見出し画像

大切なものは目に見えないのではなくて見ないようにしているだけ

ゲーム風、かなりライトな地味めファンタジー小説です。
人当たりの悪い魔術師の人間関係のお話です。

写真はフリー素材をお借りしました。↓↓
写真ACさんから https://www.photo-ac.com/ 
撮影リハールさん https://www.photo-ac.com/profile/2349758
----------------------------------------------

「話しているだろう。ちゃんとこちらを見てくれ」 
 ばかばかしいことだ、と思った。
 目を見て話すことに意味はない。
 だってこの男は私の眼球運動から何も見抜けはしない。相手が自分に向けて目を開いていることだけをもって自分を見ているなど、ましてや話を真面目に聴いていると見なすなど。その無意味な動作を求めるこの現在進行形の救いがたい愚鈍さが、それを証明している。
「あなたの人との関わり方を否定するつもりはないが、俺たちはチームなんだ。新しい仲間には、早く馴染めるように思いやりを持って接してほしい」
 彼はこのパーティが抱える剣士で、アドルフという名だ。
 私は魔術師で、“鴉の目”という。もっとも魔術師なので、これは名ではなく号だ。
 私たちは、傭兵団というかなんというか、護衛だの危険などこどこにある稀少などれそれを取ってきてほしいだのの依頼をこなすのを生業にしている。私とアドルフの他には、暗器やなんかの扱いに長けた者と、刃物全般に優れた者と、交渉や事務方が得意な者がいる。
 そこに先日、薬師が仲間入りした。
「思いやりって、具体的には」
「挨拶をするとか、こちらから話しかけるとか」
「それが万人に親切な振る舞いだと思ってるなら……」
「ライラには有効なんだ」
 薬師はライラという。薬草類を扱うばかりでなく、療術により劇的に人体を治す術師にしては年若く、まだ少女と言って差し支えない印象だった。全体的に線が細くて、優しげできれいな顔立ちをしていた。
「あなたと一切目が合わないし、嫌われているんじゃないかと不安がっていたんだぞ」
「なんで目が合わないといけないのか分からない。挨拶くらいするし、用があれば会話はする」
「案件が発生する前に、ある程度は親しくなってもらわないと困る」
「それこそ案件あってこそじゃないの」
「今夜、ここで親睦会をする。皆にも声をかけよう。ライラを連れてくるから、逃げるなよ」
 ここと言うのは、ここだ。酒場である。
 この酒場の店主が相談事をもちかけられやすく、それを依頼として適材に振る。そうやってありつける仕事をする中で発生したパーティなので、溜まり場は常にここだ。そういうパーティがこの酒場の中にはいくつかあって、案件によってはメンバーが行ったり来たりすることもあった。
 いいか、今夜だぞ、と念を押した後、アドルフは一度何か用向きで出かけて行ったが、夕刻にはライラを伴って戻ってきた。
「他のみんなは?」
「それぞれ別案件にあたっているところだった」
「だめじゃん」
「いいんだ、問題があるのはあなただけだ」
 一同(と言っても三名だが)着座しながら、ライラは申し訳なさそうに言った。
「あの……ごめんなさい、なんだか無理にみたいで」
「べつに。私はもともとここで食事して帰るつもりだったから」
 程なくして店主が、飲み物だの食べ物だのを卓に運んで来た。
「ほい、お待ちどお。親睦会なんだろ? ほら、お嬢さん方にウケがいいと思って最近出してる甘い酒。二層で綺麗だろ──って」
 二種の液体の比重の差を利用しているのだろう、上下層で薄桃と濃い赤に色が分かれているのが、グラス越しに光って見えた。すぐさまかき混ぜて、眼を閉じて飲み干した。
「あー!! “鴉の目”!! お前……お前……」
「私は味しか興味ない。おいしいね」
「作り甲斐のない奴だな……お前にはもう出さん」
 店主は憤ろしげな声で卓を拳で小突いて、戻って行った。
「そういうところだぞ、“鴉の目”」
「全然意味がわかんないですアドルフ先生」
「人の厚意や、そのためにかけた労力を無にするようなことをあなたがしがちだから──」
「楽しい親睦会でそういう固いこと言うのってどうかと思う」
「そういうところだぞ、“鴉の目”!」
「ライラ、この人のカリカリしたとこ鎮める療法ってないの?」
「えっ? あ! えっ、えっと」
 急に話を振られたライラがあわあわしているところで、酒場のドアが開く音が聞こえた。
「あー? なんか集まってる。オソロイで、何? なんか打ち合わせ?」
 露出の多い服装の女が、ぬっと現れた。
「やあ、“猫の尾”。今日は親睦会だよ」
 アドルフが愛想良く答える。
 “猫の尾”と呼ばれるこの女も魔術師だ。彼女はどこにも属さず、フリーランスでやっている。人手の要る案件では一緒にあたることも間々あるので、パーティの面々には一定の仲間意識がある。
「シンボクとかってー、ちょーウケるんですけど。何のシンボク?」
「新しい仲間が増えたのに、“鴉の目”の態度が悪くて、親しみにくいからな。性格が悪いわけではないのにもったいない」
 キャハハハ、と甲高く“猫の尾”は笑った。
「ソレのことなんか気にしなくていいってぇ、親しみやすいワッケないじゃん! 魔術師なんて基本ネクラのガリ勉に決まってんだからぁ」
「ソレって呼ぶな」
 瞬間的に血の気が引いて、肺が沸騰するような感情をそのままのせて睨みつけると、“猫の尾”はニヤニヤしながら目を逸らした。本質的に、彼女も根暗だ。
 トーンダウンして、ジョッキを二つ頼んだ“猫の尾”は、同じ卓に座ってくる。間もなく運ばれてきたジョッキのひとつを、彼女は私の前に置いた。謝罪のつもりらしい。
「そもそも悪魔と契約してなんかしよーなんてさー、人間集めてアレコレすんのが苦手なネクラじゃん? 人に助けてもらやぁ、大抵のことできちゃうってのに、自分でやるためにチョーメンドーな語学とかー、作法とかー、歴史とかー、自分に縁のある悪魔のチカラとか悪魔社会の組織図とか? 覚えるコトいっぱいあんのにさぁ。そーゆー苦労の方が、人間関係やってくよりラクだからこーんな魔術師なんかなっちゃったんだよ」
「まあね、強ければ魔術になんか頼らない。概ね同意」
 ジョッキを持って、“猫の尾”のジョッキにぶつけて呷る。“猫の尾”が肩の力を抜いたのが分かった。
「あの……悪魔と契約って、本当なんですか?」
 ライラが、おずおずとした声で問う。
「なに、おじょーちゃん、怖い?」
「あっ、あの、訊いて失礼なことだったら……すみません」
「アタシは怖いのかってきいてんの、怖いの?」
 少女相手に低い声で凄むので、再び手持ちのジョッキを“猫の尾”のジョッキにぶつける。
「あんたが怯えてるんでしょ“猫の尾”」
 彼女の持つジョッキの中の水面は、ぐらぐらと波打っている。
「その子があんたの何を損なえるっていうの。黙って飲んでなよ」
 魔術師なんかやっていると、人間社会ではいろいろある。“猫の尾”のこの反応に共感しないことはないが、でもそれは選んだことだ。
 “猫の尾”がジョッキに口をつけたまま本当に黙るので、代わりに答えてやる。
「契約は本当。悪魔が指定したものを捧げる約束で、魔術師は魔力を前借りしてる」
「じゃあ、なにか、支払ってる……のか」
 何となく言いづらそうに、アドルフが問うてくる。彼にも話したことはない。一度も聞いてこなかったからだ。
「前借りって言ったでしょう。払うのは契約満了のとき」
「それで許してくれるものなのか。いや、印象でしかないが、一切の都合が通用しなさそうというか……」
「交渉のやり方があるの。それに、悪魔ってのは肉の身体を持たないからね。人間の肉体が覚えた体験とか感覚は、結構価値が高いみたいよ。代償になりやすいのもそれ系。私の契約もそれ系。契約満了のとき持って行かれるから、私は自分の生きてる間を契約期間にしてる。向こうにもその方が都合がいいの。期間が長い方が、蓄積するものは多くなるんだし」
 本当に黙って飲んでいた“猫の尾”が、ぽつりと口にした。
「ねー、シゴト、一個譲ってあげよっかぁ」
 ゴン、とジョッキを置いて、魔術師はへらへらと言う。ちらりと見た顔はすでにやや赤い。酒に強い方ではない。 
「おじょーちゃんはあれでしょ? まだここの組で経験薄いんでしょー? たぶん軽めの割に、報酬そこそこの案件もらっててさー」
「いいのか?」
「ちょっとアドルフ、いきなり乗るんじゃない。おいしい話なら、何で自分でやらないの」
「ンー、なんかー、屋敷なんだけどね? ユーレイ? 出るんで人が住めなくなっててー、その退治なんだってー。さっき下見行ってみたらー、蜘蛛の巣とかやっばいしー。ほんとにユーレイかどーか外からじゃわかんなかったし、マジでユーレイ案件だったら魔術師ムリじゃん?」
 正確には無理ではないのだが、どうしても後処理に聖職者が絡んでくるので、厄介事がめちゃくちゃに多い。何せこちらは悪魔と契約している。
「そっちは教会の奴らと話せる人いんじゃーん。アタシ埃っぽいとこムリだしあげるー」
 “猫の尾”は、まさに猫のように目を細めて、依頼書を卓に広げた。


 結論から言うと、その依頼はありがたく譲り受けることにした。
 とある屋敷の一室に、ある時から幽霊が出るということで、使用人は辞め、ついには主人一家も住めなくなった。高齢の主人の身体が弱ってきたところで、やはり生まれ育ったあの屋敷で過ごしたいと、幽霊退治の依頼をした。そういう経緯ということだった。
 特定の部屋にしか出ないらしいとのことで、今回参加のアドルフ、ライラ、私の三名とも、やや気軽に屋敷に踏み入っている。
「見てください、アドルフさん、“鴉の目”さん! かわいい絵!」 
 あの親睦会以来、敵意がないことは了解してもらえたのか、ライラも物怖じしなくなった。暢気に幽霊屋敷の壁の絵について言及している。アドルフは何かコメントしてるが、私は興味がないので立ち止まらない。
「み、見ないんですか?」
「見ないね」
「かわいいですよ!」
「興味ない」
「猫とか、お好きじゃないですかあッ」
 酒場で、膝上に乗って来た猫を揉んでいるのを見られたのだ。
「一緒にしないでくれる。猫は見なくてもかわいい。触ってかわいいもの以外興味ない」
「ふかふかってことですか?」
「はいはい、ここが例の部屋じゃない?」
 言うと、ようやくライラは緊張してくれる。ここにいたるまで緊張感がなかったのは、案外大物かもしれない。
「話によると、襲われたという……物理的な被害はなかったということだが」
「安心はできない。まだ幽霊だと断定できるわけじゃないし」
「ああ。ライラはドアを開けてくれ。まず俺が入室する。“鴉の目”は三人分の防御の用意をして続いてくれ、いいな?」
「了解」
「はい!」
「それじゃあ、行こう」
 ライラがドアノブに手をかけて、そっとドアを押した。重い音をたててドアが開く。剣の柄に手を置いた半身のアドルフが、ライラを庇うように身体を滑らせて、慎重に室内を覗いた。
「……進むぞ」
 寝室のようで、天蓋付きのベッドがどんと鎮座している。カバーもされていない家具が盛大に埃をかぶっている以外は、別段変わったところはない。ぐるりと部屋を見まわして、アドルフが少し警戒を解く。
「何もいない──のか?」
「安心したところにグワッ! ってのが鉄板だけど」
「やめてくださいよぉ、“鴉の目”さん……」
「しかし、出てきてもらわないことには退治のしようも、わ……あッ!?」
「きゃあああッ!?」
 アドルフとライラが、ほぼ同時に悲鳴を上げる。私もゾッと首筋があわ立った。
「目を閉じるな!」
 咄嗟に叫んだ。
「よく見て! 見たら退いて!」
 ドアの方へライラを押しやり、アドルフの上着を引いて、最後にドアノブを持って廊下に飛び出した。
 ドアに警戒を向けたまま、荒い息を吐いている背後の二人に問う。
「何を見た?」
「あっ、あの……たぶん、お、女の人……」
「俺は、犬……というか、獣だったと思う」
「なるほどね」
 もう一度、ぐっとドアを押して、部屋に顔を入れて見てみる。天蓋の陰で形を取り始めたのは、女でも犬でもない。それを確認して、一旦退いた。
「分かった。やっぱり幽霊とかの類ではない。“影”だ」
「“影”?」
「暗くてジメジメしたところに棲んでる、超超超下級の悪魔の一種。知性はほぼない。こんなとこにいるのは珍しい」
 あくまで観測されている範囲では、という話だが、本来は山や森にいることが多いとされている。人の棲む領域と、そうでない領域の境界で、人間はこういうものと出会いやすい。
「縄張り意識が強いから、近付く者は何であれ敵視する。対象の恐怖の記憶を再現して、追い払うの。それぞれ見たものが違ったのはそういうことね」
 ライラのことは知らないが、アドルフは犬が苦手だ。小さな頃に何かあって、以来嫌いなのだと小耳にはさんだ記憶がある。
「あれは視線に弱いんだ。生き物の目を反射した光で灼ける。だから恐怖心を与えて目を逸らさせようとする。じっと見ていれば消える」
「見る……他に方法は?」
「ない。あっちは下級すぎて物理的に何かしてくるってことができないから、こちらも剣は効かないよ」
「くそ……仕方ない。俺が見ている間、他の脅威がないかの確認を頼む」
「それは却下。あれは、その相手にとって一番恐ろしい記憶を増幅して再現してくる。光景と、音や匂いや感触まで。錯乱することだってある、私たちの力ではあんたを止められない」
「だが」
「精神力勝負なら魔術師の出番でしょ。修行から何から、大抵の酷い目は見てきてる。ふたりとも廊下にいて」
 “影”相手に物理的な備えは効かないので、装備を解いてライラに持たせる。もはや遠慮なくドアを開け放ち、寝室のなかほどまで歩み出ると、“影”は形をとった。もうそれだけで本能的な忌避感が脚を退けようとするが、ぐっと相手を睨む。
 “影”を相手取るのはこれが初めてではなかった。だから私は、私の前で何が像を結ぶのか、もう知っている。
 じりじりと嫌なものが目の前に広がり、脈拍も呼吸も乱れていく。平静でなくなっていくのを自覚する視点を努めて意識しながら、幻覚が現実味を増すのを眺めた。
『──ソレをご覧』
 これは、人生最悪の日の再現だ。
『お前を生んだ女の目だ』
 目。目の色はよく褒められた。母さん譲りだって。
 母のまなざしを覚えている。その色に心から安らいだことも。
 他は覚えていない。なにひとつ覚えていない。
 あの悪魔はそれを知っていた。
 私がそれを大切にしていることを。
 悪魔は、私の顔に悍ましい手を掛けて、あれはきっと嗤った──のだ。
『楽しみだ、ソレが、コレの隣に並ぶ日が』
 私と同じ色の目がふたつ。白いピローに置いて飾られていた。
「……うっ、」
 目尻と目頭から涙が流れて、顎先で冷たくなるのがわかった。顎は震えていて、歯がガチガチと鳴る音が骨を伝わって響く。
 だめだ。だめ。
 これは今起こっていることではない。
 だめだ。怖い。だめ。克服しようと思ってはいけない。
 恐怖は慣れる。慣れて、時間を稼ぐことだ。
 悪魔はピローの両目を持ち上げ、自分の眼窩に嵌めた。
『お前を知っているよ、コレは最期近く、お前ばかり見ていた』
 ギョロギョロと眼球は回る。
 契約を交わしたあの日以前の、未来永劫誰にも奪われない私だけの記憶としてある、母のまなざし。
 私だけのものであるはずなのに。
 目が──
「あっ……ああ、」
 息が吸えない。視界がぐらぐらする。体がどうなっているか分からない。
「ハッ……ハァッ、ハァッ」
 だって見ている。
 お母さんの目が──悪魔が──見ている、今、私を──
「“鴉の目”さんッ」
 ぶつかるように、抱きつかれるのが分かった。
「ラッ、ライラッ? なに、戻……戻って!」
 そちらを見るわけにはいかない。とっさに振り払おうとした腕は肩ごと、どうやら大きな手に抱えられた。
「大丈夫だ、俺たちは目を閉じている!」
「馬鹿なの!? 堂々と……」
 ぐっと、痛いくらいに手を握られて、温かかった。
 ポッ、と、目の前にある生々しい記憶の中の悪魔に、緑色の火がついた。そこから紙が燃えて縮んでいくように、悍ましい悪魔も、母の両目も、焼けて崩れて、遂には煤となった。チリチリと音を立てる消し炭の一片すら散ったとき、ようやく息が吐けた。かつて起こった出来事も悪魔の存在も消えはしないが、とにかく今この目の前にはもうない。
「……もう、目、開けていい……と、おもう」
 二人分の支えが緩むなり、私はその場に膝をついた。脚の力が抜けているが、特に怪我や不具合はない。
 何やかやと気遣おうとする二人を現場の確認に追いたてて、ひとりで深呼吸をして、ようやく落ち着いた。
 帰路、ライラが気遣わしげにのぞき込んでくるので、目を逸らすのが大変だった。
「いま、どこか具合悪いですか?」 
「いや、平気」
 アドルフの歩調も、常よりかなり遅い。
「随分怯えていたが、あれは、あんなに……なるんだな。辛いことをさせた」
「魔術師はだいたい、悪魔と契約したときの記憶を呼び出されるんだよ。くそ、“猫の尾”の奴、“影”だって知ってたな」
 純粋に受けるのが嫌な案件だったのだろうし、私たちへの報復でもあっただろう。彼女には彼女の恐怖と、歪みがある。
「あの、“鴉の目”さんは、何を……捧げるんですか」
 ライラは結構土足で上がり込んでくる。“猫の尾”はたぶん、この積極性が怖くて不快なのだろう。私はそうでもない。
「目」
 ピローの上の目を思い出さないようにしながら言う。
「契約の日からこの目が見えなくなるまで、私の目で見た光景すべて、いつか悪魔に渡さなくてはならない」
 ソレがコレの隣に──ああ、黙れ黙れ黙れ。
「だから私はせいぜい嫌なものとかどうでもいいものだけを見て生きるんだよ、……ザマーミロだ」
 ライラが立ち止まる。顔は見ないようにして半身を振り向けると、感情のよく分からない、震えた声が聞こえる。
「私たちのこと、悪魔に見せるの嫌なんですね……」
 ぶつかるように、抱きつかれる。本日二回目。
「私いっぱい喋りますね!」
「はあ?」
 ぐっと手を握られる。
「まだ震えている、帰りは手を握っていよう」
「うそでしょ……」
 振り払う気力はもはやない。
 かしましいわ暑苦しいわで、その日は帰路の消耗の方が激しかったことを記憶している。


 後日談だが、この件以来、アドルフは私に目を見て話せとは言わなくなった。ライラはやたらと手を触れてきて、暇さえあればキャンキャンキャンキャン話しかけてくる。
 目を伏せる私に向かって彼らがどんな顔をしているかは、絶対に見てやらないことにしている。
 生涯をかけて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?