昭和レトロの寒々しさ

なにやら2025年で団塊の世代が総じて75歳以上になるんだそうだ。
随分前に「三丁目の夕日」という漫画が流行って映画にもなったが、おそらくあのたりに小さかった自分がいる風景を記憶にもっている人たちであろう。
高度経済成長とともに青年期に向かい、学園闘争の主役、就職の時期にオイルショックとともに夢から覚めて株式会社日の丸の大船団の安定した中でバブルで子育できた世代。空白の何十年か、なんて言われる前にリタイアして、子の世代の苦労をどうみているのだろうか。
小泉統一郎と小泉孝太郎の親子みたいな世代の違いをもつ親子がそれにあたり、親父はわりと無茶、子は腹の中はわからんが一見対立をさけてまーるくまとめる感じは一つの典型化と思われる。
安倍政権時代、「悪夢の民主党政権」と繰り返されたが、その民主党政権の前、小泉政権あたりから団塊生まれの政治家が増え、その究極が民主党政権であるというのは、与党が変わってもやっていることの基本点は団塊の世代品質で変わっていないと私は思う。今日から振り返ってみればあの時代、変わったようでなんもなかったな、と思う。
小泉構造改革は非正規を増やしたりしながら中国の成長を唖然としてただ見ていただけだった。日中関係は最悪とも言える時期であったが、思えばあのようにしながら中国でのビジネスを日本企業が手控えることに成功し、その結果ドイツが中国市場で拡大できるように手を貸したようにも見る。
その後安倍、福田、麻生とぱっとしないまま政権交代して民主党になり震災と原発事故が起こる。もともと反自民という破壊衝動だけでやってきた人たちが統治なんかできるわけないから、オラオラ連中たちに官僚はサボタージュ、なんも良くならない。
「二番じゃだめなんですか」と蓮舫が怖い顔して詰問していたのは象徴的である。あれと前後して鳩山政権が倒れ「小沢一郎さんに感謝をしてさよならを言おう」とか妙なシーンもあって、団塊のあたりの人たちにみられる、仲間か仲間じゃないかはっきりしよう主義、常識のない合理主義が漫画化された。蓮舫は団塊じゃないけど、傀儡であって、踊っていた。党首にもなったんだぜ、与党陥落後だけど。クラスの委員長決めているんだよね、きっと。

2012年から続いた安倍内閣というのは民主党とちょっと違ってまだ人材の層が厚いからなんとかなったのか、長かった。安倍は団塊のあと、麻生は団塊の前、菅が団塊、見事である。甘利も団塊。すべて敬称略

昭和レトロなんていうけど、昭和をひとくくりにするな、と思う。
なんか高度経済成長期でオリンピックもあってよかったね、という空気の中で現役終えた人だけだよかったね、ってことだ。
昭和生まれでも全然おいしくない64年以降生まれ。
2025年っていうとその世代は60歳定年で条件が大幅に悪くなっても年金支給まで働くことが義務化されている。団塊の方がとはエライ違いだ。
なんでもそのころ高齢化する人の5人に1人が認知になるらしい。
もういい、いや常識的にってことを言えばこの世代間格差の不満を結集してみれば面白いと思うだが、そうはならないことが良いことなのだろう。
昭和レトロとか言って、あの老人が金を落としれくれれば少しは許せるか。

ついで言えばこの前の地震で一部が壊れた東北新幹線のあの橋脚、あれを若い時代につくった世代が団塊である。50年近く前である。あのような光景を見ると、食い散らかして逃げやがった、と思う次第である。どう考えてもあんなに長い距離をコンクリートの橋脚でつなぐって?と思うのだが、今のタワマンと同じか。そのうち誰かがどうにかしてくれるさと。

新幹線にもタワマンにもありがたみがないので、お荷物にしか見えない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?