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共和主義者の考察

共和主義者である私が、皇室制度などについて思っていることを徒然なるままに書き綴ったエントリーです。色々脈絡のおかしい所などがあるかもしれませんが、あくまでも徒然なるままに書いただけなのでご容赦ください。

天皇制を早期に廃止するのは難しいという現実

天皇制は世間一般では概ね支持を受けている。うろ覚えだが、各種の世論調査でも現在の象徴天皇制を支持する答え、地位を強化するべきとする考え(国家元首化など)をあわせるとだいたい常に9割程度の支持率がある。外国の王室への支持率が5割台の所(スペインなど)もあるのにこの数字は非常に高いと言える。と同時に厄介でもある。9割以上という支持率は異論反論をほとんど受け付けないくらいの強い力を持つ数字である。また数字以上に厄介なのがいわゆる「菊タブー」の問題だ。つまり皇室についての批判は控えるべし、よのような暗黙の了承が政府にもマスコミにも国民にもあるのである。不敬罪など戦後の改革でなくなっているのに、国民やマスメディアの心には今も不敬罪の精神が根付いてしまっているのだ。

少数とはいえ、天皇制反対派もいるはずだ。普段は「少数派の声に耳を傾けるのがメディアの仕事です」みたいな顔をしながら、この天皇制廃止派という少数派の意見には全く声を傾けようとしないのだからマスコミの自己矛盾も甚だしい。

前のエントリーでも書いたが、私は共和主義者(天皇制反対派)である。理由は日本という国に生まれただけで天皇・皇室のことを崇め奉ることを事実上強制させられる上、少しでも批判しようものなら上記の「菊タブー」により白眼視されるからだ。

「それだけ?」

といわれそうだがそれだけだ。子供の頃にはすでに天皇とかの存在には疑問を感じていたような覚えがあるので、本能的に自分の上位に絶対超えられない何かが存在しているのに耐えられないのかもしれない。人によっては幼稚な理由と感じるかもしれないが、嫌なものは嫌、不快なものは不快なのである。

天皇も日本国憲法に規定された存在であるので、正当な手続きを持ってすれば廃止も可能であるはずだ。だが、ただ単に衆参両院にて3分の2以上、国民投票の過半数の賛成票さえ取ればよいというものではない。というか、まずそこまで世論を持っていくのが大変である。9割以上の支持があるものを廃止するのだから相当骨が折れるし、かりに支持率を5割程度まで落とし廃止が射程圏内に入ってきたとしても、いざ実行するとなると国論が二分されるのは確実だ。もしかしたら内乱まがいのことに成ってしまうかもしれない。そこまでいかなくても、天皇教の信者様方が額に青筋立てて、共和主義者のお家にカチコミに来る可能性を否定しきれない。

また無理やり皇族をその座から引きずり下ろし一般人(普通の国民)にしてしまうと、今までは皇族としての地位からくる制約などでできなかった、あるいは控えていた諸権利の行使や言論に対する縛りがなくなることになる。なので中途半端に人気が残っている状態で天皇を一般人にしてしまうと、本人が政治家となって「天皇党」みたいな政党を立ち上げ国会に乗り込んできたり、積極的に政治的な発言を繰り返すように成って「天皇制再復活」「今度天皇制が復活したら象徴などという中途半端な地位ではなく、しっかりと国家元首として憲法に明記します」「天皇に国会が可決した法律に対する拒否権を」「不敬罪の復活を!」などという危険な主張を始めてしまうかもしれない。本人が望まなくても周りがそうするよう仕向ける可能性もある。いくら天皇が天皇でなくなったとしても、元ロイヤルファミリーというブランドは相当強い可能性が高いので、政治活動まではしなくてもそれを使ってなにか影響力を行使しよう、などという企みを巡らせる可能性ある。したがって天皇・皇室に支持が集まっている限り、現状維持、すなわち「象徴」という籠の中の鳥でいさせるべきだろう。

しかし支持率が落ちないことには廃止のしようがない。何もしないでも国民が皇室からそっぽを向くか、正攻法的な主張を展開して天皇制廃止を世論に訴えかけ廃止派が増える見込みがあればよいのだが、残念ながらそういう感じでもないので、ある程度積極的に支持率を落とす「工作」をしていく必要がある。具体的にはイギリス王室がマスコミから受けているようなスキャンダル攻勢を日本のメディアも行うよう仕向けるのだ。いくら日本に菊タブーがあるからとはいえ、絶対に批判が出来ないというわけではない。実際過去にも雅子氏(皇后)の問題で色々週刊誌やワイドショーを中心に騒がれたことがあったし、最近では眞子氏と小室氏の問題が色々言われているのはご存じの方も多いだろう。ああいうスキャンダル、皇室のイメージダウンになるようなことを長い期間かけて喧伝していき、国民の皇室に対する幻滅を誘うのである。ただこれはマスメディアのような影響力の大きい所がやらないと効果がない上、スキャンダルを出さないよう皇室側も注意しているだろうから出来るかどうか半分は運みたいなところがあるのがネックである。

国民が皇室に関心を持たなくなるようにすることも大事かもしれない。こちらについては「娯楽の充実」「ネットの利用拡大」などの形で実現できるので手軽かもしれない。関係あるかどうかはわからないが、いまの10代20代の約半数はオールドメディア(テレビ・新聞・雑誌など)を全く見ないそうで、それが回り回って皇室への無関心に繋がる可能性もあるのではないかと考えている。

また姑息な手段ではあるが、「不敬」をとやかく言い立てるという手もある。些細なことであっても、皇室に関わることについて発言があった場合「不敬だ」「朝敵だ」「国賊・売国奴だ」「皇室に対する不忠者だ」となにかにつけて喚き立てるのである。人間そんな事されたら言ってきた人間だけなく、その人間が擁護している存在(皇室)にも不快感を持つだろう。だがこれをやったところで限定的にしか効力を発揮しない上、確実に周りの人間に嫌われるので実行は自己責任でお願いする。

こうして考えてみると有効な手立てと言えるようなものはすくなく、すぐには皇室に対する支持率は落ちそうにない。一番効果がありそうなのはメディアのスキャンダル報道だが、そう毎回大きなネタが降ってくるわけもない。「日本共和国」への以降は50年~100年、あるいはそれ以上の長期戦で望むしかなさそうだ、というのが私の感想である。

現行の天皇制の問題点など

我が国の憲法上、天皇および皇族は何ら政治的権限を持っていないとい建前になっている。しかしこれはたんなる表向きの可能性もある、という話を聞いたことがある。というのも、閣僚は週に一度「上奏」という形で政治についての報告を天皇に行っている。これは旧憲法時代からのなごりだそうだが、こういう現場で天皇が政治的意見を言い、それに従って政策のほうが変更される、などということがあるのではないかということだった。もしそうなら由々しき事態ではないか。仮に「違う」宮内庁あたりが主張するのであれば、閣僚が天皇に上奏しているところをマスメディアに毎回公開したら良いのだ。それができないのであれば、なにかあると思われても仕方ないのではないか。天皇の陵(みささぎ=古墳)の大部分がいまだに発掘調査の許可が制限されているが、あれは皇室にとって「不都合な真実」があるからだと言われている。それと似たような匂いを感じる。そもそも我が国は一応は国民主権の民主国家である。にもかかわらず「皇室」やそのゆかりの一族が未だにそれなりの数おり、直接的間接的に影響力を行使している可能背があるというのは民主国家としてあるまじき状態なのではないか。

また以外に知られていないが、天皇の各種行事に対する公式参加は憲法上グレーであると言われている。最近だと二度目の東京オリンピックに皇族が委員として就任し、実際の大会にも現れたが、ああいうのは憲法・法律上の規定がない。憲法・法律に規定されているのはあくまで内閣総理大臣や最高裁判所長官を議会などの決定に基づいて任命したり、外国の大使・公使を出迎えたり、その他国事行為を行うことであって、五輪組織の代表者になったり、各種団体のトップとして(たとえ名目上のものであっても)就任する、などという規定は憲法や法律には存在しておらず、あくまでも慣習的に行われているに過ぎない。もしその団体が何らかの問題を起こした場合は、トップに居座っている皇室の人間も何らかの責任を追わなくてははらないかもしれない。もしそんなことになればまず間違いなくスキャンダルになる。ただ実際そういう自体になったばあい、自分のような共和主義者には都合がいいのでそういうことが起こるのをバンバン期待したいところではある。

 外国にも国王や首長がおり、体制によってはかなりの権限を保持し絶対的君主として振る舞っているような一族も少なくはない。しかしここは日本である。主権在民を旨とする日本国憲法が最高法規として君臨する一応の民主国家である。その民主国家で天皇がどういう形であれ憲法に規定された以外の行為を行うのは、色んな意味で問題があると思う。天皇という地位は憲法が認めた唯一の身分差別である。わたしは平等主義者であり、たとえ憲法が認めていたとしてもどうなのよ? というふうに映る。

日本国憲法が「平等」を歌いながら天皇条項という「国民の総意に基づく」とか言う理由で正当化している特別な階級とその一族の存在を認めるなら、天皇制を廃止した後「旧皇族」なる項目を儲けて、特別に人権の一部が制限されている一族の存在を作ることも不可能ではないのではないのか。実際戦後王政を廃止したイタリアでは、旧王家のサヴォイア家の人間にはイタリアへの入国制限などいくつかの権利制限がかかっていたはずである。日本もそうすれば良い。それができれば上で懸念した天皇が政界に打って出るなどの危険性も小さく出来る。

捨てるまでは使う

ここはで天皇・皇室の批判ばかりをしてきたが、私は同時に皇室には政治の道具として利用価値があるのも認めている。9割という非常に高い支持率があるということは「国民統合の象徴」という役目をよく果たしていると言えるし、外交面では王侯貴族が合ったほうが有利な場面もあるときく。将来的に天皇制廃止を目指すのは変わらないが、上の方に書いたような理由ですぐさま廃止するのが難しいのなら、滅びの時(共和制への移行)までせいぜい徹底的に使い倒すのが良いのかもしれない。こんなことを言うと「天皇の政治利用は御法度」などという批判の声が飛んでくることがあるが、現在の天皇の存在価値など政治利用されることくらいしかないのだから意味のない批判だと思う。本人たちも親愛なる国民への奉仕が出来て喜んでるのではないか。






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