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映画『ジョーカー』で学ぶタロット『ソード 10』

タロットそれ自体に『悪いカード』があるとはあまり考えないようにしています。あくまでも他のカードの並びや、その人の相談に合わせて考えるようにしていますが、それでもこの『ソード10』が出てしまうと、正直重い気持ちになってしまいます。
『ソード』は思考や知性の象徴。『コイン』や『カップ』は数が多い方が良いとされますが、ソードはそうとは限りません。

かろうじて似てる…かな笑
『ソード』つまり思考が多いということは疑心暗鬼、果ては妄想につながりやすくなる。ソードが数が多いとあまり良くない理由はここにあります。この『ソード 10』はその極み。自分の思考や思想が多すぎるあまり、身動きが取れなくなってしまっています。『ジョーカー』はそんな絶望感を描いています。

母の介護をしつつコメディアンを目指す孤独な男アーサーは、自身も精神に病を抱え、仕事もクビになるうまくいかない日々を送っています。彼は無数のジョーク(ネタ)を考えますが、いざショーでそれを披露する段になると上手く言葉が出てきません。それでも表現者であろうとする彼の自我はどんどん肥大していきます。
また、彼には同じアパートに想いを寄せている女性がいて、物語中盤からかなり親しくなるのですが、これは全て彼の空想で実際はまともに会話もできません。

彼は思い描いている理想の自分と現実とのギャップに悩まされます。コメディアンになりたかったけどなれなかった、想いを寄せる人と恋人になりたかったけどなれなかった。この『なれなかった者』の恨みは怖い。
最後にはアーサーは憧れのコメディ番組に呼んでくれた司会者を「自分を笑い者にするために呼んだ」として生放送中に彼を射殺してしまいます。

他人に受け入れられなかった思想や自我がどんどん膨張し、凶行に転じてしまう。これは近年の日本に驚くほど似ています。
自分の中の無数の妄想の剣を抱えきれず、それを他人や社会に向けてしまう痛ましい事件が近年多発しています。誰にも打ち明けられず、自分の中で刃が増えすぎてしまった結果と言えるでしょう。

この作品は1980年台をモチーフにしているのですが、格差社会への不満という点では現代と恐ろしく似ています。アーサーは偶然拳銃を手に入れてしまい、アルバイトでやっているピエロの格好をしたまま、人を殺してしまいまうのですが、この凶行は格差社会に不満を持つゴッサムシティの人々に大きく支持されてしまいます。
作中で不満を持つ人々は、ジョーカーと同じピエロの仮面を被り暴徒と化します。仮面という匿名性での暴挙は、SNSの中だけで暴言を吐くネトウヨなどと呼ばれる人たちと重なって見えます。自分の中の不満が大きくなりすぎて、その刃を誰かに向けないと気が済まない、ゴッサムシティで暴れるピエロの仮面の人たちはみんなジョーカーと同じソードを心の中に持っています。
アメリカの映画ですが、日本の現状に非常によく似通った内容だと思います。
救いが無く、観終わったあとに何と言っていいか分からなくなる、というところまで『ソード 10』にそっくりな映画です笑
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