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脳内は不可侵領域

読書してて思い出したことがある。
再認識したというニュアンスの方が近いかな。
それは(特に)美術系の学校に進学する方々に伝えられることでもある。

何かっていうと、

たくさん本を読んで(作品をみて)、
一文でもいいから自分の考えを可視化=文字化しましょう。

ということ。

「当たり前じゃん」

真っ当な反応だと思う。
だけど頭の中だけで完結してしまったり、思考のスピードが速すぎて言語がついていかなかったり、そもそも面倒だったりまぁ色々で、
「当たり前」だと思っていてもなかなかできなかったりするんだな。


とにかくたくさん本を読み、たくさんの人と話し、いろんなものを見て、思いついたこと、系統立てて考えたことのあれやこれやを自分の言葉でアウトプットすること。
この練習をすること。口述でなくて大丈夫。文章にまとめて、自分の思考の流れを可視化してさらに深化させていく練習をしましょう。これは、思考をデザインしていく感覚に近いかも。


学びの場ではいろんな人と出会います。
様々な人種・宗教・思想・ジェンダー…あげればキリがないほど自分とは(今まで自分が属していたところとは)違うところの人達と出会えます。
そして自分と、社会と向き合い作品制作を通じて、芸術とは・人間が表現をする衝動とは…等々、根源的かつ哲学的なものから未来へつながる夢いっぱいの専門性の高いものまで幅広くあらゆる学びを受けられます。
そんな環境の中で、自分は何を表現したいのか・何を作りたいのかを模索し成長していくためにも、ある一方からの視点ではなく様々な視点から物事を見つめ、多層的に解釈し自分の考えをまとめる力が必要だし、他者の思考を理解できる力も必要になります。

私自身、思い返してみると今まで制作してきた作品全てに通づるテーマ(簡潔にまとめると「分断が生み出すもの」)はこの時に出会い、ずっと考察を重ねてきたものだなぁと再認識したり。

あとは作品を作るときに、どれだけ頭の中でその思考をぶっ壊せるか、脈絡のない全然関係ないところまで飛ばしつつどうつなげ広げるか…みたいな。思考実験を延々と、延々と続ける



とまぁ…そんなことを、
浪人時代に読んでいたボリス・ヴィアンを読み直していたときに思い出しました。

義務教育以降、自分が身を置いてきた環境は(自分で選択してきたとはいえ)なかなかスリリングで刺激的な場所でした。
良くも悪くも、すごい人面白い人、尊敬できる人たくさん出会えました。
(その数と同じくらいもう会わないであろう人もいますが)

コロナ禍やその他色々もあり、
今自分のいる環境が、過去稀に見る冗長で旧日本軍的お気持ちの強要みたいな感じなので(言い過ぎか)、新しい場所へ飛び出していきたい所存です。


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