冬の日 (短編小説)


【五百円】
 かじかんだ手をポケットに突っ込んでみると、中には五百円玉が入っていた。俺はコンビニで温かい缶コーヒーとおにぎりを買って、イートインスペースで食べ飲みする。左隣では、老婆たちが分け隔てなく談笑をしている。
「この間、佳子さんの家の旦那さん、亡くなったらしいよ」
「あらまあ、残念ねえ」
「七六歳だって。若いよねえ」
「若いわねえ」
 今日もどこかで人が亡くなっている。だけど。右隣では妊婦さんが温かいお茶を飲んでいるから、俺は安心する。

【二百五十五円】
 ジャラジャラと音を鳴らす小銭たち。俺は近くの神社に行って、賽銭箱に五円玉を入れて手を合わせる。
「世の中が平和でありますように」
 なんて大それた願い事だ。いつだって争いごとを好み、分断することを望み、自分を愛する生き物なのに。それでも俺は誰かの幸せを願ってしまう。荒波に浮かぶ船を無事に港へ戻せる未来が見たい。

【二百五十円】
 小学生の頃によく通っていたオンボロな駄菓子屋の前を通ると、数人の小学生が戯れている。
「よっしゃ、あたりだ!」
「いくら当たったの?」
「五十円! すごくね!?」
「すげえ!」 
 たった五十円でも喜べる、穢れのない心。今の政治家たちに見てもらいたい姿だ。それにしても、おにぎり一個ではどうも物足らない。久しぶりに陳腐な菓子でも買ってみようか。
 入ると、駄菓子が隅から隅まで敷き詰められて並んでいる。
「いらっしゃいませ」
 レジの前には、見慣れない女性が座っている。前は眼鏡をかけた強面のおじいちゃんが座っていたのだが。
 俺はチョコ棒二本とスナック菓子を持ってレジへ向かう。
「はい、百円ですね」
「あの、前にここに座っていたおじいちゃんは」
 そこまで言ったところで、女性は「ああ、この間亡くなったんですよ」と教えてくれた。
「お父さん、子供たちのために働きたいって、借金までして駄菓子屋作って。でも、利益度外視だったから赤字が膨らむばかりだったんです」
「それは、なかなか大変でしたね」
「ええ。でも、お父さんは最後まで笑顔で働いていました。わたしはそんなお父さんが大好きでした。だから、今はその意志を引き継ごうと思って、ここで働いているんです」
「そうだったんですね」
「ああ、すみません。初対面なのにベラベラ喋ってしまって」
 女性は軽く会釈して謝るそぶりを見せる。俺は一言、「また来ますね」と言って、店を後にした。


【百五十円】
 この街をブラブラと歩いていると、一人のおじいちゃんが公園のベンチで座っていた。スポーツブランドの黒いキャップ帽、ブラウン色のジャンバー、そして孫のお下がりであるダメージジーンズを履いている。
「何してるの? こんなところで」
 俺が声をかけると、おじいちゃんは「おお、マサシか」と笑顔になった。
「何もしてない。ただ、枯れた葉っぱが落ちていく様子を眺めているだけだ」
「それは、暇だな」
「暇だよ。年老いた人間なんて、何にもやることがない」
 子供たちに夢を与え続けたおじいちゃんもいれば、コンビニのイートインで駄弁るおばあちゃんたちもいて、一人暇つぶしに落ち葉を見るおじいちゃんもいる。別に珍しいことじゃない、ありふれた日常。
「そういえば、今日は太平洋戦争が起きた日だな」
 でも、昔はこの風景が当たり前ではなかった。当たり前のように爆弾が落ちてきて、当たり前のように防空壕に逃げる。俺とは違う、当たり前。
「そうだね」
「今は平和だよ」
 ひんやりとした空気が、僕らを襲う。どこかで犬が吠えている。また、落ち葉が落ちる。僕らの真上を飛ぶ飛行機は、遥か彼方へと飛び去っていく。
「何か温かいものでも買おうか? 百五十円しかないけど」
 俺が言うとおじいちゃんは嬉しそうにして、
「フランクでも食いてえな」
 と言った。
 

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