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『花たむけて、巡り逢う』 ①

 十八で肉体と精神が乖離した友人に花をたむけることを、僕の本心はいまだに躊躇ってしまう気持ちがある。彼はどこか遠い国へ、例えば陽気なボサノバが鳴り響くブラジルへ、あるいはカンガルーと喧嘩しにオーストラリアへ、はたまた月面の裏側が見たいと宇宙へ旅立っていったのではないかと思っている。
 凛と咲く彩り豊かな花束は、晴天の下で時折光を浴びて煌めく。その輝きが生命であることを主張している。彼だって、この花たちみたいにどこかで生きているはずだと信じたい。
 ただ、僕が生み出すガラス製の理想は、落ち葉みたいにすすきで掃かれて、呆気なくゴミ箱へ捨てられる。遺骨になった彼を抱える母親の涙が床に滴り落ちて悲しみの水たまりを生み出したことも、四十九日経ってその母親が病気で亡くなったことも、月命日になると天に向かって手を合わせることも、全てが僕の日常の中で起こった、嘘偽りない真実だった。
 死ぬ。それは運命的な出来事らしい。だから人は後悔しないように生きなければならない。とはいえ、十八でこの世から去らなければならない無惨さに、僕は超越した誰かを恨むことしかできない。行き場のない怒りと虚しさだけが弾けて、空気中に漂う。それ以上、先はない。だから僕は毎度毎度、涙を流す。それが自分を日常の箱庭に収める唯一の方法だからだ。
 僕は彼が亡くなってから一度として、彼が眠っているであろう墓を訪れたことがなかった。姿の見えない彼と対面することが、どうしようもなく辛かったからだ。人間は怖いことや嫌なことから逃げる習性がある。僕は二年を過ぎるまで、彼の死から背を向け続けていたのだろう。空は大概青いからどうにかなるけど、心を支え切れないほどシンプルなグレー色の墓と、立ち込める線香の香りを嗅げば、僕も身を滅ぼして彼の元へ飛び込んでしまう恐れがあった。
 僕は先日、二十の誕生日を迎えた。これが最後ねと、母親が買ってきてくれたホールケーキに二十本の蝋燭を立てて、家族揃って僕をお祝いしてくれた。二十本の灯火はいつの日か見た、遺族が亡くなった人を弔うために川へと流す灯籠の明かりと似ていた。だから僕は、その火に息を吹きかけることができなかった。ゆらゆら揺れたのは火だけではない。僕の視界も涙で揺れてしまった。
 そのとき、僕はやっと決心がついた。きちんと現実と向き合って、彼に花束を捧げようと。

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