藤井風の新曲「満ちてゆく」を恐る恐る聞いたら、ちょっと泣きそうになった。
藤井風の新曲聴いた???(挨拶)
どうも、考える犬です。
冒頭から失礼しました。
さて、「満ちてゆく」。
先日3/15にYoutube上で初公開された、藤井風の新曲。
本日はこの新曲を聞いた感想を、率直に書き綴ります。
ちなみに表題の「恐る恐る」というのは、
どうも最近藤井風の新曲を聴く時、若干ビビるからです。
なんというか、一種の覚悟が必要というか…
「これを聞いたら、色んな感情が自分の中に湧いてくるだろうな…」と考えてしまうというか。
「お!藤井風の新曲出とるやん!聞いたろ!」
という以前のノリで再生ボタンを押せない自分がいる。ついつい社畜の晩酌動画を見てしまう自分がいる。…何だろう。これ、共感してもらえる人いませんか??
なので今回は、視聴直後の率直な思いをそのまま記事にしようと。そういう試みです。どういう記事になるのか、完全ノープラン。
それっていつもよりIQ低めの文章になるのでは…?と思わないでもないが、いやいやそこはご安心を。私、これまで何十本と音楽分析記事を書いてきた。音楽の描写力には自信がある。
ちなみに、藤井風その人の分析記事も書いております。
こちらもよかったらどうぞ。
では、参りましょう。
こちらがその新曲。
ご覧ください。
めっちゃいい曲だなぁ…(IQ5)
いきなり失礼しました。えーと…まずね。
最初の英語が格好いいなぁ。(IQ2)
はっきりとナレーションを入れているのではなく、独白のようにボソボソ言う感じ。まるで長編の洋画の冒頭のよう。我々日本人がこういうことをすると、発音を気にして変にハキハキ喋ってしまいそうだけど、自然にこういうことができる辺り本当にネイティブに近い感覚を持っているんだろうなぁ。
そして、画が綺麗だなぁ。
雪の中をひとり、車椅子でゆく老人。
顔が映し出され、この老人が藤井風その人であることがわかる。空は灰色であたりは薄暗く、かすかに雪が降っている。
そこに柔らかなピアノの調べが重なる。
どことなく神妙な、内省的な気持ちになる。
そして声が優しい。ただただ気持ち良い。
こちらに何も強要しない、ヒーリングの音楽だ。
…なぜだろう、この時点でちょっと泣きそうになった。
ちなみに一番好きな曲が「帰ろう」な僕。
この時点で「あーもうこの曲好きだ」と確信。
少し歌詞にも触れましょう。
導入から「終わり際」が示唆される。
藤井風扮した老人の映像も相まり、「人生の終わり際」を連想させる。それが曲のテーマと考えておよそ差し支えないだろう。過去を懐かしむような描写が続き、そして1番サビ、「手を離す、軽くなる、満ちてゆく」と締めくくられる。どこまでも優しい。
ここではやはり「帰ろう」と共通した人生観が見受けられる。
執着を捨て、手放すことで「満ちてゆく」。
ちなみに1番、伴奏はピアノだけである。
これ、昨今の邦楽だと結構凄いことだと思っていて、というのも導入がピアノのみのバラードは数多くあれど、大抵サビまでに他の楽器を入れるパターンがとても多い。周りのヒットソングに埋もれないように、ちょっとでも華やかにと、手を入れたくなってしまうのだ。
1番通してピアノのみというアレンジはあまりにも思い切りが良い。いや良すぎる。極上の伴奏と、「このアレンジがベストだ」という絶対の自信が無ければできない決断である。
まだ洋楽に比べて「音を重ねてなんぼ」な傾向が強い邦楽界。その最先端でここまで大胆な判断ができるのは、他に宇多田ヒカルくらいじゃないかな。
さて、2番に参りましょう。
間奏が終わると曲にビートが入る。
と同時に、映像には色彩が戻り、若い頃の藤井風が映し出される。
音像と映像の完璧なリンク。
この辺りの演出、本当に上手い。
MVの制作陣が本当に楽曲に敬意を払っているからこそできる演出である。
ビートは打ち込み主体。重みがあるが、やりすぎていない心地よさがある。ベースの旋律も入り、シンプルなアンサンブル。サウンドそれ自体は完全にR&Bだが、重厚なコーラスと相まって、ゴスペルっぽさも感じる。それが曲全体に神聖な雰囲気を付与している。
映像は、1番で老人として描かれた藤井風の青年時代が描かれる。社会の中で直面する若者としての苦労、挫折、そして他者との不和。
ふと思ったんだけど、藤井風って喧嘩とかするのかな??
…しない気がするな。
普段の言動から、暴力なんか一番程遠い印象があるな。なんというか理不尽に殴られても、もう一方の頬を差し出す気さえするな。もはや聖職者の境地である。
一方で「普通の若者みたいに喧嘩する藤井風」にも、僕は好感を持つ。
ビートルズが「世界の平和を歌いながら、グループ内の平和さえ保てなかった」と揶揄されるように、高尚な思想を持つ一方でどうしようもなく俗物である、ジョン・レノンのような人間が僕は好きである。思想を突き詰めると、果ては哲学者かそれこそ宗教の教祖になってしまう。時には喧嘩するのも、人間臭くていいじゃない。そういう人って魅力的だよ。
…さて、MVの解説はこれくらいにしようと思う。
これ以降も、藤井時代の子ども時代や、墓地、そして教会の講堂に佇む藤井風、さらにどの時代にもほぼ変わらぬ容姿で描かれる謎の女性など、意味深な描写はたくさんあるが、これらの意味を断定することは難しい。
公式から「これはこういう意味だよ」なんて解説がない限り、その真意を100%理解することは不可能である。
でも、それで良い。
優れた創作物は、「意味はよくわからんけど、なんか凄く良い」ものが多分にある。全てを語らぬからこその良さ、推測の余地なんてのもある。全ての謎が解明されると、そういう繊細な輝きはきっと失われてしまう。
それでも、僕はこの曲を聞いてなんだか泣きそうになった。
特に冒頭、1番の歌い出し。
良い作品は、一切の理屈や理由付けといった行程をパスし、直線的に視聴者の感情に到達する力を持つ。
きっとそういうことなんだろう。
ということで、新曲「満ちてゆく」のMVを見てきた。
曲を聴くまでは冒頭のように「藤井風の新曲を聴くのは覚悟がいるな…」なんて考えていたが、聞いてしまえば何のことはない。
「良い曲だなぁ」「この曲好き」
それで良いのである。
…なぜ自分は、藤井風の新曲を聴くのにビビっていたのだろう?
思うに、
「この曲の根底には◯◯という思想があって…」
「一瞬映るあれは◯◯の隠喩で…」
という評論を多く見かけるようになったからかもしれないなあ。
「彼の音楽を聴くならその思想を汲み取るべし」いう変なハードルの高さを、知らぬ間に自分で感じていたのかも。
…でも、彼はミュージシャンじゃないか。哲学者でも宗教家でもない。
女装してオシャアレンジちびまる子ちゃんを弾きまくる、ひょうきんな青年である。
はじめから、音楽そのものに耳を澄ませれば良かったんだな。
もちろん彼の思想もまた、彼の一つの側面である。そうした要素で形作られた彼のパーソナリティが、この上なく魅力的であるのは間違いない。それによって、世界中に多くのファンを生み出したことも。
でも思想より何より、僕は彼の音楽が好きだよ。
それに改めて気付かされた1曲だった。
藤井風の「満ちてゆく」。
優しいピアノの音色は、まるで故郷に帰ったような安心感を覚えさせる。
藤井風、珠玉のバラードである。
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