故意、焦がれ (短編小説)



 ひんやりとした空気が僕らの通る道を覆う。寒さを凌ぐために着ているジャンバーも、首筋が冷えてしまうせいで温かみを忘れてしまう。
「寒いねえ、真」
 隣でポケットに手を突っ込んで歩く、唯の白い首筋も露わになっているから、そこをめがけて北風が突き刺していく。
「寒いね。今日はここまで冷え込むとは思っていなかったよ」
「お天道様も気まぐれだから」
 今日の朝、テレビに映る天気予報士は「本日晴天なり」と話していたが、空を見上げても陽など出ている気配もなく、絵の具で塗りたくったような灰色の曇が被さっている。
「雨でも降ってきそうだ」
「そうだねえ」
 しかし、唯は優れない天気でも、まるで昼下がりの晴天の下を散歩するように、楽しそうに歩いている。これから彼女の家に帰るだけなのに。
「ねえ。わたし真ともう少し一緒にいたいから、ちょっと遠回りしようよ」
 この空に似合わない言葉をかけられ、僕は一瞬ドキッとする。
「え、別にいいけど」
 だけど僕は強がって、冷静に答える。
「やった。じゃあ、あっちの公園まで行こうよ」
「うん」
 唯は自由気ままに僕を操っていく。そして僕はそれに応じてしまう。恋人でもなく、ただの近所の先輩なのに。
「真はダラダラ過ごす時間って好き?」
 フワフワと揺れる、唯のミディアムヘアから、仄かに花の香りがする。おそらくダラダラ過ごす時間がなければ、僕はその匂いに気づくことができないのだろうと思う。
「うん、好きだよ」
「わたしも好きなんだ。ある人は、一日は二十四時間しかないから無駄遣いするなって言うけど、二十四時間もあるんだから、少しくらい肩の力抜いて、こうやって何気ない会話をして過ごす時間があっても良いって思うんだよね」
 僕は、唯の余裕のある性格が好きだった。だから今も、彼女の隣で時を過ごしているのだろう。
 やがて小さな公園に着くと、唯が「あれ乗りたい」とシーソーゲームを指差した。
「懐かしいね」
「わたし、軽いから吹っ飛んじゃうかもねえ」
 唯はあり得ない冗談を言って、一人で笑っている。
「でも、そのときは真が助けてくれるもんね」
「僕が?」
「うん。わーってわたしが飛んでいくところを、真がお姫様抱っこでキャッチするの。どう?」
「どうって言われても……」
 唯は時々、僕を掌に乗せていじめてくる。僕の弱い心を踊らせて弄んで、一人で楽しそうに微笑む。でも、僕はその笑顔が嫌いじゃないから、わざとおどけたりする。
「じゃあ、早速乗ろうよ」
 僕らはシーソーゲームに乗るが、僕と唯の体重に差があり、唯が宙に浮いたまま沈むことはなかった。
「これじゃあ、遊具にすらならないね」
 僕が降りて、ガタンと音を立てて唯が沈む。
「わたしがもっと重かったら、真と楽しく遊べたのに」
 なぜかシュンとする唯は、隣にあったブランコに乗って、振り子のように規則正しく漕ぎ始める。
「ブランコってさ、無邪気だった頃のわたしを思い出すの。今はもう、色々な思考が脳内を彷徨っているから、無邪気なんて淡い性格は消えちゃったんだ」
 たしかに、唯は細部まで考えを巡らせている。常に計算しながら生きているから、僕みたいな男の心を引き寄せるのだろう。
 だけど、僕は唯の「素」の部分も知っている。時折見せる笑顔は、無邪気そのものだった。
「唯は、まだ無邪気さを捨てていないと思うよ」
「本当?」
 唯はブランコを漕ぐのを止めて、柵に座る僕の目をじっと見る。何を言ってくれるのか待っているみたいに、ずっと僕の目を見る。
「うん。たしかに、唯はちょっと計算しながら生きているというか、未来を見据えて生きている部分はある。でも、ふとした瞬間に見せてくれる笑顔は、唯の中にある、きっちりとした型が破れて、心から笑っているときもある。それは多分、唯の中にある無邪気さだって僕は思うけど」
 言い終えた後で、頬がぼうっと熱くなっていることに気づく。心臓の鼓動が音を立てながら速まっていく。
「真、君って人は優しいんだね」
 唯は目から噴き出てくる雫をハンカチで拭い、僕の隣に座る。
「わたしに気なんて遣わなくてもいいのに」
「いや、これは本心だよ。友人として、いつも思っていることを話しただけだよ」
 先ほどまで煩わしかった冷たい風が、僕に心地よさを与えてくれる。唯はふうっと息を吐き、僕に言う。
「わたし、素直じゃないからさ。いつも遠回りして生きているんだ。傷つきたくないから、わざとポジティブなふりをして。楽しそうにして生きているの。でも、真といるとスッと力が抜けるときがある。真が言うように、無邪気になれる瞬間があるのかもね」
 唯は僕の頭を撫でる。
「ありがとう、真」
 唯の柔らかい温もりに、僕はずっと寄り添っていたいと思うようになった。


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