風に言われた記憶がある。でも兄が中学に上がった頃から、家のなかで隠れて、私に暴力を振るうようになった。今になって冷静な視点に立つと、兄は学校にいじめに遭っていたのだと容易に理解できる。その大いなる劣等感を持てあまして、そのはけ口として私を選んだということも。でも、そのときの私には何もかもが分からなかった。
 はじめは私が兄に対して軽口を叩いたり、そっけない態度を取ったりしたタイミングだったのが、いつの間にか日常化してエスカレートして、何の理由もなく殴ったり蹴ったりするようになった。それでも兄を憎むことはできなかった。兄は私にとって正しい存在だった。だから私は、自分の方に非を探した。そして、諦めた。
 存在していることが罪なのだ。その贖罪として、日々暴力を受ける。そうして私はフラットになることができた。いつしかそれは兄に対してだけではなく、何かを被り続けることが世界に対する贖罪になっていた。私は想像さえできない何者かに責め続けられていた。そのうちの一人が兄だった。

(自ずと早口になっていた。あまり人に話したことがないからだろうが、一度落ち着かなくては)

 俊輔と付き合う前は借金だった。これは実にコスパのいい贖罪だった。月にほんのすこしずつ返済して、利息がつき、それでもペースを変えない。利息を返済することでその月の存在を赦されていた。安寧が約束されていた。
 大当たりの演出で目と耳がくらんだ。想念さえ騒音でかき消されてしまう。今度こそ右打ちの指示が出て、ファインダー越しにピントを合わせるようにしてそっと回す。パチンコの演出、出玉の音、店内でかかる流行りらしいキャッチーな音楽が、ぐちゃぐちゃと入り混ざる。気がつけば時代は私を置き去りにしていた。なにもかも手遅れになってから気づく。
 昔、贖罪として推しに貢ぐことを考えたこともある。熱狂的すぎて宗教みたいだと思った。その執着は私を楽にしてくれる気がした。でもそういう人たちを見て、彼女たちの存在理由と私のそれでは、似ているようで決定的に違うものを感じた。つまり、私はそれで何かを得てはいけなかった。ただただ浪費でなくてはいけない。それに、適当な推しも見つけられなかった。私にはやはり何かが欠落しているのだろう。
 確変は起きず、さっさと当たりは終わった。目の前を静かになったと錯覚する。
 たった一人にだけ、私の罪について話したことがあった。あのひとは私の生き方に否定も肯定もせず、ただ一緒の時間を過ごしてくれていた。いや、そういうひとだと踏んで話したのだったかもしれない。贖罪の提案さえしてくれた。
 彼は意図して停滞していた。それへの固執さは、まるで前世でそういう生き方を切望していたかのようだった。それだけは私がどんなことをしたって、絶対に譲ってくれなかった。
 人間はどこから来てどこへ行くのか。彼が話を始めるときのよくある口癖だった。彼はただ、そこに存在しているだけだった。それがどこなのか私には分からなかった。それでも世界はそれを許すどころか、祝福さえしていたかもしれない。私はそれに惹かれ、破れ、嫉妬した。あっけない終わりだった。未練なんてないのに、彼が教えてくれたパチンコをやめることができずにいた。彼を模倣したって無駄だと、泣き腫らすほどふかく傷ついたのに。
 六枚あった一万円札は、いつの間にか空白になっていた。出玉も大して得られず、ハズレの一日だった。そして贖罪さえ果たしていなかった。世界に怯えることしかできず、私はのうのうと、赦されていない生を延長してしまった。

(この前後編に分けた動画も、もうすぐ終わる。これが終わったら買い物にいかなくてはいけない。そして帰ってから、編集作業。いつもより尺が長いから、テロップの打ち込みが大変になるんだろうな)

 まな板の上にカメラをセットして、具材と調理器具を準備する傍ら、YouTubeを始める前の私を思い出していた。たった一ヶ月しか経っていないのに、ずいぶんと昔のことのように感じられる。
 彼と恋愛関係にいる、という贖罪の代わりに、私は世界に醜態をさらすことを選んだ。これなら死ぬまで続けられるからだ。どんな動画にするかには、あまり悩まなかった。私にはこれといった特技も強烈な個性もない。YouTubeをひらめくと、彼がよく褒めてくれた料理をすることにした。
 顔を出さない、巨乳でもない、ただ声と手を映すだけなのに、あっという間に千人の登録者を得ていた。彼らの妄想力は底知れず、セクハラのコメントとともに実は美人だという、願望のあらわれたコメントが毎動画につけられていた。
 声は後録りのため、洗ったばかりの茄子をカメラに十分に近づけて、無言のまま切りはじめる。ヘタを落とし、縦に細長く包丁を挿す。用意した二つとも切り分けると、水を溜めたボウルに画面映えするよう大胆にぶち込む。
 続いて置いたカメラを手に、出汁、砂糖、醤油、みりんの順に鍋へ入れる。ここで調味料は「さしすせそ」の順番に入れるのがよいというテロップを貼り付ける。火をつけて、沸騰を待つ間にボウルから灰汁をすくう。
 すこしずつ増えていくコメントのなかに、流行っているゲームをやってほしいという要望が、目につくほどに割合が高くなっていた。どうやら最近は、はじめはそうでなかったYouTuberもゲームの配信をするものらしい。動画の編集にはノートパソコンでこと足りていたけれど、やるならばデスクトップも買わなくてはいけないのだろう。
 鍋が泡をつけはじめたので、ふたたびカメラを向け、火を止めるところを映す。また別の鍋にサラダ油を敷き、灰汁の抜けた茄子をキッチンペーパーでしぼっては投入していく。強火のため油はそれが仕事であるかのようにはねて、手の甲に飛んだ。「あちっ」という声を反射で発してしまった。だがこれも一興だろう。
 茄子がいい色になったのを映して、火を止めザルに移し、お湯をかける。ドリップコーヒーを意識するように。油抜きとは……というテロップもあった方が親切だろうか。
 出汁の方の鍋に茄子を浸し、ひと煮立ちさせてすぐ止める。タッパーに移し、かつおぶしをかけて、冷ます。おばあちゃんはどうしてかつおぶしのことをかつぶしと言うんだろうね。これで調理パートは終わり。
 はじめた頃は、顔を出していないとはいえ、ネットに自分の映った動画を載せるだけで黒歴史になるものだとばかり思っていた。けれど時代は移っていた。それ自体はむしろ世界に対する自己主張として、誇れるようになってきているらしい。私はやはり遺物だ。時代が移っていようがそこに後ろめたさや羞恥心があるかぎり、私にとってこれは贖罪なのだ。
 YouTubeをはじめたからといって、完全なYouTuber――兼業をしないという意味での――になるつもりはなかった。私に自由は合わない。どちらにしてもまだそれだけでは生活できないし、それに、出勤も大事な――それは比較的小さいけれど――贖罪だからだ。

(いや、これは動画の締めにするには重すぎるかもしれない。編集用に一拍おいてから、思いついたままに言葉を並べてみる)

 私の終点はどこなのだろう。停滞もできず、進むべき指標もない。私は生きることに精いっぱいだ。動画をあげれば私は生きられる。方向は分からないがとりあえず歩く、そうして罪を犯すことと贖罪の境界があやふやになりつつあった。私はようやくふつうになれたのだろうか?

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。