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父の人生を変えた『一日』その12~運命の人~

その12 ~運命の人~
 ㈱トーメンに出社した。朝は早かった。南洋材に配属された対中君と貿易実務を毎朝勉強した。朝、いくら出社しても私より早く来られている先輩がいた。大江晋氏であった。
すごい人がいるものだと思った。新入社員全員に実務教本が渡された。商売のイロハから業務専門の事が書かれていた。その出筆者に大江晋氏の名前があった。この大江晋氏、私が尊敬する一人であり将来一緒に働く事になる。シアトル時代支店長として赴任され一緒に働く事になった『運命の人』でもあった。
3年間は商売の下積みで受け渡し部に配属された。所が急な人事異動で名古屋に転勤となった。名古屋の先輩がアメリカポーランドに赴任するその営業マンの交替だという。未だ2年目の私だった。営業マン。「よーし」。やる気満々であった。
 営業マン、しっかり営業成績を伸ばして早くアメリカに行くのだと必死になって頑張った。毎週土曜日・日曜日休みだったが土曜日は働いた。当時の名古屋の沢田部長に残業代も早出料もいらないと申し上げた。部長は考えていた。水澤君、土曜日は家から会社まで行き帰りはこのタクシー券を使えと言ってくれた。課長以上で無いともらえない名古屋のどの会社のタクシーでも乗れる券を渡された。
ライバルの総合商社マンが休んでいる土曜日に色々な製材工場を㈱トーメンの名刺も持って飛び回った。材木の知識は誰にも負けないくらい勉強した。材木の仕分け(等級付け)も徹底して覚えた。名古屋港での材木の仕分けで海に落ちたこと何回あったか数え切れない。伊吹降ろしが極端に寒い名古屋商品知識の仕事場になった。


~倅の解釈~
 父の名古屋赴任中の先輩とは父が亡くなってからお会いして色々とお話しを聞くことができ。父に財務の厳しさを教えてくれた坂東先輩。父よりも先輩ということは今現在70歳を過ぎているが、名古屋から新潟まで弊社のクライアントをご紹介したら、営業マンと飛んできた。まさしく父が言う、「企業戦士」である。
 ある日、名古屋にて坂東先輩とお食事に。私が翌日東京にて仕事があったため、車で名古屋駅まで送ってくれた。その車中の話は壮絶なもの。超大手企業トーメンの建設部にいらっしゃった時代の話し。不良債権が多くあったというが、ここでは述べることができないが、絶対にあきらめない精神で昔の人は企業戦士として戦っていたことが分かった。父から教わったことの無い帝王学。トーメン名古屋時代に父と仲が良かったということで倅の私にまで、様々な方面からサポート頂いている。
 父がここで述べている「大江氏」は私も父からよく話を聞き、実際にシアトルでお会いしたことのある方。朝が早いので有名だが、実は朝、新品の鉛筆を削り始めて一日を始めるそうだが、帰社する前ころにはその鉛筆がなくなるほど、文章を多く書く人だったそうだ。
 父にとって運命の人は「大江氏」。父が亡くなり、私にとっての運命の人、「坂東氏」や「北澤氏」が父の死をきっかけに私や弊社を応援してくれている。

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